秋晴れの贈りものと、恋する乙女のドレス
前日に私が【オーラ視】で見た予報の通り、翌朝の王都は抜けるような青空に恵まれた。
窓を開けると、ひんやりとした、けれどどこか甘い秋の風が室内に流れ込んでくる。神殿の庭園にある木々は黄金色や深紅に染まり、朝の光を受けてきらきらと輝いていた。
「本当に、素晴らしい秋晴れになりましたわね」
私は仕度を整えながら、窓の外を眺めて小さく微笑んだ。
前世では、天気の良い日は「絶好の洗濯日和なのに、一日中ビルに籠もって仕事か」と、少しだけ寂しい気持ちになったものだけれど、今の私にはこの美しい景色をゆっくりと楽しむ心のゆとりがある。それだけで、この世界に生まれ変われて良かったとしみじみ思うのだ。
身支度を終えた私は、昨日から気になっていた『あるもの』を用意するために、神殿の調剤室へと向かった。
調剤室には、乾燥させた薬草や、色とりどりの液体が入ったガラス瓶が整然と並んでいる。前世でのカスタマーセンター勤務時代、私はスタッフの体調管理や自分自身の喉のケアのために、ハーブや民間療法について少しだけ勉強していた。この世界には魔法の薬もあるけれど、エルネスタとしての私は、大地の恵みを使った素朴な手当ても好んでいたのだ。
「カモミールと、 calendulaのオイルを少し……。それに、蜜蝋を合わせて」
小さな土鍋でゆっくりと材料を温めると、部屋の中に甘く優しい、野原のような香りが広がっていく。丁寧に練り上げて作ったのは、肌の荒れや傷を優しく癒やす、特製の軟膏だった。小さな陶器の器にそれを移し、冷まして固まるのを待つ。
(これで、少しでも痛みが和らぐと良いのだけれど……)
そっと器を包みに隠し、私は昨日と同じ謁見の間へと向かった。
謁見の間の前には、すでにユリウス様が待っていた。
今日の彼は、心なしかいつもより少しだけ表情が柔らかいように見える。昨日の神託が無事に終わったことで、彼も少し安心したのかもしれない。けれど、腰の剣に添えられた彼の右手には、やはり昨日見つけた「小さなマメ」の痛みを堪えるような、わずかな強張りが残っていた。
「おはようございます、エルネスタ様。今朝も素晴らしい佇まいです」
ユリウス様は完璧な礼をとる。私はその姿を見つめ、そっと歩み寄った。
「おはようございます、ユリウス様。……あの、神託が始まる前に、少しだけよろしいかしら?」
「はっ、何なりとお申し付けください。私にできることであれば、何なりと」
身を乗り出すようにして私の言葉を待つ彼に、私は隠していた小さな陶器の器差し出した。
「これ……、宜しければお使いになって。昨日、神様が教えてくださったのですわ。貴方が国や神殿のために、人知れず一生懸命に剣の修練を積まれていること。そして……その手に、小さな傷を作ってしまわれたことを」
ユリウス様は驚いたように琥珀色の瞳を見開いた。
彼の頭上に、瞬時に【真実の心眼】による淡い光の文字が浮かび上がる。
『聖女様が自分の手の傷に気づいてくれたことに、心臓が壊れそうなほど激しく脈打っており、嬉しさと恥ずかしさでどうしていいか分からない』
(まあ……そんなに緊張なさらなくても大丈夫なのに)
彼の純粋な反応がとても微笑ましくて、私の胸の奥も少しだけくすぐったくなる。
「エルネスタ様……。貴女は、そのような私の些細な怪我まで、神の目で見ておられたのですか? 私は、聖騎士長として、このような軟弱な姿を恥じるばかりです……」
「恥じることなんて、何もありませんわ」
私は優しく首を振った。
「そのマメは、貴方がこの国の人々を護るために尽くされた、誇り高き努力の証ですもの。でも、痛みを我慢したままでは、大切な剣の冴えも鈍ってしまいますわ。これは私が朝、薬草を練って作った軟膏ですの。お肌を優しく守ってくれますから、今夜お休みの前に、薄く塗ってみてくださいね」
ユリウス様はおずおずと両手でその小さな器を受け取った。まるで、世界で最も壊れやすい至宝を扱うかのような、丁寧な手つきだった。
「……ありがとうございます。エルネスタ様の手作りの品をいただけるなど、騎士としてこれ以上の誉れはありません。今夜、必ず使わせていただきます。この御恩に報いるためにも、今日の神託の儀、私も命に代えて貴女をお護りいたします」
「ふふ、命をかけるなんて大袈裟ですわ。でも、ありがとうございます」
彼の生真面目な言葉に力づけられながら、私は謁見の間の白い椅子へと腰掛けた。
