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第二の人生は、のどかな国の聖女。隣の聖騎士団長が、密かに私を愛してくれているようです。  作者: 逆立ちハムスター


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2/12

初めての神託と優しい特効薬

朝の光が、白大理石の窓枠を通じて私の寝室へと滑り込んできた。

鳥のさえずりが遠くから聞こえる中、私は仕立ての良いシルクの寝具からゆっくりと身体を起こす。前世では、鳴り響くスマートフォンのアラームで飛び起き、這うようにして満員電車へと向かっていた。それを思えば、この神殿の朝はまるで絵本の中の世界のように穏やかで、のどかだ。


「おはようございます、エルネスタ様。お目覚めはいかがでしょうか」


控えていた侍女たちが、静かにカーテンを開け、洗面用の温かいお湯を用意してくれる。

私は彼女たちに「おはよう。よく眠れましたわ」と、優しく微笑みを返した。前世の記憶が戻ってから二日目。まだ自分の美しい容姿や、周囲からの過剰なまでの敬意に戸惑うことはあるけれど、不思議とこの生活に心が馴染んでいくのを感じていた。


身支度を整え、薄布を重ねたような豪奢な聖衣に身を包んだ私は、神殿の裏手にある小さな庭園へと足を運んだ。

色とりどりの薔薇や、名前も知らない美しい異世界の花々が朝露に濡れて輝いている。私はふと思い立ち、胸の前でそっと両手を合わせ、心の中で静かに祈りを捧げてみた。


(どうか、今日も世界が平穏でありますように)


すると、どこからともなく羽音が聞こえ、真っ白なハトが1羽、ひらひらと舞い降りてきた。そして、私の頭の上に、まるであつらえたクッションを見つけたかのようにちょこんと着陸する。


「ふふ、おはよう。今日も来てくれたのね」


頭の上のハトは「クルゥ」と愛らしく鳴き、私の金髪に嘴をすり寄せてくる。

就任式で民衆を大いに感動させた【聖女のハト】の能力。実用性は全くないけれど、こうして見るとただただ愛らしい存在だ。私はエプロンのポケットに忍ばせておいた細かなパン屑を手のひらに載せ、頭から降りてきたハトに差し出した。ハトは嬉しそうにそれを啄んでいる。この小さな生き物との触れ合いだけで、私の心はひだまりのように温かくなった。


「エルネスタ様。朝早くから、熱心に祈りを捧げておいでだったのですね」


低く落ち着いた声に振り返ると、そこには聖騎士長のユリウス様が立っていた。

今日もシワ一つない漆黒の騎士服を完璧に着こなし、その銀髪は朝日に映えて眩いほどだ。鋭い琥珀色の瞳が私を捉え、その表情には深い尊敬の念が浮かんでいる。


彼が近づいてきた瞬間、私の【真実の心眼】がふわりと発動した。彼の頭上に、淡い光の文字が浮かび上がる。


『昨日、新しい木剣の素振りを張り切りすぎて、右手のひらに小さなマメができてしまい、実は少し痛むのを必死に隠している』


(まあ……。いつも完璧なユリウス様なのに、そんなに一生懸命練習されていたのね)


痛む右手を何食わぬ顔で腰の剣の柄に添えている彼の姿が、なんだかとても愛らしく、そして健気に思えてしまう。私はそのマメを刺激しないよう、彼の左側へと自然に歩み寄った。


「ユリウス様、おはようございます。今日も素晴らしい朝ですわね。騎士団の皆様も、朝早くから鍛錬に励まれているのかしら?」


「はい。この国を護る身として、一日の猶予も惜しむわけにはまいりませんので。……それよりもエルネスタ様、本日からいよいよ『神託の儀』が始まります。迷える民たちが、貴女の救いを求め、大聖堂の謁見の間に集まっております。準備はよろしいでしょうか」


ユリウス様は生真面目に頭を下げた。その張り詰めた空気を少しでも和らげたくて、私はそっと微笑みかける。


「ええ、いつでも大丈夫ですわ。皆様のお話を伺えるのを、とても楽しみにしておりますの」


「素晴らしいお覚悟です。では、参りましょう」


ユリウス様のエスコートを受け、私は神殿の奥にある謁見の間へと向かった。

そこは、就任式を行った大聖堂とは異なり、高い天井から差し込む光が穏やかな、少し小ぢんまりとした、けれど非常に厳かな部屋だった。中央には私のための白い椅子が置かれ、その背後には美しい刺繍の施された天幕が垂れ下がっている。


私は椅子に深く腰掛け、呼吸を整えた。

前世のカスタマーセンターでは、インカムを装着し、画面に『着信』の文字が表示される瞬間に、これと同じような適度な緊張感を味わったものだ。


(最初のお客様――いえ、相談者様は、どのような方かしら。心を込めて、丁寧にお話を伺いましょう)


ユリウス様が静かに合図を送ると、重厚な扉が開き、最初のご相談者が案内されてきた。

入ってきたのは、仕立ての良い上着を着た、四十代ほどの体格の良い男性だった。けれど、その肩はすっかりと落ちており、目の下には濃い隈がある。見るからに疲れ果てている様子だった。


