第8章 ネットが「物申す読者」を集合させた
ネットが広がって一番変わったのは、誰でもすぐに他人の感想を読めるようになったことだと思う。
掲示板ができ、個人サイトができ、ブログができ、SNSができた。動画のコメント欄や考察動画まである。
今なら、作品を見終わった直後に他人の感想を何百件でも読める。
昔なら一人で「ここ変じゃない?」と思って終わったものが、今なら検索した瞬間に「俺も思った」「いや、そこは前の話で説明されてる」「作者がインタビューで答えてる」と返ってくる。
一人の違和感が集合知になる。
これはものすごく楽しい。
自分では気付かなかった伏線を誰かが見つけ、元ネタを調べる人がいて、設定を全部並べて検証する人や時系列を作る人までいる。
その一方で、一度誰かに指摘されたら、それまで気にならなかったことまで気になるようになる。
「現代日本なのに、こんな大事件が起きて誰もスマホで撮らないのおかしくない?」と言われて、「あ、本当だ」となる。
次から自分も気になる。
こうして読者同士が、お互いに「ここを見るものなんだ」と教え合う。
ある意味では、作品を見る目そのものをネット上で共有している。
すると作者側も当然、それを知る。
「ここは突っ込まれるだろうな」と先回りして、特殊能力がバレない理由を作ったり、政府が何をしているのか説明したり、監視カメラに映らない理由を決めたりする。
ダンジョンがある世界なら、法律や探索者制度まで作る。
読者の疑問に作品側が答える。
その答えに読者が慣れる。
すると次の作品では、それが最初から期待される。
ここで、以前なろうについて考えた時の話とつながる。
Web小説では、テンプレがものすごい速度で共有される。
一つの型が流行り、似た作品が増え、読者が慣れる。そのままでは飽きられるので、今度はテンプレを少し崩す作品が出てくる。
「普通の追放物とは違います」「普通の悪役令嬢とは違います」「普通の異世界転生とは違います」
すると、その「違い」の付け方まで人気になり、やがてテンプレを崩す方法そのものがテンプレになる。
この循環がものすごく速い。
昔だって流行作品を真似した作品は大量にあっただろう。
ただ今は、読者が同時に大量の作品を比較できる。作者も他の作品を読めるし、感想欄で読者の反応もすぐ分かる。
だから、型が生まれてから消費され、変形され、新しい型になるまでの速度が速い。
今回の「リアリティ」も似ているのかもしれない。
誰かが「この世界、能力者がいるのに政府は何してるの?」と考える。それに答える作品が出る。
読者が「そうそう、そこまで考えてあると納得できる」と思い、その作品を読んだ次の作者は、最初から政府側の設定まで用意する。
すると今度は、そこまで説明していない作品が相対的に雑に見える。
リアリティの最低ラインが少し上がる。
でも、さらに進むと別の問題が出る。
全部説明するようになり、設定も説明も増え、話が進まなくなる。
すると今度は「そんなところどうでもいいから、早く話を進めてくれ」と言われる。
読者とは勝手なものである。
俺も含めて。
だからネットが作品を単純にリアルにしたわけではないと思う。
ネットは、読者が気になる場所を集めた。
そして、その情報を作者側にも返した。
その結果、「ここは説明した方がいい」「ここはもう読者も分かっているから飛ばしていい」という境界線が、ものすごい速度で動くようになった。
これが今と昔の大きな違いなのかもしれない。
ただ、そうなると少し面白い疑問が出てくる。
昔のお約束を、今そのまま新作として出したらどうなるのだろう。
『うる星やつら』は今でも再アニメ化されて受け入れられる。『らんま1/2』もそうだ。
でも、それは「昔からある名作」という前提を俺たちが知っているからなのかもしれない。




