12話
皇帝フリードリヒの心臓を長年蝕んでいた呪詛が消滅したことは、ガリア帝国に劇的な変革をもたらした。
かつて、病める覇王と囁かれていた皇帝は全盛期の覇気を取り戻し、最高宰相シルフィードの主導する行政改革と魔導近代化は、わずか一ヶ月で帝国の国力を急激に押し上げていた。
【並列処理】と【解析】によって設計された新型の魔導列車が帝都と各州を数日で結び、魔脈の最適化により農地は前代未聞の豊作を記録。さらに、セリアが帝立魔導学院で披露した古代神聖魔術の理論は、帝国の魔導師たちに革命的なパラダイムシフトを巻き起こしていた。
だが、大陸最強の帝国が真の力を取り戻しつつある現実は、ある勢力にとって最大の悪夢に他ならなかった。
大陸東部、白亜の大聖堂が連なる宗教国家――『聖皇国ルミナス』。
ステンドグラスから差し込む陽光の中、豪奢な法衣に身を包んだ教皇セルギウスは、手元の報告書を握り潰していた。
「……フリードリヒの呪詛が解かれた、だと? 我が教皇庁が誇る秘匿聖遺物による不可解の呪いが……」
「はっ……。報告によれば、王国から亡命してきた元病弱公爵、新宰相シルフィードが指先一つで霧散させたとのことです。さらに、彼が設計した魔導機関により、帝国の軍備・経済は爆発的な拡大を続けております……!」
枢機卿の報告に、教皇の温和な仮面が醜く歪む。
「小国の捨て駒だったはずの男が、余計な真似を……! 魔王を討伐させ、愚かな勇者レオンに大魔術師アレンを暗殺させたのも、すべて大陸全土の信仰を我が教皇庁に集めるための布石であったというのに!」
教皇セルギウスの背後、祭壇の影に蠢く不気味な黒紫の瘴気。
彼らが奉じているのは慈悲深き神などではなく、人々の絶望と信仰を喰らう邪神の残滓であった。
「……もはや猶予はない。帝国が完全に盤石となる前に、叩き潰す。神託を下せ」
教皇は冷酷な光を瞳に宿し、立ち上がった。
「『ガリア帝国の新宰相シルフィードは、魔王の残滓を宿した大罪の魔人である』とな。全大陸の信徒に告げよ。邪悪なる帝国を討滅する、神聖なる大征還(十字軍)の時が来たと!」
数日後。聖皇国から放たれた偽りの神託は、大陸全土に激震を走らせた。
『ガリア帝国は異端の魔導に魂を売り渡した』
『新宰相シルフィードは魔王の生まれ変わりであり、世界を滅ぼす災厄である』
教皇庁の狂信的なプロパガンダに煽動された周辺の七つの小国・公国が次々と同盟を結成。聖皇国が誇る神聖騎士団五万を中核に、総勢十五万に及ぶ大陸史上最大の大連合軍が、ガリア帝国国境へと進軍を開始したのだ。
帝都グランガリア、作戦会議室。
巨大な立体魔導地図を囲む皇帝フリードリヒ、皇太子ユリウス、そして軍閥の将軍たちの顔には、重苦しい緊張が漂っていた。
「周辺七カ国を抱き込んだ十五万の大軍勢か……。聖皇国め、なりふり構わず仕掛けてきおったな」
ユリウスが地図上の敵軍の進軍ルートを睨みつける。
「教皇庁の神託を信じた民衆や兵士たちは、自分たちが正義の聖戦を行っていると信じ切っている。……厄介なのは、聖皇国が保有する古代兵器『神罰の光輪』だ。都市一つを一撃で消滅させる戦略魔導兵器を、前線に配備したとの密報がある」
歴戦の将軍たちが言葉を失う中、玉座の皇帝は静かにシルフィードへと視線を向けた。
「シルフィードよ。教皇庁の狙いは貴殿の首、そして我が帝国の解体だ。……勝算はあるか?」
シルフィードは表情を一切崩さず、静かに歩み出た。
「勝算、ですか? 最初から勝負にすらなっておりませんよ、陛下」
その場にいた全員が息を呑んだ。十五万の大軍と戦略兵器を前にして、あまりにも不遜で、絶対的な自信。
「彼らが掲げる神託の正体、そして聖皇国が隠蔽してきた数千年に及ぶ欺瞞の数々……すべて【万象の記録庫】にて洗い出しを完了しております。敵が『神の正義』を騙るならば、我らは真実の光をもって、彼らの信仰そのものを叩き潰すまでです」
シルフィードが指先を鳴らすと、立体地図の上に無数の青白い光のラインが幾何学模様を描き、大陸全土を覆い尽くすように展開された。
「帝国軍全軍を動かす必要すらありません。……セリア、準備はいいな?」
作戦室の扉の前に控えていたセリアが、美しく澄んだ瞳で微笑み、優雅に一礼した。
「はい、お兄様。偽りの神に踊らされる哀れな方々に、本物の奇跡が何たるかをお見せいたしましょう」
大陸の覇権と信仰の真実を巡る、ガリア帝国対聖皇国連合軍の戦いの火蓋が切って落とされた。




