第24話 不在着信
棚橋修也
携帯を投げ捨て、目的もなく走り出した。
頬を切る風の奥で、優愛の声がかすかに響く。
その優しさが胸に触れるほど、心の奥が痛んだ。
公園のベンチに腰を下ろし、夜空を見上げる。
どこまでも深い暗闇の中で、陸斗の声が蘇った。
事件の数日後。
どうしても謝りたくて、病室の前まで行った。
扉に手を掛けた瞬間、隙間から陸斗の声が聞こえた。
「だから、修也は悪くないんだよ。
ちょっとふざけてたら、俺が足を滑らせただけなんだ。
ホントだって、本人が言ってるんだから。
変な噂信じないでよ」
その言葉が、胸の奥に刺さった。
陸斗は、あの状況でも俺の味方でいてくれた。
なのに、現実は違った。
画面の中の言葉は、容赦なく俺を切り刻んでいく。
あの時、本間の言葉を聞いていなければ。
あの時、俺が陸斗を追い越すことばかり考えていなければ。
あの時、謝るだけで終われていたら。
夜空に向かって吐き出した言葉は、どこにも届かなかった。
気づけば夜は深くなり、公園の向こうに優愛が立っていた。
俺は逃げるように走った。
どこへ向かっているのかも分からないまま。
気がつくと、交番の前に立っていた。
「画面の向こうのお前らが望む通りにしてやるよ……」
声は、自分のものとは思えなかった。
「俺を見放した奴ら…… 全員、道連れだ……」
鞄から護身用のスプレーを取り出し、
大きく息を吐いた。
そして衝動のまま、扉を開いた。
そこから先は、断片しか覚えていない。
焼けるような匂い。
痛みに歪む警察官の顔。
荒い呼吸。
自分の手の中にある、冷たい重み。
目の前の警察官は、痛みに耐えながらも――
それでも、俺を人として見ていた。
その目に、一瞬だけ心が揺れた。
でも、もう戻れない。
頭の中で、無数の声が渦巻く。
こいつも同じだ。
どうせ、俺を責める側の人間だ。
それでも最後に浮かんだのは、
最後まで味方でいてくれた二人の顔だった。
「陸斗……。優愛……。
ごめんな……。もう限界だ……」
その時、交番の扉が開いた。
「修也!」
息を切らした優愛が、俺へ駆け寄ってくる。
「修也! やめて! 何してるの?!」
その声が、現実を突きつける。
けれど、その現実こそが俺を追い詰めた。
優愛は、一歩近づいた。
「一緒に考えようよ。
まだ間に合うよ……ね?」
「……もう……無理だ……」
彼女が俺の腕にしがみつき、壁へ押しつける。
汗で濡れた彼女の髪から甘い匂いが、心を落ち着かせた。
俺は抵抗しなかった。
一緒に考えよう、
そう思った。
その瞬間――
≪パァンッ≫
乾いた音が、交番の中を突き抜けた。
優愛の身体が、ふっと揺れる。
白い制服に、紅が滲んだ。
――まるで花が、咲いたように。
次の瞬間、彼女は崩れ落ちた。
声が出ない。
息もできない。
俺の腕の中から、世界が抜け落ちていく。
地面に打ちつけられた音が耳に届いた。
立ち上がろうとする警察官の姿が視界に映った。
恐怖が、全身を支配する。
嘘だ…
これは夢だ…
考えるより先に、指が動いていた。
≪パァンッ≫
白い閃光が視界を塗りつぶし、
交番の空気が裂けた。
気づけば、俺は優愛の前に座り込んでいた。
紅に染まった優愛を、抱きしめる。
彼女の体温が、少しずつ消えていく。
「しゅうや……
はやく……かえろ……」
細い声が、耳に触れた。
「優愛……ごめん……」
涙が頬を伝い、彼女の顔に落ちる。
もう、拭ってあげることもできない。
「もう……終わりにしよう」
冷たい重みが、手の中にあった。
その冷たさだけが、やけに優しかった。
「陸斗……本当に……ごめん……」
音が、遠くなる。
「優愛……今、行くよ……」
最後に聞こえたのは、自分の鼓動だった。
そして――
三度目の音が、夜を裂いた。
月光に照らされた雲の隙間で、
白い制服を着た優愛が、笑顔で手を伸ばしていた。
その向こうには、ユニフォーム姿の俺がいる。
「修也! 早く手をつないでよ!」
「……わかってるよ」
その手に触れた瞬間、すべての痛みが消えていった。
荒れた交番の机の上で、スマートフォンが震える。
着信と同時に、画面が明るくなった。
そこには――
手を繋いだ、修也と優愛が映っていた。
不在着信 陸斗




