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「おや、可愛くなりましたね」


「きえいきえいねぇ。で?ニニとおしょぶよね?なにしゅるでしか?」


「待てニニ。その前に飯だ」


「はっ!しょーだ!ごはんねごはん!」


陽の光が柔らかく窓から入る部屋には、美味しそうな匂いが充満していた。

こんな匂いを嗅いだのは初めてだ。

ぐうぅと腹の虫が盛大に鳴り、頭上でふっと笑われたような気がした。


「ご、ごめんなさ……」


「謝らなくて良いんですよ。すぐに食べられますからね」


テーブルには、よだれが垂れそうな料理が所狭しと並んでいる。芦毛に優しく笑うランが、「あれこれと作っていたら作りすぎてしまいました」と、柔らかそうなパンの入った籠を置いて言った。

二脚あるうちの一脚に座らせられたが、芦毛は慌ててぺたんと床に座った。「おい、椅子に座れ」と芦毛の脇に手を入れ椅子にちょこんと座らされた。ニニは専用の食事台でフリルのついたスタイを首を巻かれて今か今かと待っていた。


「ピクニック以外で食事の時は椅子に座ってくださいね」


「よ、よごれちゃいます」


「風呂入っただろうが。そこが今日からお前の椅子で定位置だ。覚えておけ」


フンと鼻を鳴らしながら男も芦毛の正面の椅子に座って向かい合わせになるようになった。


「ランさまは……?」


「僕のことはランと呼び捨てでお願いします」


「だそうだ。ランは俺の使い魔だ。食べないし眠らない。疲れることもないから、普段はずっと立ちっぱなしだ。ここでは家事全般と庭師もしてくれている」


「つかいま?」


「俺は魔法使いというやつだ。箒は主に交通手段で、杖がなくても魔法は使えるがあったら力が増すから使っている。それと、俺の名前はヒューだ。ヒュー・コルヌアイユ。俺も〝様〟は要らねぇからな。普段はこの森深くに誰も寄せ付けないように結界を張って暮らしている」


「ヒューは王宮魔法使いなんですよ。公爵の位も叙爵されています」


補足するようにランが教えてくれる。


「王宮魔法使いも公爵も俺はどうでもいい。10代前の王が勝手に俺をこき使うために作った身分だ。俺の意思じゃない」


「でもそのおかげで金庫が潤っていますよ。使い切れないほどです」


「今後はこいつのために使えばいい。お前も楽しみができただろう」


「はい。とても楽しみですよ」


ヒューと言った男とランで何やら会話が行われ、芦毛はそれを聞くしかできない。

魔法使い……この男、ヒューが……。

魔法使いは国に数人しかいない特別な存在。誰も知り得ない知識と、なんでも生み出す神のような存在。

死んだ者も生き返らせることができると聞くし、しかも不老長寿と聞く。

若い見目をしているが、どれだけの時を生きてきたのか。それに、20代前半くらいに見えていたランが実は使い魔とは驚いた。

人間と、なんら変わらない。

じっとランを見つめていたら、パッと視線が合わさって微笑まれた。


「お嬢様、お名前はなんと言うのですか?」


「あ、あしげです」


「あしげ?あしげと言うと僕は馬を想像してしまうんですが……」


「あっています。あしげのようなかみのいろなので、ごしゅじんさまからはそうよばれていました」


こくんと頷くと、ランが困ったように眉を下げた。


「それは名前ではないですよ。貴方を人として扱っていない言葉の暴力だ」


髪を一掴みして、芦毛は「このかみのいろだったのでそうよばれていました。ほんとうのなまえはしりません」


両親が元々売る前提だったのか、捨てられる前も名前は無かった。

それが当たり前だと思っていたので、芦毛はなんとも思わなかった。

痛々しそうに顔を歪ませるランがヒューに視線を向けた。


「今日からお前の名前はヘリアンサスだ。その向日葵のような黄と茶がまばらに混じった瞳の色から思いついた」


「ヘリアンサス?わ、わたしにおなまえを?」


「気に入らなかったら他を考える」


「いえっ!いいえ!」


ブンブンと頭を左右に振って、無意識に涙が溢れた。すぐさまランが涙を拭ってくれる。


「ヘリアンサス、良い名ですね」


「おにゃまえきまったでしか?ヘリィでいいでしか?」


「ああ、好きなように沢山呼んでやれ」


「はーい!」


「お……なまえ……わ、わたしの?」


「そうですよ。貴方の名前です、ヘリアンサス」


ブワッと涙が溢れて、ランが「あぁ、泣かないで」と背中を優しく撫でてくれる。


「真名は、これから考える。俺はお前を弟子にするつもりで買った。俺以外に魔力を持ったものなど今まで見たことがなかったのに、今朝何気に市場に足を踏み入れたらお前がいた」