男性は私の前に来ると、恐縮したように膝をつき、深く頭を下げた。


「高貴なる聖女エルネスタ様……。私は下町で家具職人をしております、トマスと申します。本日は、どうしても己の力では解決できぬ悩みがあり、神の叡智を授かりたく、ここへ参りました」


「よくおいでくださいました、トマスさん。どうぞ、お顔を上げてください。ここでは心を楽にして、貴方の胸の内にあるものを、そのまま私に聞かせてくださいね」


私は、前世で数え切れないほどの「困ったお客様」の心を解きほぐしてきた、一番柔らかく、包み込むようなトーンの声で語りかけた。

トマスさんはおずおずと顔を上げ、私の顔を見ると、その慈愛に満ちた微笑みに救われたのか、堰を切ったように悩みを話し始めた。


「実は……一週間ほど前から、妻の機嫌が常に悪く、私が何を話しかけても生返事しか戻ってこないのです。私が何か悪いことをしたのかと尋ねても、『別に』などとしか言ってくれず……。夜もそのことが気になって全く眠れず、仕事も手につきません。これは、私が何か神の教えに背いたための、神からの罰なのでしょうか……。私も妻も信心深い身。至らぬ事があれば、どうかお教え願いたい」


トマスさんの声は切実で、今にも泣き出しそうだった。

隣で控えているユリウス様は、少し困惑したように眉を寄せている。国家の治安を揺るがす事件を扱う聖騎士長にとって、夫婦喧嘩の悩みというのはどう扱っていいのか分からない領域なのだろう。


しかし、前世の私にとっては、これは典型的な「言葉の裏にある真意を汲み取るべき案件」だった。

人が「別に」と言うとき、あるいは理由を言わずに不機嫌になるとき、そこには必ず「言わなくても気づいてほしかった」という寂しさや怒りが隠されているものだ。女性なら尚更だ。


私はトマスさんをじっと見つめた。すると、私の【真実の心眼】が、彼の頭上に鮮やかな文字を浮かび上がらせた。


『先週の妻の誕生日に、数ヶ月前から頼まれていた新作のガラスの髪飾りを買い忘れた上に、それを指摘された際、『俺は毎日遅くまで働いているんだから仕方ないだろう』と言い訳をしてしまい、妻の心を深く傷つけた』


(なるほど……。それは奥様が怒って当然ですわね、トマスさん)


理由が分かれば、対処は簡単だ。前世でも、「原因不明の不具合」と仰るお客様の状況を丁寧にヒアリングしていくと、実は初歩的な操作ミスや勘違いが原因だった、ということは多々あった。


けれど、ここで私が「貴方は奥様の誕生日を忘れて言い訳をしたでしょう」と直接突きつけてしまっては、聖女としての神秘性が薄れてしまう。何よりトマスさんが恥じ入ってしまう可能性が高い。ここは「神の言葉」を借り、彼が自ら気づき、行動できるように優しく導くのが最適だ。


私はそっと胸の前で手を組み、目を閉じた。

そして、かすかに【スポットライト】の能力を発動させる。天井の高窓から、細く美しい天の光が私の上にだけ降り注ぎ、聖女の神聖さを優雅に演出する。


「トマスさん。神は、貴方に罰を与えているわけではありませんわ」


私が静かに目を開けると、トマスさんは光に包まれた私を、まるで本物の神を見るかのような目で見つめていた。


「神が私に見せてくださったのは、貴方の奥様の、少し寂しそうな横顔でした。奥様は、貴方に怒っているのではなく……ご自身の心の中にある『大切な思い出』を、貴方にも同じように大切にしてほしかったと、そう泣いておいでです」


「大切な、思い出……?」


トマスさんはハッとしたように目を見開いた。


「心当たりはありませんか? 例えば、最近、奥様にとって特別だったはずの日に、貴方がお仕事の忙しさに追われ、小さな約束を忘れてしまったり……それを指摘された際、奥様の寂しさに寄り添う前に、ご自身の言い訳をしてしまったりなどは、なさいませんでしたか?」


私の言葉が、トマスさんの記憶の底にある罪悪感を正確に撃ち抜いたようだった。

彼の顔が、見る見るうちに赤くなり、それから深く俯いた。


「あ……ああ! なんということだ……! 先週の妻の誕生日……、数ヶ月前から楽しみにしていた髪飾りを、私はすっかり忘れて……。それどころか、責める妻に『俺は稼いでいるんだ』と、酷い言葉を投げつけてしまいました……! 仕事の事ばかり考えて、妻の事を蔑ろにしてしまっていました……」


トマスさんは頭を抱え、大粒の涙を床に落とした。


「私は最低の夫です……。妻が怒るのも当然だ。神は、すべてをお見通しだったのですね……」


「気づくことができたのなら、もう大丈夫ですわ」


私は椅子から静かに立ち上がり、トマスさんの前へと歩み寄った。そして、彼の震える肩に、そっと優しく手を置いた。


「奥様は、貴方のことが嫌いになったわけではありません。ただ、一番大切な人に軽んじられたような気がして、悲しくて意地を張ってしまっているだけなのです。トマスさん、今日、お家に帰られたら、まず、お仕事の言い訳をせずに、心から『寂しい思いをさせてごめんなさい』と、あなたの言葉で伝えて上げてください。そして、奥様が欲しがっていたものを、今からでも遅くはありませんから、心を込めて贈って差し上げるのです」


