横道③ 『うる星』『らんま』を今、新作として出したら?
昔の作品のお約束は、今でもそのまま通用するのだろうか。
これを考える時、ものすごく分かりやすいのが『うる星やつら』と『らんま1/2』だと思う。
どちらも今になって再アニメ化され、新しい映像で再び世に出ている。
だから、「ほら、昔のお約束は今でも通用するじゃないか」と言えそうな気もする。
でも、ちょっと待ってほしい。
俺たちは『うる星やつら』も『らんま1/2』も、すでに知っている。
昔からある作品だと知っているし、高橋留美子の代表作だということも知っている。
つまり、見る側に最初から「これは昔こういう作品として作られたものです」という前提がある。
では、これが完全な新作だったらどうだろう。
新人漫画家が今いきなり「宇宙人が地球を侵略しに来ます」と始める。ここまではいい。SF漫画なら普通にある。
ところが、その次に「地球の命運は鬼ごっこで決めます」となる。
さすがに「なんで?」とは思う。
さらに主人公が宇宙人の女の子の角をつかんで勝ち、その女の子が主人公の言葉を勘違いして「結婚するっちゃ」となり、そのまま主人公の家に居候する。しかも学校にも来る。
地球侵略の話は、いつの間にか高校生のドタバタラブコメになっている。
文字だけ並べると、かなり無茶苦茶である。
今の新人がこれを第1話で出したら、コメント欄にはかなり色々書かれそうだ。
「なんで鬼ごっこ?」「政府は?」「宇宙人側、そんな条件でいいの?」「なんでそのまま普通に学校へ?」
たぶん俺も、どれか一つくらいは言う気がする。
でも『うる星やつら』として見ると、そんなことはどうでもいい。
ラムがいて、あたるが逃げ、電撃が飛び、友引町が滅茶苦茶になる。それで成立する。
ここには明らかに、「名作としてすでに知っている」という補正があると思う。
昔の作品だから。こういう時代の漫画だから。こういうものなんだ。
俺たちが最初から、そのお約束を知った状態で見ている。
だから、今の再アニメ化が受け入れられていることだけで、「同じ設定を今新作として出しても通用する」とは言い切れない。
一方で、『らんま1/2』はちょっと違う気もする。
水をかぶると女になり、お湯をかぶると男に戻る。
これも冷静に考えれば、とんでもない設定だ。
中国の呪泉郷という場所で泉に落ちたら、その泉で昔溺れたものの姿になる。説明としては、ほぼそれだけである。
科学的な理屈なんてない。
どうしてそんな泉があるのか、なぜ水とお湯で切り替わるのか、体重や骨格はどうなっているのか。考え始めたら、いくらでも突っ込める。
でも、不思議なことに、この設定は今でも案外すんなり飲み込める気がする。
「水をかぶると女になる。お湯をかぶれば戻る」
そういうルールです。
はい、分かった。
で済む。
たぶん、ルールが単純だからだと思う。一度覚えてしまえば、それ以上の説明はいらない。
作品も、そのルールを基本的には守る。だから読者も安心して、その設定を遊びとして受け入れられる。
そして何より、その設定が物語に直結している。
男として振る舞いたい場面で女になる。女の姿だから起きる騒動がある。恋愛にも影響するし、格闘にも影響する。
呪いそのものが、毎回の話を動かす仕掛けになっている。
ただ「変な設定があります」で終わっていない。
大嘘だけれど、ちゃんと面白さに使っている。
これは今でも強い。
考えてみると、今の作品だって非現実的な設定はいくらでもある。
異世界へ転生する。ゲームの中に入る。悪役令嬢になる。ダンジョンが現代日本に出現する。ステータス画面が見える。スキルをもらう。
どれも現実的ではない。
でも読者は、そこをいちいち疑わない。
「今回はそういう世界ね」で受け入れる。
つまり、現代の読者が非現実的な設定を嫌っているわけではない。むしろ大嘘そのものには、今でもかなり寛容だ。
問題になるのは、その大嘘を置いた後なのだと思う。
異世界転生そのものは受け入れる。でも、主人公が現代知識を使うなら「それ本当にその知識で作れる?」と気になる。
ダンジョンが現れたことは受け入れる。でも、何年も経っているのに法律も組織も何もないと「社会は何してるんだ」と思う。
水をかぶって女になることは受け入れる。でも、同じ条件なのに昨日と今日で変身のルールが違ったら気になる。
ここでも結局、「嘘をつくな」ではない。
「ついた嘘の後は、ちゃんとその嘘に付き合ってくれ」なのだ。
『らんま1/2』の呪泉郷は、とんでもない大嘘だ。でも、その大嘘が作品のルールとして定着している。だから今見ても強い。
『うる星やつら』も、宇宙人がいること自体は今でも十分通用する。ただ、鬼ごっこで地球の命運を決めるとか、侵略に来た宇宙人がそのまま高校へ通うとか、その辺まで含めると、今の新作ならもう少し説明を求められるかもしれない。
(まあ、逆にそこまで勢いよくやれば「細けえことはいいんだよ」で突破できる可能性もあるので、漫画というのは怖い)
結局、今の読者は昔より現実的な作品しか受け入れなくなったわけではない。
現実にはあり得ない大嘘は、今でも普通に歓迎される。
ドラゴンがいてもいい。魔法があってもいい。異世界へ行ってもいい。水をかぶったら女になってもいい。
ただ、その世界に入った後で、人間がどう動くのか、社会がどう反応するのか、作品自身が決めたルールを守っているのか。
そこを見る目が昔より細かくなった。
そう考えると、「昔の漫画は無茶が許された」というより、**無茶を許す場所が変わった**と言った方が近い気がする。
そして、この変化を一番分かりやすく見せている作品へ、本編最後に改めて戻ってみたい。
『ルリドラゴン』である。




