第0章 角が生えた。それで学校はどうする?
『ルリドラゴン』を読んでいて、ふと思った。
主人公の頭に角が生えた。ドラゴンの血を引いているらしい。まあ、漫画なのでそこはいい。俺が気になったのは、その次だった。
「これ、学校はどうするんだ?」
頭に角が生えた女子高生が、そのまま普通に学校へ行く。友達は驚くし、クラスメイトも見る。先生だって当然気付く。それでも学校生活は続いていく。
そこで妙なことに気付いた。
昔だったら、こんなことはあまり気にしなかった気がする。「そういう漫画だから」で、そのまま読んでいたはずだ。
考えてみれば、昔の漫画にはもっと無茶な奴がいくらでもいた。宇宙人が学校にいたり、ロボットが町を歩いていたり、魔法を使う奴がいたりする。妖怪もいれば超能力者もいるし、人間じゃない奴が普通に近所に住んでいることだってあった。
それを見ながら、「住民票はどうなってるんだ」「戸籍はあるのか」「学校は入学を認めるのか」なんて、いちいち考えてはいなかった。
漫画だから。そういう世界だから。
それで通っていた。
もちろん、昔の漫画が全部いい加減だったという話ではない。細かい設定までしっかり作っていた作品はいくらでもある。それでも、作品側が説明しない部分を、読者の側がある程度そのまま受け入れていたのは確かだと思う。
最近の作品を読んでいると、その辺りの感覚が少し変わっているように感じる。
現代日本で突然超能力に目覚めた高校生がいたとする。能力そのものは受け入れられる。漫画なのだから、そこに文句を言っても仕方がない。
ただ、その力を人前で使った瞬間、今の俺は別のことを考えてしまう。
誰かが動画を撮る。SNSに上がる。拡散される。学校や家族が特定されるかもしれない。場合によってはテレビ局や警察まで動く。
そこを完全に無視して、何事もなかったように翌日も普通の学校生活が続くと、「いや、さすがにそれは変じゃないか」と引っ掛かる。
(まあ、俺が知らないだけで、すでに上手いことやっている作品もあるのかもしれないが)
少しおかしな話でもある。そもそも超能力が存在している時点で現実ではないし、ドラゴンの血を引いた女子高生だって現実にはいない。それでも、そういう存在自体は受け入れられるのに、周囲や社会の反応が不自然だと気になってしまう。
どうやら、フィクションに求めるリアリティは「現実と同じであること」とは少し違うらしい。
そんなことを考えていると、昔見ていた作品が次々と思い浮かんできた。『うる星やつら』では宇宙人が普通に地球へやってくるし、『らんま1/2』では水をかぶると性別が変わる。『Dr.スランプ』ではロボットの少女が学校へ通う。特撮なら毎週のように怪人や怪獣が現れるし、巨大ロボットが町の中で戦う作品も珍しくなかった。
当時の俺は、そういうものを見ながら「行政は何をしているんだろう」などとは、ほとんど考えていなかった。
だからといって、昔の作品にリアリティがなかったわけでも、昔の読者が何も考えずに見ていたわけでもない。
たぶん、そこには時代ごとの「お約束」があった。
作品はここまで説明する。読者もここまでは受け入れる。その間に、暗黙の了解みたいなものがあったのだと思う。
そして、その境界線が少しずつ動いてきた。
昔なら説明しなかったことを、今は説明する。昔なら背景でしかなかった社会の反応が、今では物語そのものになる。
ただ、全部を現実的にしようとすれば、今度は話が進まなくなる。漫画なのに役所の手続きや法律の話ばかりになってしまったら、それはそれで困る。
フィクションには、現実ではないからこその面白さがある。その一方で、どこまでなら「漫画だから」で受け入れられるのか、その線引きは昔と今で少し違ってきているように見える。
今回は、その変化について考えてみたい。
漫画だけではない。アニメも、特撮も、怪獣も、ロボットも含めて、昔から俺たちは現実にはあり得ないものを大量に見てきた。
それでも作品によって、「これはアリ」と思えるものと、「いや、それはさすがに変だろ」と感じるものがある。
まずは、頭に角が生えた女子高生が、次の日も普通に学校へ行く。
そんなところから始めてみようと思う。




