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朝、奴隷市場が賑わいを見せる中、芦毛はいつものようにパサパサのパンと、土が落ちていないジャリジャリとした根っこだけの根菜入りのスープを食べた。

これが最後の食事だ。いつもと変わらない味。


「おい、芦毛出ろ」


その時が来た。

芦毛は、立ち上がって唯一の出入り口から外へと出ようとした。殺し人が斧を持って待ち構えていた。あの斧で頭を落とされるんだろうか。裏口で殺さないのは、他の奴隷の戒めとして見せつける為だ。芦毛は泣き叫ぶこともせず、奴隷商の後に続く。その時、「待て」と、どこからか声がする。

視線を向けると、フードを目深に被った長身の男と思しき者がこちらを見ていた。


「そいつをどうするんだ?」


「はい?はぁ、穀潰しなんで今から殺そうかと」


「その者を買う。いくらだ?」


なんの感情もない男の声だった。


「おい、聞こえてるのか?いくらだと聞いている」


主人がハッとして「すいませんね、お客さん。こいつはもう売り物じゃねーんでさ。他の奴を選んでおくんなせぇ」とヘコヘコと気持ちの悪い笑みを浮かべて言った。


「他など要らん。俺はそいつが欲しいんだ」


「そう言われやしても……こいつよりも他の商品はいかがですかい?最近入ってきたあいつとか──」


男がマントの下から巾着袋を取り出して、主人に投げた。ゴンッと地面に鈍い音を立てる。


「だから他は要らんと言っただろう。これだけあれば足りるか?」


すぐさま主人がその巾着袋の中を確認して息を呑む。


「こ、これは……」


「金貨100枚」


芦毛も目を瞠った。

金貨1枚で貧民ならば約2年は暮らせる。それを100枚あっさりと放り投げた。

1番高く買われた奴隷でも、金貨5枚だ。

100枚など今までに払った客などいないのでは無いだろうか。

マントはベルベットなので、身分はかなり上だと推測できた。それでも、これだけの大金を軽々と払えるなど貴族でもそうそういない。王族でも、よほどが無い限り無理では無いだろうか。

自分に金貨100枚の価値などない。

金貨に似せた偽貨ではないのかと疑ってしまう。


「お客さん、本気で言ってんで?」


巾着袋を抱きしめながら、もう俺のものだと言いたげに主人が男に震える声で訊ねた。


「本気だ。売るのか売らんのか、どっちだ」


「う、売ります売ります!どーぞどーぞ!先に言っときやすけど、あとで返品はききやせんよ!?いいんですね!?こいつは今日で殺そうとしてたんすよ。いやー、お前運がいいな!あ、捨てるのも殺すのもお客さんでお願いしやすよ!?」


「つべこべ五月蝿い。金は払った。さっさとこちらに渡せ」


ぶっきらぼうな男の声に、主人は「ほら、さっさと行け」と芦毛の背中を思い切り突き飛ばした。

鎖がジャラジャラ鳴りながら、芦毛は地面に倒れそうになるが、男の手が伸びてきて腰を支えられた。


「おい、奴隷商。お前は売ったものをぞんざいに扱うのか?すでに俺のものだ。扱いに気をつけろ」


背筋がヒヤリとする声音に、主人が顔を引き攣らせた。ここで返品など言われたらたまったものじゃ無いとペコペコと冷や汗をかきながら謝る主人に、男は一瞥しただけで芦毛を横抱きにする。すぐにどこからともなく現れたフードマントの人物が芦毛の体に柔らかな毛布で包み込んでくれる。礼を言うと、見えていた口元が優しく微笑んだ。

そのまま男達が歩き出す。


「あの、ごしゅじんさま……わたし……あるきます。くさりのはしをおもちください」


それが、この奴隷市場での奴隷を持ち歩くルールだ。ご主人様が奴隷を従える。金を持っている金持ちのステータスのようなものだ。


「その鎖では歩くのも遅い。生憎俺は犬のように人間を引いて歩く趣味はない。俺はトロい奴は嫌いだ」


ざっくり言って、男はズンズンと大股で歩く。

こんな横抱きにされたままだとこの男のマントが汚れる。

しかし降りようとしても迷惑がかかる。

男は下ろそうともしない。

芦毛は大人しく新たな主人の命に従った。

どんな扱いを受けるんだろう。もしかして拷問されるのか。はたまた性奴隷として扱われるのか。金が金なのですぐには殺されないとは思うが、何をさせられるのか予想がつかない。

