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死球(DEADBALL)〜同じ悪夢を見る者たち〜  作者: Mr.ランジェリー


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第6話 真実の手前

部屋の外で、誰かが泣いている気がした。

さっき吐き出した言葉が、まだ胸の奥に引っかかっている。

気になって、ドアを開けた。

廊下の電気はついたままなのに、やけに暗く見えた。

父が、階段から顔を出した。


「海斗。晩御飯の前に話がある。先に風呂入って、リビングに来てくれ」


「……頭を冷やせってこと?」


父は目線を外し、蛍光灯を見つめた。


「いいから、風呂入ってこい」


その声は、いつもより少しだけ低かった。

 

風呂場に入ると、鏡が白く曇っていた。

手で拭ってもモヤがかかっている。

蛇口をひねると、水の音がやけに大きく響く。

湯気の中で、さっきの言葉が何度も浮かんでは沈んだ。


――死んでくれよ


滴る水滴みたいに、その言葉だけが何度も頭の中に落ちてくる。

モヤがかかったまま、胸の奥に重く沈んでいく。

 

風呂を出て、リビングへ向かう。

廊下の床が、足音に合わせて小さく軋んだ。

扉を開けた瞬間、冷たい空気が身体を抜けた。

 

父は、どこか力を失った顔をしている。

母は、目を赤く腫らしていた。

テーブルの上には、

ぐしゃぐしゃに握り潰された一枚の紙。

その横で、夕食の湯気だけが、場違いみたいに揺れていた。

耐えきれず、視線をベランダに向けた。

 

「海斗」


父が、ゆっくりと口を開く。


「今まで黙っていて悪かった」


その一言で、部屋の空気がさらに重くなる。

思わず、湿った髪に指を通した。


「海斗が陸斗を恨む気持ちも、分かる」


視線が、自然と紙に落ちる。


「でもな……陸斗にも、何か理由があるんだと思う」


父は、その紙をそっと差し出した。


「陸斗が学校へ行かなくなった日に、部屋の前に置かれていた手紙だ」


父は口を固く結び、姿勢を正した。

父と母は揃えて頭を深く下げた。


「読んでくれないか」

 

あんなわがままな奴のために、頭を下げる2人。

その思いに嫉妬さえ感じる。

手を伸ばす気にもならなかった。


「……今更、負け犬の遠吠えなんか聞けないよ」


喉に詰まった物が吐き出されていく。


「俺がどれだけ辛いか、分かる?」


視界が、少し揺れる。


「今更そんな手紙読んだって、気持ちは変わらないから……」


これ以上その姿を見たくない。

僕はその場から逃げた。


「……おやすみ」

 

部屋に戻り、

ドアを閉めた音が、僕の何かを崩し、僕は

ベッドへ崩れた。

天井のシミが、ぼんやりと滲んで見えた。

 

さっきの泣き声。

――あれは、母さんだったのか。

兄の言葉よりも、その事実の方が胸に刺さった。

 

《トンッ トンッ》

顔を拭い、姿勢を正した。

ドアは動く気配を見せなかった。

カーテンの隙間から、街灯の光が細く差し込んでいた。

気のせい……か。

 

そう思いながら、ドアを開けた。

 

そこにあったのは――

紙袋だった。

 

二年前、兄と行ったハンバーガーショップのロゴ。

少しだけ油が滲んだ、見慣れた紙袋。

その横に、小さなメモ。

 

ふっと、あの日の空気が戻ってきた。

夕焼けの匂いと、笑っていた声が、頭の奥で重なる。

――あの日の兄ちゃんの気配がした。

 

震える手で、メモを開く。

≪さっきは悪かった。肩、大丈夫か?≫

 

息が、止まった。

 

「なんだよ……」


「変わったのか、変わってないのか……どっちだよ……」

 

涙が視界を奪った。

止めようとしても、止まらない。

声を殺して、

ーー泣いた。

 

どれくらい経ったのか分からない。

気づけば、ベッドの上で袋を開けていた。

 

冷めたハンバーガーを、一口。

パンは少し固くなっていて、肉の温もりももう残っていない。

それでも、もう一口。

 

味は、分からない。

ただ――

崩れていたピースが、

少しずつ噛み合っていく感覚があった。

 

まるで、バラバラになった隙間が、

静かに結び直されていくみたいに。

 

しばらくしてリビングに戻った。

テーブルの上には、夕食と、あの手紙。

ハンバーグから立ち上る湯気だけが、ゆっくり揺れていた。

 

「……ハンバーグ?」


少しだけ、笑った。


「デジャヴかよ……」

 

「母さん…。」



味は、覚えていない。

ただ――

あの頃と同じ匂いだけが、胸の奥に残った。

 

しばらくして、父と母が来た。

父が、静かに言う。


「あの時、すぐにこの手紙を見せてやればよかった」


視線は手紙に落ちた。


「父さんも……動揺してたんだ」


天を仰ぎ、ゆっくりと僕の目を見た。


「さっきの喧嘩を聞いて、心から後悔した」

 

父は、手紙を僕の方へ押し出した。


「これを読めば、きっと陸斗の気持ちを理解できる。」


確信の視線が送られた。


「心の準備が出来たら、読んでくれ」


 

「……悔しかったんだよ」


気づけば、口を開いていた。


「本当なら、あのマウンドに立ってたのは――」


声が裏返りそうになり、一息ついた。


「棚橋さんじゃなくて……お兄ちゃんだと思うと……」


乾いた髪を両手で押さえつけた。


「悔しくて……悔しくて……」

 

父が、肩に手を置いた。


「まあ、四年後には出てくるんだ」


軽く笑い、背を向けた。


「その頃には海斗が甲子園で活躍してるだろ?

ハハハ、冗談、冗談」

 

――四年後?

その言葉だけが、引っかかった。

頭の中で、何度も繰り返される。

 

父は片手を上げた。


「じゃあ、おやすみ」

 

静まり返った部屋。

針音と心音が響く。

 

僕は、ゆっくりと手紙を手に取った。

無音がうるさく感じた。

指先は、小刻みに震えている。

 

恐る恐る――

手紙に、目を落とした。


その中に書かれているものを、

知るのが――怖かった。


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