第1章 日常に異能がやってきた
考えてみれば、「普通の生活の中に、普通ではないものが入り込んでくる」という話は、かなり昔からあった。
『オバケのQ太郎』ではオバケが普通の家に居候する。『ドラえもん』では未来から来たネコ型ロボットが押し入れで寝ているし、『がんばれ!!ロボコン』ではロボットが人間の家に住み込む。『うる星やつら』では宇宙人のラムが諸星家に入り込み、そのまま学校にまで通ってくる。
今考えると、とんでもない連中ばかりである。
未来のロボットが一家庭に住み、宇宙人が高校へ通い、オバケが近所の子供と遊ぶ。本当にそんなものが現れたら大事件のはずなのに、作品の中では驚くほど早く日常になってしまう。
最初こそ「なんだこいつ?」となっても、そのうち普通にいつものメンバーの一人になる。
『きまぐれオレンジ☆ロード』になると、少し形が違う。春日恭介とその家族は超能力を使えるが、それを世間に知られてはいけない。
こちらは異能が堂々と日常へ入り込んでいるのではなく、日常の裏側に秘密として存在している。
それでも、物語の主戦場は世界を救う戦いではない。学校へ行き、恋をして、友達と遊ぶ。その途中で超能力が便利だったり、逆に面倒を起こしたりする。
特殊能力そのものより、普通の生活の方が中心にある。
今回扱いたい「日常+異能」というのは、まずこの辺りの作品だと思う。
異能が出てくれば何でもいいわけではない。魔法や超能力、宇宙人や妖怪がいても、物語の中心が学校や家庭や仕事にある。
特殊能力があるのに、今日も普通に暮らしている。
そこが重要なのだと思う。
『ドラえもん』なんて、その極端な例かもしれない。
未来の科学技術を持ったロボットが、毎日のように現代では不可能な道具を取り出す。どこでもドア一つ取っても、本当に存在したら交通も物流も国境も全部ひっくり返りそうな代物である。
でも作品はそこへ行かない。
のび太が宿題を嫌がり、ドラえもんが道具を出し、調子に乗って失敗する。それでいい。
未来技術が世界へ与える影響を描く作品ではなく、未来技術がのび太の日常へ与える影響を描く作品だからだ。
『うる星やつら』も似ている。最初は宇宙人による地球侵略という、とんでもなく大きな話から始まるのに、その後に始まるのは友引高校を中心としたドタバタである。
宇宙人も妖怪も幽霊も出てくる。それでも、いつの間にか「そういう奴らがいる町」になってしまう。
普通なら世界観をひっくり返すような存在を登場させておいて、それを日常の一部にしてしまう。
昔の作品では、そこに長い説明を必要としなかった。
「こいつはオバケです」「未来から来ました」「宇宙人です」「超能力者です」
それを聞けば、とりあえず話を始められる。読者も「なるほど、そういう漫画ね」と受け入れる。
もちろん当時でも、設定を細かく考えた作品はいくらでもあったし、読者だって何でも無条件に受け入れていたわけではない。
ただ、「最初の大嘘を一つ飲み込んでから楽しむ」という感覚は、かなり強かったように思う。
そして重要なのは、この時代にすでに「日常+異能」という型が成立していたことだ。
異能は必ずしも戦うためのものではない。世界を救うためでもない。毎日を少し変にするために存在していてもいい。
未来のロボットがいても、宇宙人がいても、超能力があっても、明日になればまた学校へ行く。
この感覚は、形を変えながら今の作品まで続いている。




