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第二の人生は、のどかな国の聖女。隣の聖騎士団長が、密かに私を愛してくれているようです。  作者: 逆立ちハムスター


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転生聖女と小さな秘密

大聖堂の奥にある控室は、ひんやりとした静寂に包まれていた。

高い天井に嵌め込まれたステンドグラスから、色とりどりの柔らかな光が差し込み、磨き上げられた大理石の床に美しい模様を描いている。


私は、姿見の前に立ち、自分の姿をじっと見つめていた。

鏡の中にいるのは、波打つ柔らかな金髪と、春の空を切り取ったかのような澄んだ琥珀色の瞳を持つ女性――エルネスタ。純白のシルクに金糸の刺繍が施された聖衣を纏った彼女は、どこからどう見ても、この国で最も神聖とされる『聖女』そのものだった。


しかし、私の内面は、その見た目からは想像もつかないほど、静かな混乱の渦の中にあった。


「……思い出した、のね。すべて」


小さく溢れた声は、自嘲気味に震えていた。

つい一時間ほど前、就任式の準備を整えている最中に、激しいめまいに襲われた。それをきっかけに、私の脳裏に「前世」の記憶が、穏やかな、けれど確かな濁流となって押し寄せてきたのだ。


前世の私は、日本という平穏な国で暮らす、ごく普通の女性だった。

仕事は、大手の通信会社でのカスタマーセンター勤務。毎日、お電話口から聞こえてくるお客様の「困った」や「教えてほしい」という声に耳を傾け、時にはお叱りの言葉を優しく受け止めながら、心を通わせる仕事に誇りを持っていた。ささやかな日常に満足していたけれど、ある冬の夜、冷え込みの厳しい帰り道で体調を崩し、そのまま眠るようにして人生を終えたのだった。


そこまでは、どこか遠い物語のようにも思える。

問題は、生まれ変わったこの世界での、私――エルネスタのこれまでの歩みだった。


孤児院で育ったエルネスタは、とても真面目で、同時に、二度と飢えに苦しみたくないという強い自立心を持った女の子だった。国を挙げて「聖女」の選定が行われると知った彼女は、自分の未来を切り開くために、死に物ぐるいで努力した。

そして、自分が持ついくつかの「不思議な力」を、選考委員たちの前で一生懸命にアピールしたのだ。


『私の祈りは、天の光を呼び寄せます。そして、迷える魂に安らぎの眠りを与え、世界の真実を見通すことができるのです』


当時の彼女――つまり過去の私は、大真面目だった。嘘を言ったつもりはなかったのだ。

けれど、前世の一般的な大人の感覚を取り戻した今の私が客観的に見つめ直すと、その能力の真実は、あまりにもささやかで、地味なものばかりだった。


例えば、過去の私が「神の使者との対話」と称して見せた力。

胸の前で手を組んで静かに祈ると、どこからともなく、真っ白なハトが1羽だけ羽ばたいてきて、私の頭の上にちょこんと乗る。ただ、それだけ。

そのハトは、敵を攻撃してくれるわけでも、遠くへ手紙を運んでくれるわけでもない。ただの、少し人懐っこいハトだ。けれど、選考会のステージで、美しい光の中で頭にハトを乗せて微笑むエルネスタの姿は、選考委員たちの目に「これ以上ないほど聖女らしい神聖な光景」として映ってしまったらしい。


さらに、彼女が「神の安息」と呼んだ加護。

それは、どれほど固い石畳の上であっても、泥まみれの地面であっても、触れた相手に「最高級のふかふかなベッドで眠っている」かのような、深い心地よさと爆睡をもたらすというものだった。不眠に悩んでいた神殿の偉い人にそれを使ったところ、彼はその場でよだれを垂らして熟睡し、翌朝「これぞ神の奇跡だ!」と涙を流して感動してしまった。実態は、ただの「どこでも気持ちよく寝られる」という、少し羨ましいだけの地味な癒やしの力に過ぎないのに。


他にも、天気の変化を100%の確率で言い当てられる力が「大気のエネルギーを視認する聖なる視覚」と崇められたり、祈ることで自分にだけピンポイントで薄明光線(いわゆる、雲の隙間から差し込む天使の梯子のような光)を降らせる演出効果だけの力が「神の御光」と呼ばれたり……。


過去の私が、自分の生き残りをかけて必死にプレゼンテーションした結果、周囲の期待と勘違いが雪だるま式に膨れ上がり、いつの間にか「国家を揺るがす奇跡の聖女」という過大な評判が一人歩きしてしまったのだ。