それでも買われた以上耐えるしか無い。

混雑する人通りを抜けて、鬱蒼とする森の入り口に着く。

この先に屋敷があるのだろうか。

しかし見渡す限り緑だ。

芦毛を抱いた男は不思議な言葉を口にすると、突如目の前に箒が現れた。

芦毛は、ビクリと肩を揺らす。

何故箒、それにどこから現れた?

男は何も言わずにそれに跨ると、ふわりと宙に浮く。


「わ、あ」


思わず男にぎゅっと抱きついてしまった。直ぐに離そうかと思ったが、「構わん。抱きついておけ」と器用に芦毛を抱え込んで、箒を操る。

そういえば、もう一人の男も後ろにいるのだろうかと目を彷徨わせた。


「なんだ?酔ったか?」


「いいえ、だい、じょぶです……あの、ごしゅじんさま……あとひとりは?」


「あと一人?ああ、ランか?あいつは先に家に戻っている」


それは、どうやってと問いたかったが、速さが少し上がり芦毛は身を縮こませた。


「着いたぞ」


暫くして、男の声に箒が降下する。男の足が地面に着き、芦毛はホッとした。一つ瞬きをしたら箒は無くなっていた。

それと、男がフードを取った。

短めの、夜のような深い黒の髪に血のように紅い瞳、20代前半くらいの見目をした美丈夫だった。一度見たら視線を逸らしたく無い、この世の人とは思えない美しい男。

せっかくこんなにも美しい姿なのに、表情は無であり、ひどく不機嫌そうだ。

美しく整った人間を見たことがなかった芦毛は、つい見惚れてしまい、慌てて目を伏せた。


「ここが今日からお前の家だ」


まだ腕に抱えられたまま、男に声をかけられ芦毛は伏せていた双眸を上げた。

赤煉瓦の壁に白い屋根、屋根の煙突からは白く細い煙が燻っている。平家建てで温かみのある可愛らしい家だ。離れもある。

庭には瑞々しい葉が茂った木、色とりどりの花、美味しそうな果物がたわわに実を実らせている。一際大きな木の下には、2脚の椅子と丸テーブルが置かれていた。その近くに小川が流れている。

まるでお伽話の一幕に出て来そうな風景だった。

しっかりと手入れされており、気持ちの良い風が庭を巡っている。

赤煉瓦が埋め込まれた小道を進んで玄関を開けると、若い男性が立っていた。

さらりとした金髪に同じ金瞳をした優しそうな青年。


「お帰りなさいませ、ヒュー」


「おかいり〜」


足元から声がして、芦毛は視線を向けた。そして驚いた。

猫よりも少し大きいくらいだろうか、銀色の毛並みと青色の瞳をした動物が芦毛を見上げていた。長い尻尾はグルングルンと振り回されている。


「ただいま。俺の獣魔で雪豹のニニだ」


「ニニでしよぉ〜。よおしくねぇ」


「よ、よろしくおねがいします……」


動物は話すことが出来ただろうか。穴が開くほど凝視していたら、金髪の男が「良かったね、ニニ。怖がられなかったね」と微笑んだ。

ニニと呼ばれた雪豹が黒髪の男の足元で、ご機嫌にきゃっきゃっしながら回っている。


「ニニ、遊ぶのは後だ。ラン、先に風呂にしてくれ」


「ご用意出来ておりますよ」


「ありがとう。少し時間がかかると思うから食事の用意を頼む」


「かしこまりました」


視線を変え、芦毛に微笑む。


「お嬢様、お好きなものはありますか?」


「ニニのしゅきなものはねぇ〜、にくだんごでし〜」


「ニニ、今はお嬢様の好きなものだよ。ニニの好きな肉団子も作ってあげますからね」


「きゃふぁ!」


るんるんと嬉しそうに足踏みしている。


「お嬢様、なにかありますか?」


急に質問されて、芦毛は「え?す、好きなもの?ですか?」と慌てる。それに、こんな身なりの自分にお嬢様と呼んでもらうなど厚かましいにもほどがある。


「はい、お好きなものがありましたら作りましょうね」


芦毛に好物などない。食べられるだけ幸せだったから。それに、先ほど男が言っていたランというのは、市場にいた男だ。

本当に先に帰っていたのか。一体どうやって?


