八話
アルスハイム領を飛び立ったガリア帝国の竜騎士団は、西方へと連なる雄大な山脈を越え、帝都を目指して飛行を続けていた。
眼下に広がる白銀の雲海を裂くように進む漆黒の飛竜たち。
その編隊の中央を飛ぶのは、ひときわ巨大で禍々しい漆黒の鱗を纏った個体、ガリア帝国皇室の象徴にして、皇太子ユリウスの愛竜『黒滅竜ヴォルガ』である。
「どうだ、シルフィード。帝国の竜騎士団の乗り心地は」
隣で手綱を握るユリウスが、風に藍色の髪をなびかせながら誇らしげに笑いかけてきた。
「悪くありませんね。揺れも少なく、実に安定している。……ただ」
俺は座席から黒竜の太い首筋を見つめ、【解析】を走らせた。
「この竜、首回りの魔力流が酷く滞っていますね。気性が荒いと言われるのも、単純に首の付け根が凝って苛立っているからでは?」
「ははは、何を冗談を! ヴォルガは帝国の霊峰で捕獲された最凶の魔竜だぞ。気性の荒さは血統によるものだ。歴戦の調竜師ですら、餌をやるときは三重の結界を張るほど凶暴なのだからな」
ユリウスは豪快に笑い飛ばしたが、俺は苦笑を浮かべるに留めた。
やがて茜色の陽が沈み始めると、一行は山間の盆地に設営された帝国の前線補給基地へと着陸した。
広大な飛行場には数十頭の軍用飛竜が繋ぎ止められ、巨躯を休めている。
「今夜はここで野営とする! 飛竜の拘束を確認し、夜間の哨戒を怠るな!」
竜騎士隊長の厳格な号令が響き渡る中、屈強な騎士たちが分厚い耐火手袋と頑丈な鎖を携え、恐る恐る飛竜たちへと近づいていく。
飛竜たちは低く威嚇の唸り声をあげ、鋭い金色の双眸で騎士たちを威嚇していた。
そんな物々しい空気が漂う飛行場の一角で、事件は起きた。
「ひっ……!? か、閣下! セリアお嬢様――ッ!?」
見張りの騎士の悲鳴のような叫び声が、夕暮れの野営地に響き渡った。
駆けつけた竜騎士隊長、そして天幕から血相を変えて飛び出してきたユリウスが見たものは。
帝国最強にして最凶と恐れられる黒竜ヴォルガの鼻先で、無防備にしゃがみ込んでいる俺とセリアの姿だった。
「お、おいシルフィード! セリア嬢! 今すぐ離れるんだ! ヴォルガは機嫌を損ねれば味方だろうと骨ごと噛み砕くぞ!」
ユリウスが青ざめて剣の柄に手をかける。
だが、当の黒竜はといえば。
「グルルゥ……ン……フシィィ……」
骨を噛み砕くどころか、巨大な体を地面にだらしなく投げ出し、目を細めて蕩けたような喉鳴りを響かせていた。
「セリア、そうだ。角の付け根の第二節、その鱗の隙間に微弱な治癒魔力を流しながら、少し強めに掻いてやるといい」
「こうですか、お兄様? ……あ、すごい! お兄様、すごく気持ちよさそうな顔をしました!」
セリアが楽しそうに白く華奢な指先を動かすと、ヴォルガは「グルニャァ……」とまるで巨大な猫のような甘えた声を漏らし、巨頭をセリアの膝の上へとすり寄せてきたのだ。
「ば、馬鹿な……あのヴォルガが……?」
「手袋もつけずに素手で……!? あの公爵令嬢、恐れ知らずにも程があるぞ……!」
騎士たちが顎が外れんばかりに目を見開き、腰を抜かしている。
「気性の荒い魔獣ほど、体内の魔力循環の滞りに強烈なストレスを感じているものですよ」
俺は立ち上がり、黒竜の眉間をポンポンと軽く叩きながらユリウスを振り返った。
「【解析】で滞留箇所を特定し、【並列処理】で神経を麻痺させつつ魔脈をほぐしてやれば、ご覧の通り大人しいものです。肩こりが酷くてイライラしていた暴れん坊を、少し整体してやっただけですよ」
