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11話

帝都の宮殿、かつて歴代の宰相たちが激務で倒れたとされる『白銀の執務室』。

そこには、数十人の帝国官僚たちが青ざめた顔で立ち尽くしていた。

部屋の中央にうずたかく積まれているのは、過去三十年間にわたる帝国の赤字財政の帳簿、各軍区からの兵站要請書、そして魔導インフラの改修申請書――合計して数万枚に及ぶ未決済書類の山だった。

「か、閣下……失礼ながら、これほどの書類を精査するには、通常ですと文官百人を動員しても半年は要します。まずは来期の軍事予算の決済だけでも……」

恐る恐る進言してきた筆頭書記官に対し、執務机に腰掛けたシルフィードはペンを手に取ることもなく、静かに目を閉じた。

『【並列処理】。スレッド数512展開』

『対象スキャン。帝国過去三十年分の財務諸表および物流ログ【解析】開始』

『【万象の記録庫】照合。各貴族家の裏帳簿および物価推移ログとの突合処理』

青白い魔力光を帯びた数十本の術式ペンが、シルフィードの周囲の空間に具現化する。

それらは意思を持ったかのように空を舞い、書類の山へと一斉に最適解の書き込みと捺印を始めた。

紙が猛烈な勢いでめくられる風の音だけが、静寂の執務室に響き渡る。

官僚たちが息を呑んで固まっている間に、赤字の原因となっていた貴族の横領ルートが容赦なく暴かれ、非効率な物流ラインが合理化され、予算配分が瞬く間に再編されていく。

わずか数分後。

山積みだった書類は、寸分の狂いもなく分類された綺麗な三つの束へと整然と収まっていた。

「……え?」

筆頭書記官が震える手で一番上の書類をめくる。

そこには、何十年も解決しなかった帝国の穀物輸送のボトルネックを解消する魔導物流ルートと、不正を働いていた貴族十二家の告発状が、完璧な法的根拠とともに記されていた。

「これにて決済完了だ。赤字を出していた原因の八割は、先ほど拘束されたバルツァー派閥による魔導資材の横流しだな。差し押さえた資産を充当すれば、来期の帝国財政は黒字に転換する」

シルフィードが淡々と告げると、官僚たちは言葉を失い、畏敬の念に打たれてその場に平伏した。

執務室のドアが控えめにノックされ、入ってきたのは皇太子ユリウスだった。

完璧に片付いた部屋の光景を見て一瞬呆気にとられつつも、ユリウスは真剣な眼差しでシルフィードに向き直った。

「シルフィード……驚かされるのにも慣れてきたが、まさか半日で宰相府の積年の課題を片付けるとはな。……だが、貴殿に頼みたい至急の案件がもう一つある」

「皇帝陛下の心臓の呪詛のことですね」

「……気づいていたのか」

ユリウスが小さく息を呑んだ。

「謁見の際に【解析】で把握しました。かつて魔王軍の残党、あるいは何者かによって撃ち込まれた壊死呪詛……長年、陛下の生命力と魔力を内側から蝕んでいますね。宮廷治癒術師の手には負えないはずです」

「そうだ。父上はその激痛を鉄の意志で耐え忍んでおられるが、余命はそう長くないと宣告されている。……シルフィード、貴殿の魔導で、あれを解くことはできるのか?」

「当然です。ただの古い術式構造にすぎませんから」

シルフィードは立ち上がり、ユリウスを促して皇帝の私室へと向かった。

皇帝の寝室。

上半身の服を脱ぎ、寝台に腰掛ける皇帝フリードリヒの胸元には、心臓を中心に黒紫色の血管のような呪いのアザが不気味に脈打っていた。

「……余の体を治療だと? 大魔導師たちでも解呪できず、触れれば即死すると言われた呪いだぞ、シルフィード」

皇帝が自嘲気味に呟く。

「他の魔導師にとってはそうでしょう。しかし、私にとってはただの構造的欠陥(バグ)にすぎません」

シルフィードは皇帝の前に立ち、右手をその胸元へと翳した。

『対象術式コード:古代暗黒呪詛【心臓喰らい】。【解析】完了』

『術式ノードの逆解体。【並列処理】にて三十二段階の解呪術を同時励起』

『【万象の記録庫】照合。この呪いを放った術者の起源ログを特定』

パシッ、とシルフィードの指先から、純白の極光が心臓へと撃ち込まれる。

「ぐ、おおっ……!」

皇帝が低く呻き声を漏らすが、苦痛は一瞬だった。

ドス黒い呪詛のアザが、白い光に焼き尽くされるようにジジジと蒸発し、黒い煙となって空気中に散っていく。

長年皇帝を苛んでいた激痛が嘘のように消え去り、体内を清らかな魔力が駆け巡った。

「息が……軽い。魔力が、全盛期のように滾ってくる……!」

皇帝は自らの両手を握り締め、驚愕に目を見開いた。

だが、シルフィードはそこで手を引かず、冷徹な光を宿した瞳で皇帝を直視した。

「皇帝陛下。解呪の礼として、一つだけ許可をいただきたいことがございます」

「ほう? 命の恩人たる貴殿の頼みだ、申してみよ」

「帝国に巣食う害虫の駆除です。裏金作りや、他国へ帝国の機密情報を流している売国貴族どもを一族ごと、全て切ってもよろしいでしょうか?」

皇帝とユリウスが同時に息を詰まらせた。

「……古参の貴族たちをそこまで大規模に粛清すれば、帝国の経済や政務が混乱する恐れがあるが」

「ご安心を。彼らが牛耳っていた利権と業務は、私が最適化した官僚機構に置き換えます。それどころか、彼らが蓄えた不正蓄財を没収し、無駄な横流しを根絶するだけで、帝国の国家予算が優に二割は浮き、向こう三年の財政赤字は完全に消滅いたします」

「国家予算が、それだけで浮くだと……?」

「さらに、情報漏洩ルートを断つことで、敵対国家の諜報網を根こそぎ壊滅させられます。……陛下、許可を。帝国の病巣を、私が綺麗に切除してご覧に入れましょう」

皇帝フリードリヒは豪快に笑い声を上げ、寝台の縁を力強く叩いた。

「面白い! 余が病床に伏せっている間に調子に乗った寄生虫どもめ、一匹残らず叩き潰すがよい! シルフィード、帝国の全司法権と近衛軍の動員権を貴殿に委ねる! 思う存分、掃除してみせよ!」

シルフィードは冷徹に口元を吊り上げた。

「ありがとうございます、陛下。……蒸発した呪詛の残留魔力、万象の記録庫でログを遡りました。この呪詛の核に使われていたのは、大陸東部の宗教国家聖皇国ルミナスの秘匿聖遺物と同じ波長です」

寝室の空気が、一瞬で凍りついた。

「ガリア帝国を病ませ、裏金貴族を操り、大陸を支配しようと目論む真の敵……聖皇国の教皇庁ですね。まずは帝国内の裏切り者どもを血祭りに上げ、彼らの目を完全に潰してやるとしましょう」


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