第8話 ドアの向こう
胸の奥が、ふっとほどけた気がした。
張りつめていた何かが、音もなく緩んでいく。
僕はその場に腰を下ろし、ドアに向かって口を開いた。
「お兄ちゃん……今まで、ごめんなさい」
言葉にした瞬間、喉の奥がじりっと焼ける。
それでも、奥歯を噛んで、声を押し出す。
「さっき、お父さんが手紙を見せてくれたんだ」
あの文字が、頭の中で鮮明に蘇る。
「理由があるから……部屋にいるんだよね」
うまく繋がらない言葉を、無理やり整える。
「そんなことも考えずに、自分のことばっかりで……毎日ここを通るたびに、酷いこと言って……」
息が引っかかる。
それでも、止めずに言葉を吐いた。
「……本当に、ごめん」
崩れそうになるのを、ぐっと飲み込み、次の言葉を紡いだ。
「でも……ちゃんと伝わったよ」
視界が揺れそうになるのを、まばたきで押さえる。
「お兄ちゃんが、僕のことをどれだけ大切に思ってくれてたか」
言い終えたあと、軽く頭を下げた。
「……ありがとう」
返事はない。
でも、次の言葉が押し寄せてきた。
「僕も……お兄ちゃんのこと信じてる」
拳を握り、
指先に力を込めて、逃げないようにする。
「だからさ……同じ高校、行くよ。絶対に追い越す」
覚悟が背筋を走った。
声が震えそうになるのを、無理やり押さえつける。
「僕なら大丈夫」
一拍置いて、少しだけ息を落とす。
「……お兄ちゃんの方が、きっとつらいんだろうし」
胸の奥で何かが暴れそうになる。
それを、無理矢理押し込む。
少し迷って、言葉を投げた。
「四年後……いなくならないよね?」
返答はない。
分かっている。
でも、聞かずにはいられなかった。
「みんな、待ってるからさ。六年分の話……ちゃんと聞かせてよ」
ふと、思い出した。
「あ、そうだ……ハンバーガー、ありがとう」
鼻で、少し笑いながら。
「泣きながら食べたけど……めちゃくちゃ美味しかった」
喉がまた熱くなる。
今度は、言葉を止めない。
「ご飯、ちゃんと食べてる? 体、大きくなっててびっくりしたよ」
「……臭くなかったし、お風呂もちゃんと入ってるみたいで、安心した」
わざと軽く言う。
「でも、髭は剃った方がいいよ。似合ってなかったし」
小さく笑う。
その笑いはすぐに揺れた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
静かな声が廊下に響いた。
「毎日、話しに来てもいいかな」
返事なんて求めていなかった。
だから続けた。
「夜の八時から九時の間、ここに来るから。時間があったら……聞いててよ」
「それと――今日の晩ご飯もハンバーグだったよ」
少しだけ口元が緩む。
「……じゃあ、また明日ね」
立ち上がる気にはなれず、そのままドアにもたれる。
「おやすみ」
ドアの向こうは、変わらず静かだった。
それでも――
ほんの少しだけ、
そこに温かい気配がある気がした。
ーー翌日。
約束の時間に兄の部屋の前へ行くと、
ドアと床の隙間に、
一枚の紙が置かれていた。




