十話
バルツァー侯爵による結界暴走を指先一つで鎮圧し、帝都グランガリアの全貴族と宮廷魔導師たちにその圧倒的実力を見せつけた俺とセリアは、宮殿の最奥。黒曜の謁見の間へと案内された。
重厚な扉が開かれた先で待っていたのは、威厳を全身に纏った偉丈夫。
深紅のマントを羽織り、白銀の玉座に深く腰掛けるその人物こそ、大陸最大の軍事国家を統べる覇王。ガリア帝国皇帝、フリードリヒ・フォン・ガリアであった。
「…面を上げよ、アルスハイム公爵」
地響きのように重く響く声。皇帝の鋭い眼光が、俺の全身を射抜くように注がれる。
並の魔導師であれば、その尋常ならざる覇気だけで膝をついてしまうほどの威圧感だ。
だが、俺は眉一つ動かさず、静かに礼をとった。
視界の端で【解析】を走らせ、皇帝の体内魔力を静かにスキャンする。
(……心臓付近に、過去の激戦で受けた呪詛の残滓が深く固着しているな。それが魔力循環を阻害し、慢性的な激痛を与えているのか)
「式典広場での顛末、バルツァーの失脚、そして防衛結界の即時修復……すべて報告を受けた。噂以上の怪物よな、シルフィード」
皇帝は厳格な顔をわずかに緩め、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「貴殿を帝国に迎え入れたユリウスの眼力は正しかった。我がガリア帝国は、実力至上主義の国だ。小国の出であろうが、病み上がりであろうが関係ない。この国を富ませ、敵を挫く知謀と力を持つ者をこそ、余は重用する」
皇帝は玉座から立ち上がり、自らの手で純金と黒曜石で刻まれた帝国最高宰相の印章を俺へと差し出した。
「今日この時より、貴殿をガリア帝国最高宰相に任ずる。内政、魔導開発、軍事の指揮権。そのすべてにおいて、余とユリウスと同等の全権を貴殿に預けよう。……思う存分、この国を作り替えてみせよ」
「謹んで拝命いたします、皇帝陛下。……任せていただいた以上、この帝国を大陸史上、比類なき繁栄へと導いてご覧に入れましょう」
俺が印章を受け取ると、皇帝は満足そうに頷き、視線を隣のセリアへと移した。
「そして、セリア公爵令嬢」
「は、はい……皇帝陛下」
セリアは毅然と背筋を伸ばし、完璧な淑女の礼をとる。
「あの愚かな王国において、貴殿が理不尽な婚約破棄に遭ったと聞いた。だが我が帝国において、そのような恥辱は一切無用。明日より貴殿には、帝国最高の英才が集う帝立魔導学院の特別特待生として学んでいただく。帝室の名において、最高の環境と教育を保障しよう」
「寛大なるお計らい、心より御礼申し上げます」
セリアは凛とした微笑みを返し、深々と頭を下げた。
翌朝。
俺が最高宰相として帝都の行政改革に着手する一方、セリアは帝都の一角にそびえる帝立魔導学院の門をくぐっていた。
白亜の大理石で築かれた壮麗な校舎、広大な演習場、空を行き交う魔導具の数々。
ここは帝国中の名門貴族の嫡子や、選りすぐりの魔導の天才たちが集う最高学府である。
だが、新学期の大講堂に集まった生徒たちの視線は、決して友好的なものではなかった。
『あれが、王国から逃げてきたというアルスハイム家の令嬢か?』
『勇者様に捨てられた無能令嬢だと聞いているぞ』
『兄が最高宰相に抜擢されたからといって、特待生枠をねじ込まれただけの田舎娘だろう』
ひそひそと交わされる陰口。
中でも、最前列で金髪を巻き上げ、派手なドレスに身を包んだ少女――帝国の筆頭名門、ロドウェル公爵家の令嬢エレナが、扇子を広げて嘲笑を浮かべていた。
