第6章 ゴジラが出た。それで日本政府は?
『パトレイバー』では、巨大ロボットという大嘘を現実の社会制度へ落とし込んだ。
では、もっとどうしようもないものが現れたらどうなる。
ゴジラである。
ゴジラという存在自体も、長い歴史の中で立場がかなり変わってきた。
最初の『ゴジラ』では、基本的に人間にとって恐怖であり災害だった。
人間の力ではどうにもならない巨大な脅威が東京へやってくる。
ところがシリーズが続いていくと、別の怪獣と戦い、人類側から見れば結果的に守ってくれるような存在として描かれる時期も出てくる。
子供向けのヒーローに近い立場まで行くこともあった。
その後、再び「人間にとって恐ろしい存在」として描かれる作品も増えていく。
もちろんゴジラシリーズは長いので、きれいに「恐怖→ヒーロー→恐怖」と一本線で整理できるわけではない。
作品ごとに立場は違うし、同じ作品の中でも単純な善悪に収まらないゴジラもいる。
ただ、時代によって「ゴジラをどう見るか」がかなり変化してきたこと自体は面白い。
そして『シン・ゴジラ』では、ゴジラそのものとは別のところに強烈なリアリティが置かれた。
巨大怪獣が現れた時、日本政府はどうするのか。
正体も分からず、どこから来たかも分からない。次に何をするのかも、攻撃が効くのかも分からない。
そんなものが突然現れた時、誰が判断するのか。
情報を集め、会議をし、専門家を呼び、自衛隊を動かし、避難を考え、必要なら海外とも調整する。
普通の怪獣映画なら「怪獣出現! 自衛隊出動!」の一言で飛ばしても成立する部分を、『シン・ゴジラ』は物語の中心へ持ってきた。
ここが面白い。
ゴジラがリアルになったわけではない。
巨大生物が東京を歩いている時点で、十分に大嘘である。
リアルになったのは、ゴジラを見た人間社会の反応だ。
道路が止まり、電車が止まり、避難が必要になり、誰かが責任を持って判断しなければならない。
人間側が俺たちの知っている社会と地続きに動くから、そこにいるゴジラまで妙に本物っぽく見える。
これは『パトレイバー』と同じ方法だと思う。
レイバーそのものは架空でも、それが普及した社会がちゃんと反応している。
ゴジラそのものは架空でも、それが現れた日本がちゃんと反応している。
架空の存在をリアルにするのではなく、周囲をリアルにする。
そうすると、大嘘の方まで説得力を持つ。
ここで『ルリドラゴン』を少しだけ思い出す。
ルリが人前で火を吐くという出来事も、広げようと思えば、研究者や行政、さらに国まで動く話にできる。
でも『ルリドラゴン』はそこへ行かない。
描きたいのは「ドラゴンが実在すると分かった日本政府」ではなく、角が生えた女子高生が明日も学校へ行く話だからだ。
この違いは、リアリティがあるかないかではない。
どのリアリティを描くかの違いだと思う。
『シン・ゴジラ』は社会のリアリティを描き、『パトレイバー』は制度や仕事のリアリティを描く。
そして『ルリドラゴン』は、もっと身近なところにカメラを置く。
同じ大嘘を置いても、その後どこへカメラを向けるかで作品はまったく違うものになる。
そう考えると、「最近の作品はリアルになった」という言い方はやっぱり少し違う。
現実に近くなったのではない。
リアリティを求める場所が増えた。
あるいは、今まで省いていた場所まで物語にできるようになった。
ただ、ここで一つ気になることがある。
昔の読者は、本当にそういうことを何も考えていなかったのだろうか。
そんなはずはない。




