お忍びデート
数日後。
私たち二人は、神殿の許可を得て(もちろんフランツ様には「リサーチという名目の視察です」と言い訳を使って)、王都の市街地へと足を踏み入れていた。
星誕祭を大成功に導いた「聖女エルネスタ」と「聖騎士長ユリウス」がそのままの姿で街を歩けば、パニックになるのは目に見えている。
そのため、私は地味な栗色のウィッグを被り、町娘のような深緑色のワンピースを着ていた。ユリウス様も、漆黒の騎士服を脱ぎ、動きやすい革の胸当てに、上質な焦茶色のコートを羽織った「傭兵」といった出で立ちだ。
(ふふ、ユリウス様の姿、とても新鮮で格好いいわ……)
「エルネスタ様、足元に段差が。お気をつけください」
「そこの馬車! スピードが速すぎる、彼女に泥が跳ねたらどうする気だ!」
ユリウス様は鋭い眼光を周囲に走らせ、逆にすれ違う町民たちから注目を浴びる始末だった。
これでは、のどかなデートどころか、ピリピリした公務になってしまう。
私は小さくため息をつき、彼のコートの袖をちょいちょいと引っ張った。
「ユ、ユリウス様。そんなに周囲を睨みつけないでくださいな。これでは、私たちが『お忍び』であることがバレてしまいますわ」
「し、しかし! 万が一、エルネスタ様に危険が及べば……!」
私は立ち止まって彼を見上げ、コテンと首を傾げた。
「あのね、ユリウス様。こういう時は、ただの『恋人同士』のふりをして歩くのが、一番怪しまれないカモフラージュ(偽装)になるのですって」
「こ、こ、こいびと……ッ!?」
ユリウス様の顔が、ポンッ! と音が鳴りそうなほど真っ赤に爆発した。
【真実の心眼】を見るまでもない。彼の頭の中では今、『恋人』という言葉で思考が完全にショートしているはずだ。
私は少しだけ背伸びをして、カチコチに固まった彼の左腕に、私の両腕をそっと絡ませた。
「ほら、こうして腕を組んでいれば、ただの仲の良い男女にしか見えませんでしょう? 今日は騎士長様ではなく、私の『特別なエスコート役』として、私と一緒にこの街の空気を楽しんでくださるかしら」
「あ、は、はい……っ! 承知いたし……いや、ええと、その……エルネスタ、がそう言うなら……」
無理やり恋人っぽい砕けた口調を作ろうとして、盛大に噛み倒しているユリウス様が可愛すぎて、私は腕にギュッと力を込めて微笑んだ。
────
私たちが訪れたのは、王都の裏通りにある、蔦の絡まるお洒落な隠れ家風のカフェだった。
星誕祭の喧騒から離れたこの場所は、心地よい静寂に包まれている。店内に漂う焙煎されたコーヒー豆と、焼き立てのアップルパイの甘い香り。
窓際の奥まった席に座り、二人で温かい紅茶とアップルパイをいただく。
「美味しい……! サクサクのパイ生地と、甘酸っぱいリンゴのバランスが絶妙ですわ」
私が頬に手を当てて幸せなため息を漏らすと、向かいに座るユリウス様は、自分の紅茶には一切手をつけず、ただひたすらに、熱を帯びた琥珀色の瞳で私を見つめていた。
「……あの、ユリウス様? 私の顔に、パイの欠片でもついていますか?」
「いえ。……あまりにも、その、栗色の髪の貴女も愛らしくて。こうして向かい合って座っていると、夢を見ているような気分なのです」
ストレートな褒め言葉に、今度は私の方がドギマギして視線を逸らしてしまった。
本当にこの人は、心の中ではハトやマントに嫉妬するほど暴走しているのに、肝心な時には、息が止まるほど甘い言葉を真っ直ぐにぶつけてくるのだから反則だ。
「……貴女は仰いましたね。『これからの未来のお話』を聞かせてほしい、と」
ユリウス様は、テーブルの上で少しだけ姿勢を正し、真剣な眼差しで私を見据えた。
周囲のオーラが、穏やかで、けれど決して揺るがない「深い紺碧の誓い」の色へと変わっていく。
「私はこれまで、聖女としての貴女をお護りすることだけが、我が生涯の使命だと信じていました。ですが……あの夜、私の手を温め、無理矢理にでも私を休ませようとしてくださった貴女の優しさに触れて、思い知ったのです」
彼はゆっくりと手を伸ばし、テーブルの上に置かれていた私の手を、そっと、けれど力強く包み込んだ。
剣ダコのある、温かくて大きな手。
「私は、聖女としての『エルネスタ様』だけでなく、不器用で、優しすぎて、誰よりも民を想う『エルネスタという一人の女性』の未来を、隣でずっと守り抜きたいのだと。……騎士としてではなく、一人の男として、貴女の隣に立つことを、お許しいただけますか」
その言葉は、星誕祭の喧騒の中でも、神殿の重圧の中でもない、ただの温かいカフェの一角で紡がれた、あまりにも素朴で、不器用で、誠実な告白だった。
私は、包み込まれた彼の手を握り返し、目に滲みそうになる嬉し涙を堪えて、とびきりの笑顔を向けた。
「ええ、喜んで。……私の方こそ、これからもずっと、貴方のその温かい手に、私の隣をエスコートしていただきたいですわ」
私がそう答えると、ユリウス様の琥珀色の瞳がパァッと輝き、周囲のオーラが、春の訪れを告げるような、満開の桜色へと染め上げられた。
偽りの聖女として始まったこの異世界での日々。
コールセンターの激務で擦り減っていた私の心は今、この過保護で、不器用で、私のためにどこまでも真っ直ぐに想いをぶつけてくれる愛しい騎士様のおかげで、これ以上ないほどのどかで、幸せな光に満ち溢れている。
窓の外では、冬の澄んだ空が青々と広がっていた。
これからどんな難題が神殿に舞い込もうとも、二人で手を取って乗り越えていける。そんな確かな予感と、甘い紅茶の香りに包まれながら、私たちの「初めてのデート」は、穏やかに、幸せな時間だけを刻んでいくのだった。




