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六話


ガリア帝国の皇太子ユリウスから帝国最高宰相」としての破格の招聘と全面支援を取り付けてから、わずか数日。


アルスハイム公爵領が領民・家臣挙げての活気に沸き立つ一方で、王国は文字通りの破滅の淵に立たされていた。


王城、謁見の間。


床には決裁の滞った書類の山が散乱し、陰鬱な空気が淀んでいる。


「ま、まだ帝国からの返答はないのか……!」


玉座の上で、国王エドワードが脂汗を垂らし、激しく爪を噛んでいた。


寝たきりだったアルスハイム公爵が去っただけで、難解な通商条約の策定も、軍の予算編成も、何一つ進まない。


「へ、陛下……! ガリア帝国へ送った使節団から凶報です! 帝国は王都を完全に見限り、使節団を追い返したとのこと……! それどころか、ユリウス皇太子殿下自らがアルスハイム領へ赴き、公爵家を帝国筆頭公爵および最高宰相として丸ごと招聘したとの情報が……!」


「なん……だと……!?」


国王の喉から、掠れた悲鳴が漏れた。


見下して切り捨てたはずの病弱公爵が、大陸最強の大帝国から「国の至宝」として請われていたのだ。


しかも、公爵家が全資産を引き揚げた影響で王都の経済は麻痺し、連日民衆の暴動が起きている。


「アルスハイム……! おのれ、シルフィードめ……! 余を、この王国をここまで愚弄しおって……!」


逆上した国王は、広間の隅で壁に寄りかかっていた勇者レオンへと血走った目を向けた。


「レオン! 勇者レオンよ! 貴様の出番だ! 帝国の後ろ盾を得て調子づく前に、今すぐ軍を率いてアルスハイム領へ攻め込め! あの不敬な逆賊の首を刎ね、公爵領の全財産を差し押さえ、セリアを引きずり戻すのだ!」


「……言われなくても、そうするつもりですよ」


レオンが吐き捨てるように言った。


その瞳には、かつて、救世主と称えられた光はなく、シルフィードへの歪んだ憎悪と焦燥だけが渦巻いている。


夜会での醜態が広まり、王女からも冷遇され、金も名誉も失いかけた男にとって、シルフィードの存在は最早悪夢そのものだった。


「王国軍の精鋭三千を寄越しなさい。帝国が動く隙すら与えず、あの小癪な公爵領を焼き払って、俺が真の英雄であることを知らしめてやる」


第2幕:魔峡谷の対峙


数日後。


アルスハイム公爵領と王国直轄領を分かつ魔峡谷の国境関所。


重苦しい土煙とともに、三千の王国討伐軍が姿を現した。


先頭に立つのは、黄金の甲冑を纏った勇者レオン。


「ふん、帝国の軍勢など影も形もないではないか。所詮は口先だけの招聘だ! 門を吹き飛ばし、逆らう者は皆殺しにしろ!」


レオンが聖剣を天へと掲げ、突撃の号令を下そうとした――その瞬間。


突如として、関所の上空の大気が激しく震動した。


キィィィン……と、超高密度の魔力励起音が鼓膜を震わせる。


「な、なんだ……!?」


ざわめく王国軍の頭上、峡谷の断崖の上には、天を覆い尽くさんばかりに展開された漆黒の飛竜――ガリア帝国の誇る「竜騎士団」が整然と布陣していた。


「り、竜騎士団……!? 本当に帝国軍が来ているのか……!?」


三千の兵たちが恐怖で足を止める中、竜騎士団の先頭に立つ皇太子ユリウスが、断崖の上から手を掲げた。


「全軍、待機せよ。ここからは、あの男の舞台だ」


帝国の軍勢は一歩も前進せず、ただ絶対的な威圧感をもって周囲を取り囲む観客席へと回った。


そして、関所の巨大な正門が、重々しい音を立てて開く。


歩み出てきたのは、黒銀の長袍を翻すシルフィード、たった一人だった。


「シルフィード……貴様、帝国の軍を後ろに控えさせておきながら、一人で出てくるとは……何の真似だ!?」


レオンの動揺混じりの問いに、俺は冷徹な眼差しを返した。


「約束したのだよ。お前を裁くのは、他人の手ではなく私の役目だとな。背後の帝国軍は、お前の部下が無駄な横槍を入れないための壁に過ぎん。……三千の軍勢を率いてきた勇者殿、たった一人の病み上がりと一騎討ちをする度胸はあるか?」


