表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/7

第2話 赤本の城壁

面談室のホワイトボードに、火野は太いマーカーで大きく書き殴った。


『嫌われずして避ける』


「嫌われずに……避ける?」


「そうだ。これは孫子の兵法における最高位の戦術、

『戦わずして勝つ』をヒントに私が編み出した――究極の『恋愛防御術』だ」


火野は、さも大発見をしたかのように自信満々に胸を張る。


(『嫌われずして避ける』って、『戦わずして勝つ』のパクリじゃん)


崇志は喉まで出かかったツッコミを、火野の異様な熱気に押されて飲み込んだ。


「今の君の状況を地形に当てはめてみよう。

兵法において、地形を知ることは勝利への絶対条件だ」


火野はスローガンの下に、自習室の図を書き殴っていく。


「まず、今の自習室の席。これは『通形つうけい』だ。

敵も味方も自由に行き来できる、守りのない平地」

 

火野は「通形」の文字を激しく丸で囲んだ。


「そして、彼女が机をくっつけてきた今の状態……」


崇志は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「これは、一度入り込めば脱出困難な『険形けんけい』だ!

君は今、無防備に敵の術中へ誘い込まれている。

彼女は無自覚な名将だ。君の集中力を、恋心という油で焼き尽くす。

これぞまさに『火攻め』である!」


(あの帆夏さんの笑顔が『火攻め』っていうのは、否定できない)


脳裏に浮かぶ帆夏の笑顔に、崇志はぶるっと震えた。


「いいか。これを戦場だと思え」


面談室のホワイトボードに、火野は「地形」という文字を叩きつけた。


「戦場……ですか?」


崇志は、あまりの気迫に身を引いた。


「そうだ。孫子に基づけば、戦いの勝敗は戦う前に決まる。

 重要なのは『地形』を読み解くことだ」



 

***

 

 


火野は急に神妙な面持ちになり、銀縁眼鏡を指で押し上げた。


「とにかく、これは柊木くんのためでもあるんだ」


「帆夏さんの……ため?」


「そうだ。恋愛は受験の大敵。

もし彼女が落ちれば、君も辛いだろう?」


崇志は黙って頷いた。

自分が原因で彼女の未来を汚すことだけは、

絶対に避けなければならない。


「それに、彼女が志望校に落ちれば、我が塾のブランド価値は暴落する」


火野はポロリと本音を漏らした。


「対して、今の君は『C判定』という爆弾だ。

私の『合格率100%』という聖域に、君のような不確定要素が、

恋心という火種を持ち込むのは万死に値する!」


「万死……」


「そうだ、昨日も、本部のエリアマネージャーから

『合格実績が下がれば万死に値する』

なんて言われて……」


(あんたが言われてたんかい!)


あきれ顔の崇志を見て、火野は「言い過ぎたか」という顔で、

バツが悪そうに咳払いをした。


(やっぱり、この人……自分の実績を守りたいだけだ)


崇志は底知れない不安に襲われたが、もはや火野という軍師に頼るしかなかった。

「火攻め」には「防火壁」が必要なのだ。


 

 

***

 

 


翌日の自習室。

崇志は資料室から借りてきた大量の荷物を抱え、最後列の席に陣取った。


その腕にあるのは、分厚い赤本(過去問集)の山だ。

一冊でも辞書のように重いそれが、十数冊。


重い。

古びた紙の匂いがする。

それだけで、覚悟を試されている気がした。


「……やるしかない」


崇志は、帆夏が座る側の机の端に、赤本を並べ始めた。

帆夏の侵攻を防ぐための『赤本の城壁』。


これが火野の授けた作戦だった。


拒絶ではない――だが、話しかけづらい環境。


崇志は、完成した城壁を眺め、満足げに頷いた。


これで彼女の可愛さという「直撃弾」は防げる。



 

***

 

 


城壁の内側で、崇志は必死にペンを走らせる。


軽い足音と共に、帆夏がやってきた。


彼女はいつものように迷わず隣に座ったが、

目の前にそびえ立つ真っ赤な壁を見て、目を丸くした。


「……わあ、すごい!」


崇志は心臓の鼓動を抑えながら、ペンを動かし続けた。


(よし。ここで『話しかけるなオーラ』を全開すれば……)


「これ、全部やるの? 崇志、かっこいい!」


「えっ」


帆夏は嫌がるどころか、真ん中の赤本をひょいと手に取った。

そして、崩れた壁の隙間から、ひょこっとこちらを覗いてくる。


「あはっ、覗き窓みたい」


そう言って笑う彼女は、まるでカーテンのすき間から外の景色をうかがう子猫のようだった。


壁の隙間から帆夏の瞳がキラリと光る。


慌てて視線を逸らす。

帆夏は、崇志の動揺など気にする様子もなく、赤本をペラペラとめくった。



「ねえ、崇志、これ借りていい? いちいち持ってくるの大変だったから助かった」


「あ、ああ……いいけど」


崇志は、壁が出来たことで、二人の距離が昨日より縮まったように思えた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