横道② 今昔ラブコメ論――「早く付き合えよ」は、なぜ言われるようになった?
異能や巨大ロボットの話から、ちょっと横道に逸れる。
今回「昔のお約束と今のお約束は違う」という話を書いていて、まったく別のジャンルにも似たような変化があったことを思い出した。
ラブコメである。
最近のラブコメでは、かなり早い段階で付き合ったり、最初から関係が成立していたりする作品も珍しくなくなった。
そういう作品を普通に読むようになったせいか、昔の作品を読み返したり、昔ながらの「付き合うまで」を長く引っ張るタイプの作品を読むと、俺は時々思う。
「もう付き合えよ」
お互いどう見ても好きで、一緒に出掛け、嫉妬もする。周りの人間にはとっくにバレているのに、本人たちだけが延々とくっつかない。
昔なら、それがラブコメだった。
『めぞん一刻』なんて、まさに「付き合うまでが物語」の代表みたいな作品だったと思う。
五代と響子さんは少しずつ相手を意識していく。でも簡単には進まない。
誤解したり、すれ違ったり、三鷹がいたり、こずえちゃんがいたり、言えば済むことをなかなか言えなかったりする。
今読むと「いや、もうちゃんと話せよ」と言いたくなるところもある。
でも、それでよかった。
二人が結ばれることが大きなゴールだから、そこへ向かうまでの時間そのものが物語だった。
ラブコメには長い間、そんな「お約束」があったように思う。
告白しようとしたら誰かが入ってくる。大事なところだけ聞こえない。勘違いする。新しいライバルが現れる。両想いなのに、なぜか本人だけ気付かない。
今なら「それ、作者がまだ付き合わせたくないだけだろ」と言いたくなるような展開でも、昔は物語を続けるための仕掛けとしてかなり普通に受け入れられていた。
もちろん、昔から全部の恋愛漫画がそうだったわけではない。
むしろ、その形から少しずつ外れていった作品を並べてみると面白い。
『藍より青し』では、主人公の薫と葵の関係はかなり早い段階で成立している。
周囲には色々事情があるし、そのまま簡単に結婚して終わりという話でもない。でも物語の中心にいる二人について、「どっちとくっつくんだ?」を延々と引っ張る作品ではない。
大事なのは、二人が想い合った後にどうやって関係を続けていくかだった。
『ラブロマ』になると、さらに分かりやすい。
恋愛漫画なのに、かなり早い段階で告白して付き合ってしまう。
最初に読むと「え、もう?」と少し驚く。
でも当然、漫画はそこで終わらない。
付き合った後の二人が一緒に帰り、デートし、照れたり喧嘩したりする。
考えてみれば、恋愛は付き合った瞬間に終わるわけではないのだから、当たり前の話である。
それまで物語のゴールだった「交際開始」を、途中どころかスタート地点の近くまで持ってきても、ちゃんとラブコメは成立する。
『謎の彼女X』も面白い。
とんでもなく変な出会い方をする二人だけれど、椿と卜部は比較的早い段階で恋人になる。
そこから先に、あの二人独特の距離感を延々と描いていく。
つまり、「付き合うかどうか」より「この二人は付き合ったらどうなるんだ」を見る作品になっている。
そして今では、『トニカクカワイイ』みたいに、付き合うどころか最初から結婚してしまう作品まである。
告白を引っ張る余地すらない。
結婚してから始めればいい。
一方で、『その着せ替え人形は恋をする』は少し違う。
五条と海夢は、すぐに付き合うわけではない。
でも海夢の方は、かなり早い段階で「自分は五条のことが好きなんだ」と自覚している。
ここが俺はすごく好きだった。
昔ながらのラブコメなら、ここから「これは恋なのか?」「いや違うかも」と延々と本人に気付かせない展開も作れただろう。
でも海夢は、自分の気持ちに気付いたら割と素直にそれを受け入れる。
それでも二人がすぐ付き合うわけではないのだけれど、その間も一緒にコスプレを作り、イベントへ行き、五条も海夢も相手を見る目が少しずつ変わっていく。
だから「まだ付き合わないのか」と思っても、話そのものが止まっている感じはあまりしない。
そして終盤、一度はこのまますれ違ってしまうのかと思わせる流れから、一気に関係が動く。
あの展開は気持ちよかった。
特に海夢の性格がいい。
昔のラブコメなら、ちょっとした勘違いや嫉妬を何話も引っ張って、せっかく縮まった距離をまた元に戻してしまいそうな場面でも、海夢の明るさや素直さが、その嫌な流れをどんどん壊していく。