「せ、整体だと……!? 相手は帝国最高峰の黒竜だぞ!?」
絶句するユリウスを余所に、セリアは満面の笑みで巨竜の顎下を撫で続けている。
「ふふっ、とっても素直で可愛い子です! お兄様の魔術の手ほどきのおかげで、この子がどこを触ってほしいのか手にとるように分かりますわ!」
セリアの言葉に応えるように、ヴォルガは心地よさそうに巨大な尻尾をパタパタと地面に打ち付けた。
すると、その様子を遠巻きに見ていた周囲の軍用飛竜たち、普段は獰猛に騎士たちを威嚇しているはずの猛獣たちが、羨ましそうにクゥンクゥンと鼻を鳴らし始めたのだ。
『我も撫でてくれ』
『背中が痒いのだ』
『あの気持ちよさそうな魔術をかけてくれ』
次々と鎖を引きちぎらんばかりに身を乗り出し、兄妹の前に行列を作り始める飛竜たち。
「あ、見てくださいお兄様! あの子も撫でてほしそうにしています!」
「よし、セリア。次はあっちの赤竜の魔力回路をほぐしてやろう。翼の付け根に魔力溜まりがあるな」
「はい、お兄様!」
楽しそうに猛獣たちの群れへと分け入り、神業の手つきで次々と飛竜たちをヘロヘロに骨抜きにしていく公爵兄妹。
竜騎士隊長がプルプルと震えながら、ユリウスに小声で囁いた。
「で、殿下……あのお二人は、本当に元・病弱公爵と、無能と罵られていた令嬢なのですか……? 我が国の誇る調竜部隊の立場が……」
「……聞くな。私にもサッパリ分からん」
ユリウスは頭を抱えながらも、その瞳には新宰相兄妹への底知れない畏敬と、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
翌朝。
前日の竜の整体のおかげで全身の魔力循環が極限まで高まった飛竜たちは、信じられないほどの巡航速度と滑らかな飛行を見せ、予定よりも半日早く帝都上空へと到達した。
雲を抜けた瞬間、眼下に現れたのは、王国の王都など児戯に等しい、圧倒的な規模を誇る超巨大城塞都市。
幾重にも張り巡らされた巨大な環状城壁、空を行き交う魔導飛空艇、そして中央にそびえ立つ天を突く白亜の宮殿。ガリア帝国の帝都グランガリアであった。
「見ろ、シルフィード、セリア嬢。あれが我が帝国の心臓部だ」
ユリウスが前方を指差す。
だが、壮麗な帝都の街並みを見下ろす俺の眼に、ある異常な魔力の歪みが映った。
【解析】と【万象の記録庫】が、帝都を覆う巨大な魔導障壁の深部に、不穏な干渉痕を検出したのだ。
(……なるほど。帝都の魔導結界、表向きは堅牢に見えるが、内部の術式ノードが意図的に書き換えられているな。古参の貴族たちによる、私への歓迎の罠か)
大国が招いた若き新宰相。
それを面白く思わない宮廷の古参貴族や魔導師たちが、俺の力量を測り、あわよくば失脚させようと待ち構えている気配が濃厚に漂っていた。
「お兄様、帝都の空気……少しピリピリしていませんか?」
セリアが敏感に察知し、俺の袖を引いた。
かつて泣いてばかりだった妹は、飛竜をも手なずける確かな魔力感覚を宿し、立派な淑女にして魔術師の卵へと覚醒しつつあった。
俺はセリアの頭を優しく撫で、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫だ、セリア。……つまらない歓迎の余興を用意してくれている者たちがいるようだが、帝国の古株殿にも、すぐに理解させてやろう」