ユリウス様がそっと軟膏を懐にしまい、凛とした表情で私の斜め後ろに控える。彼の頭上の秘密は、先ほどまでの困惑から『この器を家宝にしよう』という、少し極端だけれど愛らしい決意へと変わっていた。
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静かに扉が開かれ、本日最初のご相談者が案内されてきた。
入ってきたのは、見事な縦ロールの金髪に、華やかなレースがあしらわれた上質なドレスを纏った、十七歳ほどの可憐な令嬢だった。高位貴族の娘であることは一目で分かったけれど、彼女の表情はひどく緊張で強張っており、その瞳には不安な色が浮かんでいる。
彼女は私の前に進み出ると、丁寧にドレスの裾を持ち上げて一礼した。
「高貴なる聖女エルネスタ様。お初にお目にかかります。私は伯爵家の娘、セシリアと申します。本日は、私の分不相応な迷いについて、神の叡智を仰ぎたく参りました」
「よくおいでくださいました、セシリア様。そんなに緊張なさらないでくださいね。ここでは貴女の心のままに、お話を聞かせてくださるかしら」
私は前世の『安心感を与える丁寧なヒアリング』の意識を思い出しながら、包み込むような声音で語りかけた。
セシリア様は少しだけ肩の力を抜くと、恥ずかしそうに俯きながら、その悩みを口にした。
「実は……来週、王宮にて王太子殿下が主催される、大きな夜会が催されるのです。私はその夜会に向けて、新しいドレスを仕立てる予定なのですが……。仕立て屋が持ってきてくれた二つの生地のどちらにすべきか、どうしても決められないのです。一つは、私のような年齢の娘にふさわしい、華やかな桃色のドレス。もう一つは、少し落ち着いた、澄んだ水色のドレス……。神様は、どちらの装いが私を正しき道へと導いてくださるのでしょうか」
彼女がそう言い終えると、背後に立つユリウス様が、かすかに困惑したような気配を見せた。
無理もない。聖女の神託といえば、国家の命運や天災の予知を連想するのが普通だ。このような「夜会のドレスの色」という、一見すると個人的で贅沢な悩みを神殿に持ち込むのは、少し不謹慎だと思われても仕方がない。
しかし、前世の私には分かっていた。
人は、本当にどうでもいいことで悩んでいる時、実はその裏に『どうしても失敗したくない、大切な理由』を隠しているものだということを。
私はセシリア様をじっと見つめた。私の【真実の心眼】が、彼女の頭上に鮮やかな光の文字を紡ぎ出す。
『本当は王太子殿下ではなく、当日殿下の後ろに警護として立つ予定の、生真面目な近衛騎士の青年(ユリウスの部下であるラインハルト)に密かに恋をしており、彼の好きな色が「水色」であることを小耳に挟んだため、彼に見てほしくて水色のドレスを選びたい。けれど、周囲の侍女たちからは「王太子殿下の目を引くためには桃色にすべきだ」と強く勧められており、自分の本当の気持ちを通す勇気が出ずに悩んでいる』
(まあ……なんて可愛らしい理由かしら)
思わず、私の胸の奥がキュンと温かくなった。
これはただのワガママでも、贅沢な悩みでもない。一人の少女の、一生懸命で健気な『恋のお悩み』だったのだ。
周囲の期待や役割(王太子殿下に気に入られること)と、自分の本当の願い(好きな人に見つめられること)の間で揺れ動く彼女の心。前世のカスタマーセンターでも、「本当はこうしたいけれど、周りの意見に流されて決められない」というお客様のご相談を何度も受けてきた。そういう時、一番大切なのは、本人が心の底で望んでいる答えを、優しく肯定してあげることだ。
私はそっと胸の前で手を組み、静かに目を閉じた。
そして、かすかに【スポットライト】の能力を意識する。高窓から差し込む美しい秋の光が、私の頭上からゆっくりと広がり、私の前に跪くセシリア様をも優しく包み込んだ。まるで、神の祝福が彼女の未来を照らすかのように。
「セシリア様。神様は、貴女の心の中にある『一番大切な光』を見ておいでですわ」
私が静かに目を開けると、セシリア様は光の中で、驚いたように私を見上げていた。
「ドレスの色は、ただの装いではありません。それは、貴女の心が誰に向けて開かれているかを示す、大切な鏡なのです。周囲の皆様は、貴女の華やかさを引き立てるために桃色を勧めてくださるのでしょう。それも一つの優しさです。けれど……神様が私に見せてくださったのは、澄んだ水色のドレスを纏い、本当に心を通わせたい方の前で、恥ずかしそうに、けれど世界で一番美しく微笑んでいる貴女の姿でした」