だから付き合うまでには時間がかかっているのに、「作者が二人を足止めしている」という感じがあまりない。
関係はちゃんと進んでいる。
そして一度大きく動き始めてから最終回までのテンポもいい。
ここを考えると、「最近のラブコメは付き合うのが早い」というだけでは、少し足りないのかもしれない。
付き合うまで時間をかけてもいい。
ただ、その時間の中で関係をちゃんと進めてほしい。
『着せ恋』は、その別の答えだったように思う。
『正反対な君と僕』は、また別の形で分かりやすい。
鈴木と谷はかなり早い段階で付き合う。
でも、そこからがちゃんと面白い。
付き合ったから全部解決するわけではなく、距離の取り方も分からないし、周りの友達との関係もある。それぞれの性格もある。
そして主人公たちだけでなく、周囲の恋愛まで動いていく。
恋人になることがゴールではなく、その先にもいくらでも物語がある。
こういう作品をたくさん読んでしまうと、昔ながらの「どう考えても両想いなのに付き合わない」を長く続けるのが、だんだん難しくなる。
読者が「付き合わせても話は続けられるじゃん」と知ってしまったからだ。
そして『着せ恋』のような作品を読めば、もう一つ分かる。
「付き合うまで時間をかけても、その間にちゃんと関係を進めればいいじゃん」
ということもだ。
一度これを知ってしまうと、告白しようとするたびに誰かが邪魔して、結局昨日と同じ位置まで戻る展開を何度も繰り返されると、キャラクターより作者の姿が見えてしまう。
「今くっついたら困るんだな」と思ってしまう。
ここで思い浮かぶ人がいる。
服部平次である。
『名探偵コナン』の平次と和葉は、長いこと「もう、お前ら早く付き合えよ」の代表みたいな二人だった。
平次は和葉への気持ちを自覚し、告白しようともする。ただし、どうせ告白するなら格好いい場所で、工藤新一に負けないような告白をしたい。
ところが事件が起きたり、邪魔が入ったり、タイミングを逃したりして、なかなか成功しない。
「平次、お前いつまでやってるんだ」
と、何度思ったことか(笑)。
ところが、その平次と和葉もついに原作では関係が進んだ。
ここが今回の話としては、むしろ面白い。
長年「告白できそうでできない」を繰り返してきた二人でも、いざ成立させてしまえば、今度はその先を描ける。
つまり『コナン』ですら、「付き合ったら終わり」ではないところまで来たわけだ。
もちろん『名探偵コナン』の場合、本筋は恋愛漫画ではないので単純に他のラブコメと比べるのも違うだろう。
それでも、「告白を成功させたら、この二人の話は終わってしまう」というわけではないことを、長期連載そのものが示しているのは面白い。
ここまで来ると、今回の話とかなりつながってくる。
昔なら「ラブコメだから、なかなか付き合わない」で済んだ。
告白を邪魔するイベントも、「そういうもの」として読めた。
それが何度も使われ、「付き合った後を描くラブコメ」や「付き合うまでの関係そのものを前へ進めるラブコメ」が当たり前に存在するようになると、同じ仕掛けが違って見えてくる。
お約束だったものが、物語延命装置に見えてしまう。
そして延命装置だと気付いた瞬間、「作者都合だな」と感じるようになる。
これも、今回ずっと考えている「漫画だから」で許される範囲の変化と同じなんじゃないだろうか。
昔のお約束が間違っていたわけではない。
『めぞん一刻』は、あの時間をかけたからこそ最後が効く。
今それを全部短縮すれば良くなる、という話でもない。
逆に今でも、付き合うまでをじっくり描いて面白い作品は当然ある。
問題は、その引っ張っている時間そのものに面白さがあるかどうかだ。
二人の気持ちが少しずつ変化し、関係が進んでいるなら読める。
でも、昨日と同じ場所に戻すためだけに「聞こえなかった」「邪魔が入った」を繰り返せば、今の読者には仕掛けが見えやすい。
異能の話と同じで、読者の側が「その手」を覚えてしまったのだと思う。
「付き合ったら終わり」というお約束は弱くなった。
代わりに、「付き合ってからも面白くできる」「付き合うまで時間をかけても、その間を面白くできる」という別のやり方を、読者が知った。
お約束はなくならない。
時代に合わせて、入れ替わっていく。
そう考えると、俺が昔のラブコメを読み返した時に「早く付き合えよ」と思う回数が増えたのも、単に年を取って気が短くなっただけではないのかもしれない。
まあ、それも多少はあるだろうけど。