そして、その取り返しのつかない勘違いが完璧に完成してしまった本日。

あろうことか、私の正統性を国中に宣言するための「聖女就任式」の当日だった。


「どうしましょう……。嘘をついたわけではないけれど、これではまるで見事な誇大能力(詐欺)だわ……」


深いため息をつき、おでこを手で押さえる。

もし、本当の戦いや、恐ろしい呪いを解くような奇跡を求められたら、私にはハトを出すことくらいしかできない。そんなことが露呈したら、詐欺罪で捕まってしまうかもしれない。


その時、コツ、コツ、と静かで規則正しい足音が廊下から響き、私の部屋の前で止まった。

上品なノックの音が三回。


「エルネスタ様。間もなく、就任式のお時間です。お仕度はよろしいでしょうか」


扉の向こうから聞こえてきたのは、低く、心地よく響くテノールの声だった。

私は一瞬で背筋を伸ばし、前世で身につけた「丁寧な大人の対応」のスイッチを入れる。


「ええ、入ってよろしくてよ」


ゆっくりと扉が開くと、そこに立っていたのは、この神殿の若き実務最高責任者であり、聖騎士長でもあるユリウスだった。

夜空を溶かし込んだような美しい銀髪をきっちりと後ろに流し、琥珀色の鋭くも美しい瞳が私を見つめている。彼の纏う漆黒の騎士服には、一切のシワもなく、非の打ち所がない高潔な雰囲気を醸し出していた。彼は「一切の不正を許さない、鉄の聖騎士」として、周囲から畏怖されている存在だ。


彼が部屋に足を踏み入れた瞬間、私の意思とは関係なく、私に備わっているもう一つの能力――【真実の心眼】が静かに発動した。

この能力は、相手の「隠された真実」が見えるというものなのだが、見えるのは決まって、世界の根幹を揺るがすような秘密ではなく、本当にどうでもいい、ささやかな日常の秘密だけだった。


今、ユリウスの頭上に、私の目にだけ見える淡い光の文字が浮かび上がる。


『今朝、右側の髪にとんでもない寝癖がついてしまい、水で濡らして直すのに十五分もかかってしまった』


「……っ」


あまりにも愛らしいその秘密に、危うく吹き出しそうになり、私は慌てて口元をハンカチで押さえた。

あの、いつも完璧で冷徹と噂されるユリウス様が、朝、鏡の前で一生懸命に髪を濡らして格闘していたなんて。そう思うと、張り詰めていた緊張が、不思議なほどするすると解けていくのが分かった。


「エルネスタ様? 顔色が優れないようですが……もしや、緊張されておいでですか?」


ユリウス様が、心配そうにわずかに眉を寄せ、私を覗き込んできた。その瞳には、噂されるような冷徹さはなく、むしろ私を深く気遣う温かさが宿っている。


「いいえ、ユリウス様。少し……神様からの、穏やかな啓示を受け取っておりましたの。心配をかけてしまってごめんなさいね」


私は、かつてカスタマーセンターで多くのお客様に安心を届けてきた、一番優しいトーンの声で微笑みかけた。

ユリウス様は、私の言葉を聞くと、ほっとしたように胸をなでおろし、その端正な顔を和らげた。


「左様でしたか。貴女のその落ち着いた、慈愛に満ちた佇まいを見るたびに、私は心が洗われるような心持ちになります。やはり、貴女こそが神に選ばれた本物の聖女だ。さあ、皆が貴女を待っています。私の手をお取りください」


彼が恭しく右手を差し出してくる。その手は大きく、剣を握る者の逞しさがありながらも、私を労るようにとても優しく添えられた。


(本物の聖女だなんて、そんなに輝くような目で言われると、罪悪感で胸がいっぱいになってしまうわ……。でも、もう逃げ出すわけにはいかないものね)


私は彼の手に自分の手を重ね、ゆっくりと歩き出した。


長い回廊を歩くにつれ、建物の外から地鳴りのような歓声が聞こえてくる。王都中から、新しい聖女の誕生を祝うために、数え切れないほどの民衆が集まっているのだ。

大聖堂の巨大な白銀の扉が、左右へと静かに開かれていく。


眩しい太陽の光と共に、大聖堂を埋め尽くす人々の視線が一斉に私に集まった。

貴族たち、神官たち、そして祈りを捧げる平民の人々。誰もが、私の中に「救い」を見出そうと、熱い眼差しを向けている。


(大丈夫、落ち着いて。前世の私だって、何百人ものお客様を前にした発表会を経験してきたじゃない。言葉を丁寧に、心を込めて、ただそこに立つだけでいいのよ)