「聖女様……。は、はい……! すぐにそういたします! 今日は仕事を切り上げて、妻の欲しがっていた髪飾りを買いに走ります!」


トマスさんは涙を拭い、何度も何度も床に頭を下げた。その表情からは、先ほどまでの暗い影が消え去り、確かな希望の光が宿っていた。


「ですが、トマスさん。ここ数日、あまり眠れていないのでしょう? そのお疲れの身体では、奥様への優しい言葉も上手に届かないかもしれませんわ」


「……?」


トマスさんが不思議そうに顔を上げた。

私は微笑みながら、心の中で【どこでも快眠】の加護を意識し、彼の手を優しく両手で包み込んだ。


「貴方のその真面目さと、奥様を想うお心に、特別に神の安息を授けます。今日は、どうかすべてを忘れて、暖かく心地よいベッドに包まれているかのように、眠れるでしょう。」


私の手から、じんわりと温かく、春の陽だまりのような魔力がトマスさんへと流れ込んでいく。

その瞬間、トマスさんの身体から すうっと緊張が抜け、彼の瞳がトロンと潤んだ。彼は「ああ……なんだか、ものすごく身体が軽くて、温かい……」と呟き、その場で心地よさそうに深い息を吐き出した。


加護の効果は絶大だ。彼は今夜、どんな場所であっても、王侯貴族の最高級ベッドで眠る以上の深い、極上の睡眠をとることができるだろう。もちろん愛し合った後に。


「ありがとうございます、聖女エルネスタ様。」


すっかり心も身体も癒やされたトマスさんは、晴れやかな笑顔で、何度も感謝を述べながら謁見の間を後にした。


扉が静かに閉まり、部屋に再び静寂が戻る。

私は小さく息を吐き、椅子に戻ってハーブティーで喉を潤した。最初のご相談が、誰も傷つくことなく、円満に解決して本当に良かったと、心の底から安堵する。


「……素晴らしい。本当に、素晴らしい神託でした、エルネスタ様」


不意に、横から熱を帯びた声が聞こえた。

振り返ると、ユリウス様がその琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、感動に打ち震えた様子で私を見つめていた。


「私は浅はかにも、家庭内の痴話喧嘩などと侮っておりました。しかしエルネスタ様は、神の力を借り、彼の過ちを見通し、ただ責めるだけでなく、夫婦の絆を取り戻すための的確な助言を与え、さらにはその傷ついた心と身体に聖なる癒やしまで施された……。これぞ、真の聖女の御業。私は今、言葉にできないほどの感銘を受けております」


ユリウス様は胸に手を当て、深く私に頭を下げた。その銀髪が揺れ、彼の頭上には相変わらず『右手のマメが地味に痛い』という秘密が見えているけれど、今の彼の言葉には、一切の偽りのない純粋な敬意が込められていた。


(ユリウス様、そんなに褒められると、本当にただの前世の職業病なだけに、恐縮してしまいますわ……)


私は少し頬を染めながら、照れ隠しに微笑んだ。


「ユリウス様、私はただ、迷える方の心が少しでも軽くなればと思っただけですわ。それに……」


私は彼の右手に視線を落とした。


「誰かのために一生懸命に努力する方は、とても素敵ですもの。その努力が、悲しいすれ違いで終わってしまわなくて、本当に良かったです」


「エルネスタ様……」


私の言葉に、ユリウス様は何かを感じ取ったのか、耳の裏までほんのりと赤く染めて視線を彷徨わせた。いつも冷静沈着な彼が、こうして年相応に照れる姿は、とても新鮮で、そして不器用な愛らしさに満ちている。


ふと、私は窓の外の大気に視線を向けた。

私の【オーラ視】の能力が、神殿を包む空気を、穏やかな、透き通った淡い桃色と金色として映し出している。


(この空気の色は……明日は一日中、風も穏やかで、最高の快晴になるわね)


ただの100%的中する天気予報だけれど、こののどかな王都で暮らす人々にとっては、きっと明日が良い日になるという、小さくて優しい約束のようなものだ。


「ユリウス様、明日はきっと、素晴らしい天気になりますわ」


「ええ……。エルネスタ様がそう仰るなら、間違いありません。どのような天候であろうとも、貴女のいるこの場所こそが、我が国で最も温かいひだまりです」


ユリウス様は、少しはにかむような、けれど男らしい、とても優しい笑顔を私に向けてくれた。


前世のような、時間に追われる忙しい日々ではない、目の前のたった一人の人の笑顔を守るための、私の新しい仕事。

偽りの聖女としての毎日だけど、この優しくて不器用な騎士様と一緒なら、きっとこれからも、たくさんののどかな幸せを紡いでいける。


そう確信しながら、私は次のお悩みを抱えた相談者を迎えるために、再び温かい微笑みを蓄えるのだった。

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