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第二の人生は、のどかな国の聖女。隣の聖騎士団長が、密かに私を愛してくれているようです。  作者: 逆立ちハムスター


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10/13

星降る夜の秘密の約束と騎士の甘い葛藤

星誕祭の熱狂が嘘のように静まり返り、王都は深く、澄み切った冬の夜の静寂に包まれていた。

空には数え切れないほどの星々が、まるで砕けた氷の欠片のように冷たく、けれど美しく瞬いている。


すべての公務を終え、大聖堂の喧騒から離れた私は、約束を果たすため、神殿の最奥にある聖騎士長の執務室兼私室へと足を運んでいた。

手には、マルク料理長に特別に頼んで淹れてもらった、温かいカモミールと蜂蜜のミルクティーを二つ持っている。


前世のコールセンター時代、どんなに大規模なシステム障害やクレームの嵐(炎上)を乗り越えた後でも、本当の意味でその日が終わるのは、戦い抜いたスタッフ全員が「無事に退勤打刻ログオフをしたのを確認してから」だった。

今日の星誕祭で、誰よりも神経を尖らせ、見えないところで完璧な警備という名の立ち回りを続けてくれた「最高の現場責任者」を、きちんと休ませてあげること。それが、元SVである私の、今日最後の、そして一番大切な仕事だ。


「ユリウス様。エルネスタです。入ってもよろしくて?」


静かにノックをして声をかけると、室内からガタッ!という何かが倒れるような派手な音が聞こえ、続いて慌ただしい足音が扉へと近づいてきた。


「は、はいっ! もちろん、お入りください!」


少し上ずった声と共に扉が開く。

そこに立っていたユリウス様は、いつもの重厚な漆黒の騎士服ではなく、少しだけリラックスした、けれど上質な濃紺の室内着を身に纏っていた。前髪が少し下りており、普段の「鉄の聖騎士」の威圧感は鳴りを潜め、どこか年相応の青年の素顔が覗いている。

しかし、その琥珀色の瞳は、まるで抜き打ち検査を受けた新人オペレーターのように、激しく動揺して泳いでいた。


「エルネスタ様……っ。ほ、本当に来てくださったのですね。いや、その、私が貴女様の私室へお伺いするべきでしたのに……! このような殺風景な部屋に、聖女様をお招きするなど……!」


「ふふ、いいのよ。今日は貴方が一番リラックスできる場所で、ゆっくりしていただきたかったのですもの」


私は微笑みながら、部屋の奥にある暖炉の前のソファーへと歩みを進めた。

パチパチと薪がはぜる心地よい音が響き、部屋の中は暖かく、清潔なリネンの香りが漂っている。決して殺風景などではなく、彼の実直な性格が表れた、とても落ち着く空間だった。


二つのカップをローテーブルに置き、私はソファーに腰を下ろして、隣のスペースをポンポンと叩いた。


「さあ、ユリウス様もこちらへ」


「あ……、はっ……! 失礼、いたします」


ユリウス様は、まるで演説台にでも向かうかのようなガチガチの歩みで近づき、私から少しだけ距離を空けて、背筋をピンと伸ばして座った。その膝の上で、大きな両手がぎゅっと硬く握りしめられている。


私は【オーラ視】をほんの少し意識した。

彼の周囲には、星誕祭の警備を終えた「深い疲労(重い藍色)」のオーラが渦巻いているはずなのに、今はそれ以上に「極度の緊張と歓喜(激しく点滅するピンクとオレンジ)」がバチバチと火花を散らしている。


「今日一日、本当にありがとうございました、ユリウス様。貴方の完璧なエスコートのおかげで、誰も怪我をすることなく、素晴らしいお祭りを終えることができましたわ」


私はそう言いながら、彼の膝の上で固まっているその大きな右手を、私の両手でそっと包み込んだ。

そして、夕方のバルコニーでの約束通り、私の手のひらの体温を、彼の肌へとゆっくりと伝えていく。


「……!」


ユリウス様の喉の奥から、小さく変な音が漏れた。

彼はビクッと肩を震わせ、今度は耳だけでなく、首から顔全体までを、まるで暖炉の火が燃え移ったかのように真っ赤に染め上げた。


「エ、エルネスタ様……っ。あ、あの、私の手は、訓練でひどく荒れておりまして……貴女様のその、雪のように白く柔らかなお手を、傷つけてしまうやもしれず……」


「いいえ。この努力の証こそが、私と、この神殿を護ってくださっている証ですわ。とても勇ましく、頼もしい手です」


私が優しく微笑みかけると、ユリウス様は「うっ……」と呻き声を上げて、片手で顔を覆ってしまった。

その瞬間、私の【真実の心眼】が静かに発動し、彼の頭上に鮮やかな光の文字を紡ぎ出す。


『死んでしまう。こんな至上の幸福がこの世にあって良いはずがない。エルネスタ様の手が、信じられないほど柔らかくて温かい。良い香りもする。自分の心臓の音が大きすぎて、彼女に聞こえてしまわないか心配だ。……しかし、約束では「私が眠りにつくまで」手を握ってくださるのだったな? ということは、私が眠ってしまった瞬間に、この天国のような時間は終わってしまうということだ! なんだその絶望的なタイムリミットは! よし、絶対に寝てなるものか。騎士の意地にかけて徹夜し、この手の温もりを秒単位で脳に焼き付けてみせる……っ!』