私はユリウス様のエスコートを受けながら、壇上の中央へと一歩ずつ進んだ。

ドレスの裾が擦れるかすかな音さえ、静まり返った大聖堂に響くほど、人々は息を呑んで私を見つめている。


壇上に立ち、集まった人々を優しく見渡す。

皆が期待しているのは、聖女としての「奇跡の証明」だ。私はそっと目を閉じ、胸の前で両手を合わせた。


(どうか、この場所に集まった人々の心が、少しでも穏やかになりますように――)


心の中でそう願いながら、まずは【スポットライト】の能力を意識する。


次の瞬間、大聖堂の高窓から、計算されたかのように一筋の、格別に美しい純白の光が差し込んだ。その光は、まるで天から降りてきた階段のように、私だけをピンポイントで包み込む。暗めの大聖堂の中で、光を浴びた私の金髪が、まるで自ら発光しているかのようにキラキラと輝いた。


「おお……っ」


誰からともなく、感嘆の吐息が漏れる。

さらに私は、間髪入れずに【聖女のハト】を心の中で呼んだ。


羽音が優しく響き、大聖堂のどこからともなく、真っ白なハトが1羽、ひらひらと舞い降りてきた。ハトは私の周囲を一度だけ優雅に旋回すると、私の頭の上に、まるであつらえた冠のようにちょこんと着陸した。そして、首を傾げて愛らしく鳴く。


天からの光に照らされ、頭に聖なる白い鳥を乗せて、静かに微笑む聖女。

それは、宗教画の一場面をそのまま現実にしたかのような、完璧に美しい「奇跡」の光景だった。実際には、光を浴びた鳥乗せ少女に過ぎないのだけれど、その場にいる全員を感動させるには十分すぎる演出だった。


「聖女様だ……! 本当に、神の御使いが舞い降りた……!」


平民の席からはすすり泣く声が聞こえ、神官たちは深く深く頭を下げて祈りを捧げ始めた。

隣に控えるユリウス様を見遣ると、彼はその琥珀色の瞳を大きく見開き、言葉もないといった様子で、深い畏敬の念を込めて私を見つめていた。


(ユリウス様、そんなに感動しないでくださいね。これ、本当にただの可愛いハトなんです。あなたの朝の寝癖と同じくらい、他愛のないものなのですから……)


申し訳なさを心の奥に隠しながら、私はただ、慈愛に満ちた完璧な微笑みを人々に返し続けた。

こうして、私の聖女就任式は、誰にもその「ささやかさ」を見抜かれることなく、大盛況のうちに幕を閉じた。


──


式典が終わり、私は神殿の最上階にある、聖女専用の執務室へと案内された。

柔らかな敷物が敷かれ、アンティーク調の木製デスクや、座り心地の良さそうなソファーが並ぶ、とても居心地の良い部屋だった。大きな窓からは、王都ののどかな街並みと、遠くに広がる豊かな森が一望できる。


「お疲れ様でした、エルネスタ様。本当に、素晴らしい式典でした」


ユリウス様が、丁寧に淹れられたハーブティーを私の前のテーブルに置きながら、感慨深そうに言った。


「ありがとう、ユリウス様。無事に終わって、私もホッといたしましたわ」


ソファーに腰掛け、温かいお茶を口に含む。カモミールの優しい香りが鼻腔を抜け、張り詰めていた身体の芯がじんわりと解けていくのを感じた。

けれど、ユリウス様はすぐに、デスクの上に置かれていた、かなりの厚みがある革表紙のファイルを私の前に運んできた。


「エルネスタ様、お疲れのところ大変恐縮ですが、明日からの公務について、ご説明をさせていただいてもよろしいでしょうか」


「ええ、構いませんわ。聖女としての、最初のお仕事ですものね」


私は背筋を正し、ハーブティーのカップを置いた。

聖女の仕事。国を揺るがす予言や、悪しき呪いの浄化、あるいは、強大な結界の維持……。そんな大層なことを言われたらどうしようと、再び心臓が小さく脈打つ。


「明日から始まりますのは、我が神殿の最も伝統ある公務の一つ――『神託の儀』でございます。これは、広く民や貴族の皆様から、心に抱える迷いや悩みを募り、聖女様が神の叡智をもってそれに応え、進むべき道を指し示すというものです」


「……お悩み、ですか?」


思わず、聞き返してしまった。

ユリウス様は、真面目な顔で頷き、ファイルの一ページ目を開いた。


「はい。例えば、こちらに届いているのは、ある高位貴族の令嬢からのご相談です。『来週の夜会に向けて、仕立て屋にドレスの相談をしているのですが、若草色のドレスと、淡い藤色のドレス、どちらにすべきか決められません。神のお告げを』というものです」


(……それは、ご自身のパーソナルカラーや、当日の気分で決めるべきでは……?)


