第9話 見えない背中
僅かな距離にある紙。
まるでホームベースに向かうようにヘッドスライディングをして紙を手に取った。
何処に居るのかを忘れさせたその紙に、
僕は目線を預けた。
≪海斗へ
昨日はありがとう。
俺のわがままに付き合わせてすまない。
このまま信じて、進んでくれ。
話は変わるけど、球速も打撃も、二年前とは比べ
物にならないくらい成長しているな。
想像以上でびっくりしたよ。
中二の時の俺よりも、凄いんじゃないか?
たまに離れたところから見ているんだ。
いつも遠くから見ていて気づかなかったけど、
お前も体がごつくなったな。
身長も伸びたし、安心したよ。
それと、またハンバーグだったのか?
悪かった。
昨日は家のご飯を食べなかったから知らなかったんだ。
次からはちゃんと調べるよ。
あっ、それとちゃんと髭、剃ったよ。≫
読み終えた瞬間、
ふっと力が抜けた。
「……よかった」
やっと声が出た。
肩の力が、ゆっくりほどけていく。
胸の奥に張りついていた何かが、
静かに剥がれていく。
気づけば、
涙と一緒に笑っていた。
その日を境に、
1日の時間ロスの会話が始まった。
今日の練習のこと。
クラスでの出来事。
テストの点数に落ち込んだ日も、
試合で活躍できた日も。
ドア一枚を挟んだ、
たった一枚のやり取り。
ある日。
「今日、全然ダメだった。投げ方忘れたよ」
そう言ってドアにもたれた。
返事はなかった。
でも次の日――
≪フォームが崩れてる。左手が出てなかった。≫
「えっ?学校来てたの?
職質されない程度にしてよね。」
階段の下から小さな笑い声が2つ上がってきた。
やがて兄からは、
練習メニューや体づくりのアドバイスも届くようになった。
≪今日は肩を休めろ≫
≪下半身を鍛えろ。球速はそこからだ≫
≪セカンドの子、歩き方に違和感があったぞ。≫
その言葉は、
心の中に刻まれていった。
迷ったとき、
折れそうなとき、
その言葉が、頭の中に浮かぶ。
まるで――
暗い中で灯る、小さな光みたいに。
その灯りに気づいたときには、
僕は、もう前を向いていた。
見えないはずの背中を、
追いかけて。