「あの、カビのはえたパンでも、つちのついたくさりかけたやさいのきれはしでも、わたしはあたえられたものは、のこさずなんでもたべられます」


芦毛が言うと、悲しげな表情を作った。


「しょれってぇ、おにゃかいたいいたいになるでしよ」


ランが黒髪の男に視線を向けると「ラン、ひとまず俺の好きなものを作ってやってくれ」とランと呼ばれた男に男が冷たい声で言った。

「ご用意しておきます。ニニ、行くよ。おいで」と軽く頭を下げて、ランはニニと一緒にどこかへ行ってしまう。

男も大股で歩き、芦毛はどうしたらいいんだと狼狽えてしまう。

着いたのは浴室だった。

水色と青の細かめのタイルが白い壁に散りばめられ涼しげで、ふたつある丸窓は花や草が描かれたステンドグラスだ。

長躯の男でも十分足を伸ばして入れる浴槽と、大きめのシャワーが壁に嵌め込まれていた。

突然男の手に棒のようなものが出現する。ストンと青のタイルが敷き詰められた床に下ろされた。

無意識に体中が震え出す。

手をぎゅっと握りしめて、痛みが襲うのを待つ。

けれど、何も起こらない。


「何をしている?湯船に浸かれ」


「あの、そのぼうでわたしをたたくのでは?」


「は?」


男が眉間に皺を寄せてふてぶてしい顔をする。


「俺を低俗な人間と一緒にするな。棒で打つ趣味はない」


男が棒を一振り。

カシャンと音がしたかと思うと、首輪、手枷、足枷が外れて床に大きな音を立てて落ちた。重かった体が、途端に軽くなった。枷で擦れて爛れていた傷も綺麗に治っていた。


「体の外、中の怪我は全て治した。もう痛みはないはずだ」


「……」


だるく、動くのさえ億劫だった体が軽い。ペタペタと自分の体を触っていたら、


「どうした?どこか違和感があるか?」


「あの……ごしゅじんさま。わたしにこのようなことをしていただいてもなにもかえせません」


「返さなくていい。お前はもう奴隷ではない」


「??では、わたしはなにをすればいいのでしょうか?むちでうちますか?けものにくわせますか?」


不快なことを聞いたように顔を歪めてちっと舌打ちされると、いきなり手首を掴まれてドボンと湯船に浸けられた。温かい湯が体に染み込む。

綺麗な透明なお湯が自分の体の汚さで慌てて出ようとする。しかし、男は止める。


「あの、おゆが……」


「風呂は体を洗う為の場所だ」


「で、でもきたない」


「五月蝿い。静かにしてろ」


冷たい声でそれだけ言うと、男は服の袖を捲り上げて芦毛の垢や泥がこびりついて汚れた体を丁寧に根気良く何時間もかけて洗ってくれた。

不思議なことに風呂の湯が常に新しい湯に変わっていくのだ。

自分でやると言っても、男は聞く耳を持たない。

黒い汚れた水がどんどんと排水溝へと流れていく。

どれだけの時間が経った頃、ふかふかのタオルで体を包まれ、まるで誂えたかのような体にピッタリの服を着せられた。髪もかなり傷んでいたが男が棒を一振りしたら、本来の少し癖のある髪に戻り襟足より少し長めに整えられた。


「あとでランに結ってもらえ」


服を着たのは、売られる前の幼い日振りだった。こんなに綺麗な服を着せられても、芦毛には金などなく返せない。

また横抱きにされて、扉のない部屋へと入った。

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