(ふふ、まあ……! ユリウス様ったら、眠るために私が来たのに、徹夜してでもこの時間を引き伸ばそうとしているのね)


過保護で一途な騎士様らしい、あまりにも不器用で愛らしい葛藤。

しかし、元SVの私から見れば、これは「無理な残業(サービス残業)を自己申告で続けようとする、困ったワーカーホリック」そのものだ。身体の疲労は限界を迎えているのに、気合いだけで退社を拒否している状態。

こういう時は、私から、有無を言わさぬ「強制退社」を出してあげなければならない。


私は、彼の右手を包み込んだまま、少しだけ身体をずらし、私の方から彼との距離をグッと縮めた。


「エッ……!? エルネスタ様……っ!?」


私たちの肩と肩が、ほんのわずかに触れ合う距離。

ユリウス様は息を呑み、完全に石像のように硬直してしまった。私は彼の顔を覗き込むようにして、少しだけ上目遣いで、一番甘い声で語りかけた。


「ユリウス様……。私、貴方と一緒にいられて、とても幸せですわ。でも、貴方が無理をして眠気を我慢しているのが伝わってくると、私は、自分が貴方の負担になってしまっているのではないかと、少し……悲しくなってしまいます」


「なっ……! とんでもない! 悲しませるなど……! 私はただ、この夢のような時間を、一秒でも長く……っ」


彼は思わず自分の口を塞いだ。私はそっと彼の手を優しく退けた。


「すべて分かっていますわ。聖女ですから。でもね、ユリウス様。明日も、明後日も……これから訪れるすべての新しい季節も、私は貴方の一番近くにいたいと願っているのです。だから、今日の幸福を無理に引き伸ばさなくても、大丈夫なのですよ」


「……あぁ」


私の言葉に、ユリウス様の琥珀色の瞳が、大きく見開かれた。

「明日も、明後日も」という私の確かな約束が、彼の心の奥底にあった「この時間が終わってしまったらどうしよう」という焦りを、ゆっくりと溶かしていく。


「貴方が健やかに眠り、明日また、とびきりの笑顔で私に『おはよう』と言ってくださること。それが、私への一番の贈り物なのです」


私は微笑みながら、心の中で【どこでも快眠】の加護を、今夜だけは特別な、最高級の優しさを込めて意識した。

そして、包み込んだ彼の手を通して、淡い桜色と金色の、まるで春の陽だまりそのもののような魔力を、彼の身体へとゆっくりと流し込んだ。


「さあ、私の大切な騎士様。今日一日の立派な戦い、本当にお疲れ様でした。今夜は、私の加護の中で、すべての重い鎧を脱いで……安心して体を休めて下さいね」


「エルネスタ、様……」


私の声と、手のひらから流れ込む極上の癒やしの魔力に、ユリウス様の鉄の意志はついに心地よく陥落した。

彼の身体から強張りがすうっと抜け落ち、琥珀色の瞳が、抗いがたい眠気にトロンと潤んでいく。

そして、重力に逆らうことをやめた彼の頭が、こくりと傾き――私の右肩へと、そっと寄りかかった。


「……なんとあたたかい加護……。貴女の、お側で……ずっと……」


寝言のように小さく呟いた後、ユリウス様は穏やかな、とても規則正しい寝息を立て始めた。

私の肩に預けられたその頭の重みと、銀髪の微かな感触。それは、こののどかな異世界で私が手に入れた、何よりも愛おしく、守りたいと願う宝物の重さだった。


(ふふ、強制退社、完了ですわね)


私は心の中で小さくガッツポーズをしながら、寝入ってしまった彼の大きな手を、もう一度優しく撫でた。


部屋の【オーラ視】の色は、先ほどまでの激しいピンクから、すべてを包み込むような、穏やかで静かな「深い夜空の青」と「ぬくもりのある橙色」へと変わっている。


パチパチと燃える暖炉の音と、彼の静かな寝息だけが響く夜。

私は、彼が完全に深い眠りにつくまで、約束通りにその手をしっかりと握り続けていた。

明日の朝、彼がこの状況で目覚めた時に、どれほど真っ赤になって取り乱すかを想像して、少しだけ悪戯っぽく笑いながら。


この優しくて、不器用で、私のためにすべてを捧げてくれる愛しい騎士様と一緒なら。

明日もきっと、世界で一番のどかで、幸福な笑顔に満ちた一日が始まるはずだ。

私は、肩に寄りかかる彼の温もりを心ゆくまで堪能しながら、静かに冬の夜の平穏を味わうのだった。

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