第16話 そこに残された証拠
兄の死因は心不全だった。
数時間前――
母が買い物から帰って来た時、二階の廊下で凄い音がした。
「え……? 陸斗?!」
慌てて階段を駆け上がる。
うつ伏せのまま、動かない兄の姿があった。
記憶が重なった。
野球を始めたばかりの頃、死球を受けて倒れた、あの姿。
「陸斗! ちょっと……返事して!」
震える声が、廊下に落ちる。
その瞬間、兄の指が、かすかに動いた。
母が顔を近づける。
途切れ途切れの声が、漏れた。
「……母さん……?
海斗が……帰ってきたのかと……
慌てて……電気……
消してないよ……
ごめん……ね……いままで……あ……りが……と……」
それだけを残し、目を閉じた。
陸斗の瞳から、“未来を映す力”が、ゆっくりと抜けていく。
「陸斗!! 陸斗!!」
何度呼んでも、もう応えなかった。
救急車。
病院。
白い光。
医師の「時間経過」の声は、母の泣き声にかき消された――
――
手続きを終え、兄を残し、三人で病院を出た。
雲の底にたまっていた水が尽きたのか、雨は、ようやく止んでいた。
車の中はエンジン音よりも、鼻をすする音の方が大きく響く。
誰も、口を開かない。
声にすれば、何かが壊れてしまいそうだった。
――
帰宅して、野球道具を庭の物置に運んだ。
ふと、目に入る。
兄がいつも腰を掛けていたベンチ。
その瞬間、記憶が押し寄せてくる。
耐えきれなくなり、二階へと駆け上がった。
電気も点けないまま、階段を上がる。
真っ暗な廊下の先。
白い光が、こぼれていた。
兄の部屋の扉が、少しだけ開いている。
その光だけが、そこに“気配”を残していた。
吸い寄せられるように、足を踏み入れる。
部屋の中は、光そのものが息づいているようだった。
床には、数冊のノート。
整然と並んでいる。
まるで――準備されていたみたいに。
視線を上げると、ソファーの上には積み重なったアルバム。
一冊、手に取り、ページをめくる。
新聞の切り抜き。
試合の写真。
二人で撮った写真。
ソファーで眠る僕。
家族写真。
めくる。
また、めくる。
――違和感が残る。
「あれ……?」
見覚えのある顔があった。
「……さっきのお巡りさん?」
さらにめくる。
棚橋さん?
兄ちゃんと並ぶ姿に違和感を覚えた。
また、めくる。
兄ちゃんのチームメイトの人達。
見慣れた顔。
でも――少し、大人になっている。
その隣に、同じように歳を重ねた兄ちゃん。
めくる。
また。
また。
――同じ女性がいる。
めくる。
そこにも、いる。
どの写真にも、いる。
家族写真以外――すべてに。
綺麗な人だな。
棚橋さんの奥さんと2人で笑っている写真。
その横顔。
ふと、視線が止まる。
――左手。
ほんのわずかに、引っかかった。
何かを思い出しかけて、止まる。
夢の中で、見た気がする。
そのまま、最後のページをめくる。
一枚の写真。
「……甲子園?」
思わず声が漏れる。
マウンドに立つ僕。
スタンドから見守る、後ろ姿。
後ろ髪。
肩幅。
姿勢。
すぐに分かった。
兄ちゃんだった。
力強く座っているのに、どこか透けてしまいそうな背中。
その写真の端に、文字。
《応援に来れて良かったね》
――兄ちゃんの字じゃない。
文字の最後が、わずかに震えていた。
「兄ちゃん……」
喉の奥が、締まる。
「やっぱり……来てたんだ……」
アルバムを握る手に、力が入った。
ーーその時、白が揺れた。