「……ハハッ! 一騎討ちだと!? 馬鹿めが! 帝国の竜騎士団に頼らず、俺と正面からやり合うというなら願ってもないことだ!」


レオンは自らの勝利を確信したように下劣な笑みを浮かべ、聖剣を両手で構えた。


「死ね、シルフィード! 神聖なる破邪の光よ、灰燼と化せッ!!」


黄金の神聖闘気が爆発的に立ち上り、かつて魔王をも切り裂いたとされる一撃が、単身の俺へと一直線に放たれる。


だが。


『対象術式コード:【聖光の神罰】【解析】完了』


『反転コード生成。【並列処理】スレッド1〜64にて逆位相魔力を構築』


『神聖通信ログ照合。【万象の記録庫】により、初代勇者の加護契約を閲覧』


俺は一歩も動かず、ただ冷ややかに指先を鳴らした。


パチン、と。


黄金の斬撃は、俺の鼻先数ミリで粒子となって霧散した。


それどころか、術式の反動が回路を逆流し、レオンの右腕の黄金甲冑がバキバキと音を立てて砕け散る。


「ぐ、あああっ……!? な、何が……!? 俺の聖剣の力が……!?」


激痛に顔を歪め、地面に膝をつくレオン。


三千の王国兵が呆然と立ち尽くす中、俺は静かに歩み寄った。


「お前は本当に何も理解していないな、レオン。お前が使っているその力は、前世で私が構築し、神が形式化した術式そのものだ。生みの親である私に向かって、他人の借り物の術式が通じると思ったのか?」


「ば、化け物……! 貴様、何者なんだ……!? たかが一公爵の小僧が、なぜそんな――」


「まだ分からないか?」


俺はレオンの喉元へ、氷のように冷たい魔力刃を突きつけた。


「魔王城の玉座の前、お前が背後から刺した『名もなき魔術師』の顔を……まさか、忘れたわけではあるまい?」


その一言を聞いた瞬間。


レオンの瞳が、これ以上ないほどの絶望と恐怖で見開かれた。


「あ……ア……アレン……!? お、前……死んだはずの……大魔術師アレン……なのか……!?」


第3幕:剥ぎ取られた栄光


「なぜだ……!? あの時、魔王城でお前の心臓を確実に貫いたはずだ! 跡形もなく灰になったはずなのに……なぜ、貴様が生きている……!?」


歯の根が合わず、ガチガチと音を立てて震えるレオン。


「神がお前の浅ましさに愛想を尽かした、とでも言っておこうか」


俺は冷ややかに見下ろし、自由を奪われたレオンの胸元へと手を伸ばした。


【解析】によって、神が形式化した勇者の加護の術式核を捉える。


『神聖権能プロトコル認証――【万象の記録庫】による神の委託行使』


『勇者資格の強制抹消および加護の剥奪――実行』


パキィン……ッ!


澄んだ硝子が割れるような音が、峡谷の空に反響した。


レオンの胸元から眩い金色の粒子が溢れ出し、天へと還っていく。


それと同時に、レオンの手から転がり落ちた聖剣の刀身が黒ずみ、ただの錆びた鉄くずへと成り果てた。


「あ……ああああっ!? お、俺の加護が……! 聖剣の輝きが消えていく……!? 返せ、俺の力だ! 俺は世界を救った勇者様なんだぞ……!」


力だけでなく、神の加護によって保たれていた肉体の若々しさと覇気すら抜け落ちていく。


レオンの肌は急速に張りを失い、ただの矮小で見苦しい男へと堕ちていった。


「お前の力など、最初から何一つなかったのだよ。……他人の功績を奪い、妹を愚弄し、分不相応な栄光に溺れたツケだ。ここで清算させてもらう」


俺は右手を軽く振り抜いた。


不可視の衝撃波がレオンの両膝と両腕の関節を正確に砕く。


「ぎゃあああっ!!」


悲鳴を上げて転がるレオン。


その光景を、背後に控えていた三千の王国兵たちは、誰一人として助けに入ろうともせず、ただ恐怖と戦慄で見つめていた。


『英雄様が……一撃で……』


『加護を奪われた……? やはり、あの噂は本当だったのか……』


兵士たちの動揺が頂点に達したその時、断崖の上から悠然たる声が降ってきた。


「王国軍の兵たちよ、武器を捨てよ」


皇太子ユリウスが、黒竜の背から冷然と言い放った。


「貴様らが仕える王は無能にして破滅の途にあり、掲げた勇者はただの盗人にすぎなかった。今ここで降伏するならば、我がガリア帝国とアルスハイム公爵の名において、命の安全を保障しよう」


カラン、と一振りの槍が地面に落ちたのを皮切りに、三千の軍勢が一斉に武器を投げ捨て、地面に平伏した。

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