11,5話
帝都に吹き荒れる大粛清の嵐の中、白銀の執務室の机上には、筆頭名門ロドウェル公爵家の極秘帳簿が広げられていた。
帝立魔導学院でセリアを「小国の落ちこぼれ」と嘲笑した令嬢エレナの生家である。
「なるほど。ロドウェル公爵、お前もか」
シルフィードは冷徹な眼差しで羊皮紙を見つめた。
【万象の記録庫】が浮き彫りにしたログによれば、ロドウェル家は聖皇国への直接的な売国行為こそ踏みとどまっていたものの、過去二十年にわたり帝国の関税を巧妙に偽装し、金貨数百万枚に及ぶ莫大な裏金を蓄財していた。
他の売国貴族たちと同様、本来なら一族全員の爵位剥奪・領地没収、すなわち完全なる家名取り潰しに相当する重罪である。
「ハンス、近衛兵を編成しろ。明朝一番でロドウェル公爵邸を包囲し、資産の差し押さえと」
シルフィードが冷酷に処分を下そうとした、まさにその時だった。
バタン、と執務室の扉が勢いよく開かれた。
「お兄様……! お願いです、お待ちください!」
飛び込んできたのは、肩で息をし、目元に大粒の涙をいっぱいにためたセリアだった。
普段は公爵令嬢として完璧な淑女の礼儀を保つ妹が、乱れた足取りでシルフィードの執務机へとすがりついてきたのだ。
「セリア? どうした、そんなに慌てて」
「お兄様……ロドウェル公爵家を取り潰そうとなさっているのは、本当ですか……!?」
セリアは震える両手でシルフィードの長袍の袖をぎゅっと握りしめ、ぽろぽろと涙をこぼした。
「ああ。裏金作りと脱税の確たる証拠が揃っている。帝国の膿を出し切るための、当然の処置だ。……それに、あの家の娘はお前を学院で侮辱しただろう。容赦する必要はない」
妹を傷つけた者への当然の報いとして、シルフィードが冷淡に告げると、セリアは激しく首を横に振った。
「違います、お兄様……! エレナさんは……確かに最初は高慢で、酷いことも言いました。けれど、魔力測定器が壊れたあと、放課後の誰もいない講堂で、私のところへ一人で来てくれたんです……」
セリアは涙を拭いもせず、必死に言葉を紡ぐ。
「『名門の看板を背負っているのに、あなたに嫉妬して醜い言葉をぶつけてしまった』と……涙を流しながら、頭を下げて謝ってくれたんです。エレナさんは、ただ名門の重圧に押しつぶされそうになって、必死に虚勢を張っていただけなんです……!」
「……謝罪に来た、だと?」
「はい……! 今だって、ロドウェル家が処刑されるかもしれないと聞いて、学院の誰もいない礼拝堂の隅で、一人で震えて祈っていました……! お願いです、お兄様。私のために誰かの家が滅びてしまうなんて、そんなの……私、悲しくて耐えられません……っ!」
ぽたぽたと、シルフィードの手に温かい涙が落ちる。
前世で孤独に散り、今世で唯一「守り抜く」と心に誓った最愛の妹の、混じり気のない悲痛な叫び。
(……やれやれ。妹を傷つける者を裁くための復讐者だったはずが、その妹を悲しませてしまっては、本末転倒だな)
シルフィードの冷徹な表情が、微かな苦笑とともにふっと解けた。
懐から取り出した上質なハンカチで、セリアの濡れた頬をそっと拭ってやる。
「泣くな、セリア。お前を悲しませるくらいなら、私の正義など何の意味もない」
「お、お兄様……では……!」
「取り潰しは免じてやろう。ただし」
シルフィードは机の上の書類を引き寄せ、冷徹な事務官の顔へと戻った。
「罪は罪だ。不正に蓄えた裏金は全額国庫に没収。さらに、セリアを泣かせた精神的慰謝料と不始末への罰金として、ロドウェル家の向こう十年の領地収益に懲罰的追加課税五十パーセントを課す」
「つ、追加課税五十パーセント……!」
執務室の隅にいた書記官が「実質的には生かさず殺さずの過酷な減刑では……」と息を呑んだが、シルフィードは構わず書類にサインを走らせた。
「死罪も改易も免れるのだ、破格の温情だろう。……これで帝国の国家予算はさらに莫大に浮き、魔導インフラの整備資金が前倒しで確保できる。我が妹の優しさに、ロドウェル家は一生感謝して、真面目に税を納め続けるがいい」
「お兄様……! ありがとうございます……っ!」
安堵の涙を浮かべたセリアが、シルフィードの胸へと飛びついた。
シルフィードはその背中を優しく抱きしめながら、静かに目を細めた。
その日の夕方。
一族全員で処刑を覚悟し、重苦しい沈黙に包まれていたロドウェル公爵邸に、宰相府からの公式通達が届いた。
【セリア公爵令嬢の涙の嘆願により、家名改易および死罪を免除。不正蓄財の全額没収、および向こう十年の重課税に減刑する】
書状を握りしめたエレナの指先は、白くなるほど震えていた。
父であるロドウェル公爵が床にへたり込み、嗚咽を漏らして天井を仰ぐ中、エレナの琥珀色の瞳から零れ落ちたのは、侮蔑していた相手の「本物の気高さ」に打ちのめされた涙だった。
(……私は、あの田舎娘と見下していたあの子に……命を拾われたというの……?)
プライドは完全に打ち砕かれた。
だが、その胸の奥に残ったのは屈辱ではなく、自分のような者を救ってくれたセリアに対する、底知れない畏敬と、生涯をかけて返さねばならない深い恩義の誓いだった。




