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18話

大陸全土の平和が確立し、外なる神の脅威も去ったガリア帝国。

帝都宮殿の『白銀の執務室』では、最高宰相シルフィードの【並列処理】が、本日も異次元の効率で静かに唸りを上げていた。

シュババババッ。

空中に展開された数十本の術式ペンが、次々と書類に決済印を押し、整理整頓されたラックへと書類が吸い込まれていく。

執務開始から、わずか四十分。本日予定されていた帝国の内政・外交・魔導インフラの全決済が完了した。

「……ふう。今日の分は片付いたな」

シルフィードが軽く首を鳴らして立ち上がると、執務室の扉から皇太子ユリウスが書類の束を抱えて入ってきた。

「おいおいシルフィード、帝国全土の年間予算編成の最終案、もう片付けたのか? 官僚たちが今日も『宰相閣下が神速すぎて自分たちの仕事がない』と涙目で喜んでいたぞ」

「午前中で終わらせるのが私の基本方針ですので。……ユリウス殿下、午後の残務は任せても?」

「ん? どこか出かけるのか? まさか隣国の視察か?」

「いえ。セリアが通う帝立魔導学院へ、妹の様子を見がてら息抜きに行ってきます」

「……息抜きに魔導学院だと? 帝国最高権力者の貴殿が抜き打ちで見回りに来たら、教官たちが胃に穴を開けて倒れるぞ」

ユリウスが呆れ顔で額を押さえるのを背に、シルフィードは涼しい顔で執務室を後にした。

午後。帝立魔導学院の大演習場。

そこでは上級生と特待生たちを集めた高等術式制御実習が行われていた。

「くっ……だめだ、第三節の魔力収束がどうしてもブレる……!」

帝国屈指の名門貴族の嫡子たちが、標的の巨岩に向かって火炎や雷撃の術式を展開しようとしては、途中で暴走、霧散させて悔しがっている。

その生徒たちの先頭には、すっかりセリアの熱狂的な親友となった筆頭公爵令嬢エレナの姿もあった。

「セリア様! わたくしの【紅蓮の劫火】、どうしても発動に五秒もかかってしまいますの! これではセリア様をお守りする盾として不完全ですわ……!」

「エレナさん、焦らなくて大丈夫ですよ。体内の魔脈がまだ少し緊張しているだけですから」

聖母のような微笑みでエレナを励ますセリア。

その時、演習場の入口からコツコツと革靴の澄んだ足音が近づいてきた。

ざわついていた生徒たちが一斉に振り返り、次の瞬間、教官を含む全員が息を呑んで直立不動となった。

『さ、最高宰相閣下……!?』

『アルスハイム公爵閣下が、なぜここに……!?』

黒銀の宰相長袍を纏ったシルフィードが、悠然と歩み寄ってきたのだ。

「お兄様!」

セリアが顔を輝かせて駆け寄ってくる。

「セリア、調子はどうだ?」

「はい! みんなで高位魔術の制御を練習していたところです!」

シルフィードが微笑んでセリアの頭を撫でると、生徒たちから「う、噂には聞いていたが、あの大宰相閣下が妹君の前ではあんなに優しい顔を……」と小さなどよめきが走る。

そこへ、エレナが優雅にカーテシーを決めて進み出てきた。

「シ、シルフィード閣下……! 本日はセリア様のご様子を見に来られたのですか?」

(かつて家を取り潰されかけ、追加課税五十パーセントで許された恩人にして最恐の兄君……!)と内心で背筋を凍らせながらも、敬意を尽くすエレナ。

「ああ。仕事が早く片付いたのでな。……しかし、教官殿。少々、指導方針が古臭いのではないか?」

シルフィードが演習場の教官に視線を向けると、歴戦の老魔導教官が震え上がった。

「め、滅相もございません閣下! これは帝国に伝わる由緒正しき伝統の魔力圧縮法でして……!」

「千年前の非効率な理論にしがみついているだけだ。生徒たちの魔力回路に無理に魔力を押し込もうとして術式ノードが詰まっている。それでは撃てるものも撃てん」

シルフィードは歩み出て、先ほど術式を失敗していた男子生徒の肩にそっと指先を触れさせた。

「君、右肩の第二魔脈に生まれつきのねじれがあるな。術式を編む際、息を吐きながら喉元から魔力を流すイメージを持て」

「えっ……あ、はい!」

生徒が言われた通りに息を吐きながら杖を振ると――

ドゴォォォン!!

標的の巨岩が、かつてないほどの巨大な烈風弾によって粉々に消し飛んだ。

「詠唱破棄で……一瞬で発動できた……!?」

生徒が自らの手を見つめて呆然とする。

「次はエレナ嬢だな」

「は、はいっ!」

緊張で強張るエレナに対し、シルフィードは淡々と告げた。

「お前は名門の誇りを意識しすぎて、魔力を過剰に尖らせている。炎は力で押し出すものではなく、大気中の酸素魔素と共鳴させるものだ。セリア、手本を見せてやれ」

「はい、お兄様」

セリアが前に出て、ふわりと掌を標的に向けた。

力みなど一切ない、澄み渡る所作。

ボウッ……と静かに生み出された青白い神聖炎が、音もなく巨岩の破片を包み込み、一瞬にして分子レベルで蒸発させた。

「す……すごいですわ……! 力むのではなく、共鳴……!」

エレナが即座に真似をして手をかざすと、今まで五秒かかっていた発動が、わずか一秒未満で美しい紅蓮の火柱となって天を衝いた。

演習場の全生徒と教官たちが、口をあんぐりと開けて静まり返った。

『たった一言のアドバイスで、全員の術式が跳ね上がったぞ……』

『教官より百倍分かりやすい……いや、神の講義だ……!』

生徒たちの目が、恐れから熱狂的な崇拝へと変わっていく。

「ふむ。基本が整えば、生徒たちの魔力効率は三倍に引き上がるな。教官殿、指導カリキュラムの修正案を【並列処理】でまとめておいた。後で職員室の端末に送っておく」

「は、ははぁっ! ありがたき幸せにございます、閣下ぁぁっ!」

老教官がその場に平伏した。

「お兄様、すごいです! みんなの悩みが一瞬で解決しちゃいました!」

無邪気に喜ぶセリアに、シルフィードは優しく目を細めた。

「お前の学び舎だからな。優秀な仲間が増えるのは良いことだ。……さて、セリア。サロンでエレナ嬢とお茶にするのだろう? 私も一杯もらおうか」

「はい、お兄様! エレナさんが特製のクッキーを用意してくださっているんです!」

「わたくしの手作りですわ! ぜひ召し上がってくださいませ、閣下!」

帝国を揺るがす最高権力者は、妹の笑顔に囲まれながら、演習場を後にした。

国家を動かす激務の合間に、学園の常識を指先一つで塗り替えていく。そんな至高の日常が、帝都に穏やかに続いていた。

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