「え……っ」
セシリア様が息を呑んだ。その白い頬が、見る見るうちに林檎のように真っ赤に染まっていく。
「誰かの目を引くための装いではなく、貴女が心から『この人に見つめられたい』と願うその想いこそが、何よりも尊い奇跡なのです。セシリア様、周囲の声に惑わされる必要はありませんわ。貴女の心が『水色』を選びたいと告げているのなら、その直感を信じなさい。そのドレスを纏った貴女の輝きは、きっと、貴女が本当に気づいてほしい方の瞳に、真っ直ぐに届くはずです」
私の言葉に、セシリア様の瞳からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
彼女は自分の本当の気持ちを、誰にも言えなかった秘密を完璧に見抜かれ、そして何よりも温かく肯定されたことに、深い救いを感じたのだろう。
「聖女様……! はい、はい……! 私は、自分の気持ちを偽るところでした。周囲の言う通りにするのが正しいのだと、自分に嘘をついて……。でも、私は私の心に従います。水色のドレスを仕立て、あの……その、大切な夜会へ臨みます!」
セシリア様は何度も涙を拭い、晴れやかな、本当に恋する乙女の美しい笑顔を見せてくれた。
「セシリア様、当日はきっと、素晴らしい夜になりますわ。貴女の恋の行く末に、神様の優しい風が吹くことを祈っておりますね」
「ありがとうございます、聖女エルネスタ様! いただいたお言葉を胸に、勇気を出してまいります!」
彼女は何度も深く頭を下げ、軽やかな足取りで謁見の間を後にした。その背中には、先ほどまでの迷いは一切なく、未来への希望だけが満ち溢れていた。
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扉が閉まり、再び静寂が戻った部屋で、私はハーブティーを一口含んで息をついた。
今日もまた、一つの小さな心が救われたことに、温かい満足感を覚える。
「……エルネスタ様」
後ろから、低く、どこか感心したようなユリウス様の声が聞こえた。
振り返ると、彼はその琥珀色の瞳に、深い畏敬の念と、少しの驚きを湛えて私を見つめていた。
「私はまたしても、己の未熟さを痛感いたしました。ただのドレスの色選びの裏に、あのような深い乙女の情念と、迷いが隠されていたとは……。そしてエルネスタ様は、それを一瞬で見抜き、ただの選択ではなく、彼女の人生の選択を優しく後押しされた。貴女の洞察力と慈悲深さは、やはり私の想像を遥かに超えています」
ユリウス様は真摯に語る。その表情はどこまでも生真面目だ。
「ふふ、ユリウス様。人の心というものは、とても複雑で、同時にとても素直なものですのよ。特に、誰かを想う気持ちは、どんなに隠そうとしても、隠しきれない光を放つものですわ」
私がそう言って彼を見つめると、ユリウス様はハッとしたように目を瞬かせた。
そして、私の視線から逃れるように、わずかに顔を背けた。彼の耳の付け根が、ほんのりと赤くなっている。
彼の頭上の【真実の心眼】には、新たな文字が浮かんでいた。
『今のエルネスタ様の言葉を聞いて、自分が彼女を見つめる時の気持ちも、もしかしたら全て見透かされているのではないかと、心臓が跳ねるほど緊張している』
(ふふ、ユリウス様ったら。そんなに意識してくださるなんて……)
前世のコールセンターでは、お客様との関係は『画面の向こうの他人』でしかなかった。けれどこの世界では、こうして毎日、私のすぐ傍で、私の言葉一つに一喜一憂してくれる生真面目な騎士様がいる。そのことが、偽りの聖女としての私の心を、どれほど支えてくれているか、彼はまだ知らないだろう。
窓の外に目をやると、大気の色は変わらず、穏やかな黄金色に包まれている。
私の予報通り、今日は一日中、穏やかで温かいひだまりがこの王都を包み込んでくれるはずだ。
「ユリウス様、次の方をご案内してよろしくてよ。今日もたくさんの方の心を、温かくして差し上げましょうね」
「はっ。エルネスタ様のお心のままに」
ユリウス様は力強く頷き、再び重厚な扉へと手をかけた。
地味な能力しか持たない私だけれど、この優しい騎士様と、そして悩める民たちのために、私の『お悩み相談室』は今日ものどかに、そして温かく続いていくのだった。




