第13話 魂の一球
甲子園大会が始まった。
海斗は初戦から快投を続けた。
強豪相手にも臆さず立ち向かい、
マウンドでは一切の迷いを見せない。
投げてはゼロを並べ、
打っては勝負どころで打点を挙げる。
気づけばチームは、その勢いのまま勝ち上がり――
決勝戦へと辿り着いていた。
そして迎えた、決勝当日。
九回表。
スコアは――1対0。
海斗が打席へ立つと、
球場全体が息を呑んだ。
初球。
鋭く食い込んだインコースのボールが、
そのまま膝を直撃した。
「っ……!」
鈍い音。
遅れて、痛みが突き刺さり、その場に崩れた。
海斗は動かなかった。
ざわめきが広がり、
やがて球場は静まり返った。
海斗の母が立ち上がった時、父は母の手を強く握りしめた。
「あの時と一緒よ」
母は強い口調で言ったが、父は首を振り、ゆっくりと手を引いた。
コーチと、チームメイトが駆け寄った。
海斗は手で合図を送り、来るのを拒み、
ゆっくりと立ち上がった。
その姿に、
甲子園は歓声に包まれた。
海斗は足を引きずりながら一塁へ向かった。
ベンチに視線をやり、ガッツポーズを見せた。
その姿を見た監督は、言葉を飲み込んだ。
その後の打者は凡退。
ベンチへ戻ると、監督が声をかけた。
「……無理するな。ここまでよくやった」
海斗は聞こえないふりをした。
「お前には、未来がある」
「……交代だ」
海斗は、首を横に振った。
「ここで引いたら――」
唇を噛みしめる。
「未来も何も……ありません」
強い眼光で監督を見つめ返した。
「兄の為にも、行かせてください」
監督は黙り込む。
数秒。
そして――
静かに、頷いた。
海斗は深く一礼し、
最終回のマウンドへ向かった。
その背中を見つめながら、監督が呟く。
「……陸斗も、闘ってるんだったな」
マウンドに立つ。
(ここで終わらせるわけにはいかない)
だが――
踏ん張りが、きかない。
四球。
また四球。
それでも、何とか二つのアウトを奪う。
だが状況は――
二塁、三塁。
そして。
満塁。
球場の空気が、張り詰める。
海斗は一度、セットを外した。
天を仰ぐ。
スタンドでは、父が呟く。
「……まずいな。余裕がなくなってる」
「アイツは焦ると、上を見る癖があるからな」
母が、小さく笑う。
「ほんと、あなたにそっくり」
「えっ、俺もか?」
「自覚なかったの?」
その会話さえ、遠い。
監督は伝令を送り、マウンドに仲間が集まった。
その場に笑顔はなかった。
「大丈夫か?」
「無理するなよ」
海斗は、空を見たまま答える。
「……大丈夫」
「任せてくれ」
「監督からの伝言…
負けても誰も海斗を恨まないから、
思いっきりやりきれって。」
1人が笑いながら言った。
「そーだな」
そして、キャッチャーの辻は満面の笑みで
「全部取ってやる。思いっきり来いよ」
全員に笑顔が戻り、掛け声があがった。
海斗は再び、一人になる。
膝は、限界に近い。
痛みが、波のように押し寄せる。
(ここだけは――)
(絶対に、譲れない)
初球、ストライク。
続く球――ボール。
ツーストライク。
膝は、とうとう限界を超えた。
そして、天を仰いだ。
その瞬間――
空を切り裂く声が、突き刺さった。
「海斗!! 深呼吸だ!!」
その声は、海斗の胸を強くエグった。
――兄ちゃん?
海斗は胸を掴んだ。
家じゃないの…
海斗はタイムを取り、
ゆっくりとスタンドを見渡し、深く息を吸い、
大きく吐いた。
そして、首を回す。
視線を上げ、
帽子のつばの文字に目をやった。
《Entrust your dream》
――夢はお前に託す――
グローブの刺繍をなぞった。
«魂»
まるで、額を合わせているようだった。
「……」
強く目を閉じた。
暗闇の中にドーナツのような白い輪があった。
(ど真ん中か…)
大きく振りかぶり、
すべてを込め、鞭のようにしなやかに、
魂ごと、投げた。
白球が――
一直線に、吸い込まれる。
遅れてバットが空を切る。
「ストラーイク!バッターアウトー!」
試合終了のサイレンが甲子園に鳴り響いた。
その瞬間。
海斗は、その場に崩れ落ち、
空に向かってガッツポーズをした。
歓声が、爆発する。
仲間が駆け寄り、
視界が光で埋まる。
それでも――
海斗は、スタンドを探した。
兄の姿は――
見えなかった。
それでもいい。
確かに、そこにいた。
この瞬間を――
仲間と。
家族と。
片足を引きずりながら整列する。
深く、一礼。
校歌を、歓声が飲み込んだ。
甲子園が、揺れていた。
――僕たち家族の夢が
一つ、叶った。
夢のような時間は、
眩しいほどの速さで過ぎていく。
誰に何を言われたか。
何を返したのか。
もう、覚えていない。
けれど――
あの一言だけは。
あの景色だけは。
今も、胸の奥で光っている。
その光を抱いたまま、
海斗は静かに目を閉じた。
深く。
静かな眠りが、訪れた。
やっと、明日…