「帝立魔導学院も落ちたものですわね。魔力の器も平凡な小国の落ちこぼれが、帝室の推薦というだけで同じ教室に席を並べるなんて……恥ずかしくないのかしら?」
取り巻きの令嬢や貴族生徒たちが、同調して下品な笑い声を上げる。
かつてのセリアであれば、周囲の冷たい視線に縮こまり、涙をこらえていたかもしれない。
しかし、今のセリアの瞳には迷いなどなかった。
(……お兄様が夜会で私を守ってくださった時の言葉を思い出しますわ。『つまらない雑音など気にするな。真の力で黙らせればいい』と……)
セリアは動じることなく、涼やかな紫水晶の瞳でエレナを真っ直ぐに見据えた。
「おはようございます、ロドウェル公爵令嬢。ご心配には及びませんわ。私がここに相応しい人間かどうかは……今日の魔力適性測定で、はっきりいたしますから」
「な、なんですって……!? 生意気な田舎娘が……!」
エレナが額に青筋を立てて扇子を握りしめた。
間もなくして、大講堂の中央に巨大な『魔力測定水晶柱』が運ばれてきた。
触れた者の魔力量、属性適性、そして術式の純度を精密に数値化する、古代魔導の結晶である。
担当の魔導教官が厳格な声で告げる。
「これより新入生の魔力測定を行う! 帝国の平均値は魔力濃度500、属性純度Aランクで優秀とされる。まずはエレナ・フォン・ロドウェル!」
エレナが自信満々に歩み出て、水晶に両手をかざした。
ボウッ! と眩い火炎の光が水晶を満たす。
『魔力濃度:1,200! 属性適性:炎(純度S)!』
講堂にどよめきと拍手が巻き起こる。
「さすがエレナ様!」「学年トップクラスの数値だ!」
エレナは得意げに鼻を鳴らし、セリアを挑発するように見せつけた。
「さあ、次はお前の番よ、セリア令嬢! 恥をかいて泣き出す前に、お兄様の胸に逃げ帰ったらどうかしら?」
「では、失礼いたします」
セリアは静かに水晶の前へと進み出た。
心の中で、今朝出がけにシルフィードから教わった言葉を反芻する。
『セリア、お前の魔力は誰よりも澄んでいる。無理に力を込めようとせず、ただ体内の魔脈の淀みを解き放つだけでいい』
セリアがそっと、白く滑らかな手のひらを水晶に触れさせた。
その瞬間。
ゴオオオオオオオッ!!
パキッ、ピキピキピキ……ッ!!
大講堂の空気が激変した。
水晶柱が、かつて誰も見たことのない蒼白と純白の極光を放ち、講堂全体を真昼のように照らし出す。
それだけではない。尋常ならざる魔力密度の負荷に耐えきれず、古代の測定器に無数の亀裂が走り始めたのだ。
「ひ、光が……強すぎる……!?」「前が見えないぞ!」
生徒たちが顔を覆って後退る中、魔導教官が狂乱したように数値計を見つめて叫んだ。
「ば、馬鹿な……!? 魔力濃度:計測限界突破! 属性適性:全属性(純度SSS・神聖階梯)!? す、測定不能だぁぁぁっ!!」
バリンッ!!
閃光の直後、特大の水晶柱が耐えきれずに粉々に砕け散り、講堂の床に宝石のような破片となって降り注いだ。
静まり返る大講堂。
誰もが息を呑み、呆然とセリアを見つめていた。
先ほどまで嘲笑していたエレナは、腰を抜かして床にへたり込み、ガタガタと震えている。
倒的な沈黙の中、セリアは軽くドレスの裾をつまみ、完璧な淑女の礼をとった。
「あら……申し訳ありません。少々、加減を誤ってしまいましたわ」
勇者に無能と切り捨てられた公爵令嬢は、兄の導きによって、帝国史上類を見ない規格外の天才として覚醒を遂げたのだった。




