第10話 見えない会話
月日は流れ――。
陸斗が引き籠もるようになってから、
海斗は「兄の存在」を胸に、驚くほどの速さで成長していった。
マウンドに立つたび、
相手打線が静かになっていく。
打席に立てば、
ベンチの空気が変わった。
気づけば、いくつもの大会で優勝旗を掲げていた。
ベンチに戻るたび、
海斗は無意識にスタンドを見上げる。
――見てくれてるよな、兄ちゃん。
その視線の先に、姿はない。
それでも、確かに“いる”気がした。
そんな日々を重ねるうちに、
海斗はいつしか――
スタンドのざわめきが、
少しずつ自分に向いているのが分かった。
そして、ある日。
ポストに入っていた一通の封筒が、
すべてを変えた。
≪推薦入学のお知らせ≫
封筒を開いた瞬間、指先が震えた。
そこに書かれていたのは――
陸斗が、かつて通っていた高校。
急いで階段を駆け上る。
視線の先、自分の部屋の前。
そこに、見慣れた紙袋が置かれていた。
ハンバーガー。
そして、一枚の紙。
≪今日の晩ご飯はハンバーグじゃないよ≫
思わず、笑った。
「……兄ちゃんらしいな」
紙袋を手に、兄の部屋の前へ向かう。
軽く、ノックする。
「兄ちゃん……ありがとう」
ドアの向こうに向かって、言葉を落とす。
「ここまで来られたのは、家族のおかげだよ」
「兄ちゃんがいなかったら、ここまで来られなかった」
握りしめた推薦通知が、じんわりと手のひらに馴染む。
「とりあえず、一つ目標はクリアしたけど……」
小さく息を吐く。
「まだまだだね」
廊下の灯りを見つめながら呟いた。
「あの時、マウンドに立ってた棚橋さん、プロになったんだって」
どんなに忘れようとしても、
ニュースの映像が頭から離れない。
「それも……兄ちゃんのおかげなのかな」
静かに、問いかけた。
「兄ちゃんは、これで良かったの?」
言葉が、重くなる。
「本当は、兄ちゃんが立つはずだったんじゃないの?」
喉の奥に熱が帯びる。
「自分の夢を捨ててまで、僕に託したんだよね……?」
天を仰いで、静かに拳を握りしめた。
「だったら――」
大きく息を吐いて、ゆっくりと首を回した。
「絶対、甲子園へ行く」
声が、はっきりと廊下に響いた。
「兄ちゃんが立つはずだったマウンドに、僕が立って、甲子園で、優勝する」
その言葉の重さを、
自分で受け止めたように、
手に痺れが走った。
「一緒に、叶えようよ」
少しだけ、笑って言った。
「もっと頑張るからさ」
ドアに、そっと手を添える。
言葉が、
うまく出てこなかった。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「……髭、剃ってる?」
空気をかえるように、
少しだけからかう感じで。
「もしかしたら、身長……超えたかもな」
気づけば、視界は暗くなっていた。
目を閉じていることに、
しばらく気づかなかった。
「早く、会いたいな」
戸惑いが宙を舞う。
「もし、兄ちゃんが引き籠ってなかったら……」
言いかけた言葉を飲み込んだ。
「あ、そっか」
「それじゃダメなんだよな」
熱が奪われていく紙袋を握り直す。
「ハンバーガー、ありがとう」
次の言葉が見当たらない。
仕方なく言った。
「……おやすみ」




