五話
兄妹の再会を喜び合ったのも束の間、城門を警備していた騎士隊長が青ざめた顔でバルコニーへと駆け込んできた。
「か、閣下! 西の街道より、漆黒の重装甲冑を纏った軍勢がこちらへ向かっております! 旗印は黒鷲に双剣、ガリア帝国皇室直属の近衛騎士団です!」
「なっ……帝国軍!?」
セリアが息を呑み、俺の服の袖をぎゅっと握りしめた。
「お兄様、まさか王家が帝国に我が領の討伐を依頼したのでしょうか……?」
「落ち着きなさい、セリア」
俺は窓の外へ視線を向け、【解析】と【並列処理】を静かに立ち上げた。
領地の外縁、数キロ先を進軍する軍勢をスキャンする。
(……先頭は皇室専用の豪奢な馬車が一台。周囲を固める竜騎士たちの魔力反応に、敵意や殺気はない。武装こそ厳重だが、侵略のための布陣ではないな。親善、あるいは護衛のための儀仗兵だ)
「迎撃の備えは崩さずにおけ。ただし、先制攻撃は禁ずる。私が正門で迎えよう」
「お、お兄様、私もまいります!」
気丈に胸を張るセリアの手を取り、俺は領主城の正門へと降り立った。
やがて、地鳴りとともに漆黒の騎士たちに守られた豪奢な馬車が正門の前へと滑り込んできた。
扉が開き、降り立ってきたのは、銀の刺繍が施された軍礼服を纏う見目麗しい青年だった。
燃えるような紅い瞳に、夜空のように深い藍色の髪。
ただそこに立っているだけで周囲の空気を支配する、圧倒的な覇気と品格。
大陸最強の大国。ガリア帝国の皇太子、ユリウス・フォン・ガリアその人であった。
ユリウスは整列するアルスハイム家の私兵たちを一瞥することもなく、まっすぐに俺の前へと歩み寄ってきた。
そして、不敵かつ爽やかな笑みを浮かべ、右手を差し出してきたのだ。
「初めまして、アルスハイム公爵。……いや、前王国を影から完璧に支配していた『真の宰相閣下』とお呼びするべきかな?」
周囲の騎士たちが息を呑む中、俺は眉ひとつ動かさずにその手を見つめた。
「帝国の皇太子殿下自ら、辺境の公爵領へ何の御用ですかな。王国への使節団として赴かれたはずでは?」
「あんな無能の巣窟など、最初から行く価値もない」
ユリウスは切り捨てるように笑い、懐から一通の書状を取り出した。
「我が帝国の密偵は優秀でね。昨夜、王宮の夜会で貴殿が偽りの勇者を跪かせた場面も、玉座の間で愚かな国王に引導を渡した一部始終も、すべて特等席で見届けさせていただいたよ」
ユリウスの紅い瞳が、知性と野心にギラリと光る。
「我が帝国は以前から疑問に思っていたのだ。代々無能と怠惰で知られる王家が、なぜここ半年間、完璧無比な通商条約や軍事配備の書類を提示してこられたのかをな。……調べれば調べるほど、そのすべてが寝たきりのはずのアルスハイム公爵の執務室を経由していた。貴殿が手放した瞬間、あの国は一日で麻痺したそうじゃないか」
「買い被りです。私はただ、無能どもの尻拭いをやめて領地に帰ってきただけにすぎません」
「ハハハ! それを一晩でやってのける男を、世間では怪物と呼ぶのだよ」
ユリウスは豪快に笑った後、ふと真剣な表情へと戻り、俺の隣に立つセリアへと目を向けた。
礼儀正しく胸に手を当て、優雅に一礼する。
「美しいお方だ。貴女がセリア公爵令嬢ですね。あの愚かな勇者に愚弄されたと聞きましたが……宝石を泥水に落とすような真似をした愚か者に、我が帝国も心底呆れ果てております。貴女のような聡明で気品ある女性を蔑ろにする国など、滅びて然るべきだ」
「えっ……あ、ありがとうございます、殿下……」
思いがけない大国の皇太子からの賛辞に、セリアは頬を染めながらも、公爵令嬢として完璧な淑女の礼を返した。
ユリウスは再び俺に向き直り、熱を帯びた眼差しを向けてきた。
「アルスハイム公爵。いや、シルフィード殿。単刀直入に本題に入ろう。貴殿とセリア嬢、そしてアルスハイム公爵家丸ごと、ぜひ我がガリア帝国へ来ていただきたい」
背後に控えるハンスや家臣たちが「て、帝国へ招致……!?」と息を呑んだ。
「貴殿ほどの至宝を、あのような泥舟の小国に腐らせておくのは世界の損失だ。我が帝国に来ていただけるなら、帝国最高位の帝国筆頭公爵の地位と広大な領地を用意する。セリア嬢には帝室に連なる最上級の庇護と名誉を約束しよう。……さらに言えば、貴殿には我が帝国の魔導技術開発と国政の全権を握る帝国最高宰相の座を空けて待つつもりだ」
あまりにも破格、国家の根幹を委ねるに等しい猛烈なスカウトだった。
「とはいえ……貴殿がこの先祖代々の領地と領民を愛していることも承知している。もし直ちに帝都へ移住するのが難しいなら、まずはこの公爵領ごと帝国に組み入れる形でも構わない。あるいは対等な盟友として、帝国の後ろ盾のもとで王国をじっくり料理してくれてもいい。……どうだろうか、我が手を取ってはくれないか?」
俺は静かに【解析】と【万象の記録庫】を起動し、ユリウスの言動と帝国の内部事情をスキャンする。
(嘘偽りはないな。この皇太子は、小国の利権など眼中にない。私の並列処理による統治力と、前世から受け継ぐ古代魔導技術の価値を心の底から渇望している)
俺は口元に薄い笑みを浮かべ、差し出されたユリウスの手を強く握り返した。
「破格のお誘い、光栄に思います、ユリウス殿下。帝国へ赴く件、前向きに検討いたしましょう。……ですがその前に、一つだけ片付けるべきケジメがあります」
「ほう? 何かな?」
「あの勇者レオンの首だけは、他人の手で落とさせないでいただきたい。我が妹を泣かせ、前世から続く因縁のツケを払わせるのは、この私の手でなければなりませんので」
俺の冷徹な殺気を感じ取ったユリウスは、満足そうに瞳を細め、愉快そうに笑った。
「交渉成立だ、我が友よ。貴殿の復讐が終わるその瞬間まで、帝国の全軍と竜騎士団を貴殿の盾として貸し出そう。……さあ、愚かな豚どもに、世界を動かしていた至宝を自ら手放した代償を教えてやるとしよう」