「さらに、こちらは市井の商人からのものです。『最近、妻の機嫌が常に悪く、何を話しかけても生返事しか戻ってきません。私は神の罰を受けているのでしょうか。どうすれば妻の笑顔を取り戻せるか、お諭しください』という切実な訴えも」


(それは神の罰ではなく、日頃のコミュニケーション不足か、あるいは家事を奥様に丸投げしているからではないかしら……)


ユリウス様が次々と読み上げる「神の教えを求める声」を聞いているうちに、私の心を満たしていた不安は、跡形もなく消え去っていた。


代わりに胸の奥から湧き上がってきたのは、言葉にできないほどの、圧倒的な「懐かしさ」だった。


他愛のない日常の迷い、家族への小さなお不満、どうしていいか分からない人間関係のもつれ。

これらはすべて、前世の私がカスタマーセンターのデスクで、毎日毎日、何十件、何百件と優しく受け止めてきた、「人々の小さなお悩み」そのものではないか。


国を滅ぼす魔王と戦えと言われたら、私にはハトを出すことしかできない。

けれど、「迷える人の話をじっくりと聞き、その傷ついた心に寄り添い、ほんの少しだけ前を向けるような優しい言葉をかける」ことなら、私は前世で何年もかけて磨き上げてきた、プロフェッショナルなのだ。


おまけに、私には相手のどうでもいい小さな秘密がわかる【真実の心眼】もある。

奥様の機嫌が悪いと悩む商人に対して、もし「昨日、奥様の大切にしていたお皿をこっそり割って隠した」なんて秘密が見えたなら、それを優しく指摘してあげるだけで、お悩みは一発で解決するかもしれない。

どうしても眠れないほど悩んでいる人が来たら、【どこでも快眠】の加護をそっと与えて、ふかふかのベッドにいるような深い眠りで、心と身体を癒やしてあげることもできる。


(私の能力は地味でショボいと思っていたけれど……この『お悩み相談室』において、これ以上ないほど優しくて、役に立つ力なんじゃないかしら?)


誰かを傷つけるための力ではなく、誰かの日常を、ほんの少しだけ温かく、のどかにするための力。

そう気づいた瞬間、私の心は、ひだまりのような温かさで満たされていった。


「……エルネスタ様? やはり、聖女様にとって、このような俗世の些細な悩みに付き合わされるのは、退屈で不快でしょうか? もしお心が乗らないようでしたら、私が事前にいくつかの案件を弾きますが……」


私の沈黙を、不快なものと勘違いしたのか、ユリウス様が申し訳なさそうに視線を下げた。生真面目で不器用な彼は、聖女である私に、そんな雑多な相談をさせてしまうことを心苦しく思っているようだ。


私は、ソファーからゆっくりと立ち上がり、彼の前に歩み寄った。

そして、彼の琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ、心からの、一番穏やかな微笑みを浮かべた。


「いいえ、ユリウス様。困っている方に大きいも小さいもありませんわ。民の皆様が日々を健やかに、笑顔で過ごせるようにお手伝いすることこそ、私の望む聖女の姿です。どんなに小さなお悩みであっても、私は喜んで、その方の声に耳を傾けます」


「エルネスタ様……!」


ユリウス様はハッと息を呑み、その美しい瞳に、じわりと深い感動の光を浮かべた。

彼の頭上には、相変わらず『寝癖と十五分格闘した』という愛らしい秘密が浮かんでいるけれど、今の私には、彼のその生真面目さこそが、とても愛おしく、信頼できるものに思えた。


「貴女という方は、どこまで慈悲深いお方なのか……。分かりました。明日からの『神託の儀』、私も全力でエルネスタ様を支え、お側でお護りいたします」


「ええ、頼りにしていますわ、ユリウス様」


窓からは、穏やかな夕暮れの光が差し込み、私たちの影を優しく床に伸ばしていた。


前世のコールセンター勤務と、ちょっぴり地味な能力を持つ偽りの聖女。

こののどかな世界で、迷える人々の心に寄り添う日々の幕が静かに上がろうとしていた。

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― 新着の感想 ―
『春の空を切り取ったかのような』形容だと青色か水色を連想するのですが、何故『琥珀』色?これでは金色か蜂蜜色しか連想出来ませんけど、この色だと『空』を思い浮かべる色には普通なりませんよね?青い琥珀なんて…
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