「でし?わたしにまりょくなどありません」


そんな不思議な能力は無い。

自分は何も無い、ただの奴隷。

誰にも買われずに本当ならば死ぬはずだった役立たず。


「ある。近くに寄らないとわからないほどのな。今は胸の奥底に静かに眠っている。それを起こせるのは俺だ。魔法使いの俺が、同族だと感じたんだ。まぁ、いきなりこんなことを言ってもわからんだろ。おいおいだ。とりあえず食事にしよう」


何も置かれていない真っ白な皿が一枚置かれて、フォークナイフスプーンが皿の隣に置かれている。涙が落ち着くと、ランが首元にハンカチを巻いてくれる。


「お口に合うといいんですが。たくさん食べてくださいね。あ、でもゆっくり噛んでね」


真っ白だった皿にランが次々と料理を乗せてくれる。初めて見るものばかりだ。


「っっふあぁ……!」


「ランのごはんはねぇおいっしいのよぉ!」


口の周りを盛大に汚しながら、ニニは笑う。ヘリアンサスもコクンと頷いた。


「ふふ。特に気に入ったものがあれば教えてくださいね」


ヒューは大きな口を開けて料理を無言で頬張っていく。見ていて気持ちがいいほどの食欲だ。

あまりにも気持ちよさそうに食べるので、それをずっと見ていたら。


「何してる?早く食べろ」


「た、たべてもいいのですか?」


恐る恐るヒューとランを交互に見る。


「さっさと食え」


「ヒュー、優しい口調で言ってください。ヘリアンサスが怖がってしまいます」


「五月蝿い。元からこんな口調だ」


喧嘩?喧嘩なのかと心配になっていたら、ランは楽しそうに笑っているので喧嘩ではなかった。ヘリアンサスと自分に名前をくれたヒューと優しく接してくれる使い魔のラン。

ヘリアンサスは、椅子に座ったまま、頬が熱くなった。

あたたかな涙が粒になって頬を流れていく。

ランが慌ててハンカチを手にしてヘリアンサスの目元を拭ってくれる。

ヒューもカトラリーを置いて立ち上がった。ヘリアンサスの隣に立つと軽々と抱き上げた。


「よく泣く奴だな」


子供をあやすように大きな手のひらで背中を撫でてくれる。

何も言わずに、ただ何度も何度も手のひらで撫でて、時々、ぽん、ぽんと優しく叩く。

誰かに抱きしめられたことも優しく撫でられたこともなかったヘリアンサスは、ヒューの肩に顔を埋めて静かに泣いた。

背中を撫でていた手が今度は頭を撫でてくれる。

夢でも見ているのだろうか。目を開けたら、檻の中にいるのでは?


「不安か?」


静かに囁くように問われ、ヘリアンサスはヒューに振り向いた。


「ふ、ふあんです……わたしはどれいです。いつころされるか、すてられるか……おやさしいごしゅじんさまがたに、わたしはなにもできていません。おやくにたたないとごはんはたべられません」


涙も鼻水も流れ垂れる汚い顔をヒューに見せつけるが、ヘリアンサスは心のうちを吐露した。


「何もしなくても今日から腹が減ったら腹一杯飯を食え。捨てないし殺さない。絶対的安心がほしいのならば血の契りを結べば良い。俺の妻になれば俺がお前の家族になれる」


血の契り?とはなんだろう。それに、自分を娶る?本気で言っているのだろうか。


「ヒュー、それは……いくらなんでも初日にヘリアンサスにそれは……」


困惑して焦るランに、ヒューは「わかっている」と冷たく言う。


「こいつは何かで縛らないと毎日不安で押し潰されて、そのうち心労で死ぬぞ。魔法でこいつの記憶を弄っても構わないが、こいつの本音で俺はそれを使うか使わないか決める。こいつが自分でどうしたいか決めさせる。どのみち問うことだ」


ヒューはヘリアンサスに紅の双眸を向けた。


「血の契りを交わせばお前は人間ではなくなるが、俺が永遠に守ってやれる。俺の妻になればお前の帰る場所は此処だ。ずっと一緒にいてやるし、離れない。絶対に殺しもしないし捨てない」


「……ごしゅじんさまの……わたしのかえるばしょ……」


「さっさと決めろ、ヘリアンサス」と言われ、ヘリアンサスは喉を上下してヒューを見つめた。ランは呆れたように「傲慢」とため息を吐いている。


「うるせぇな。結婚すりゃこいつのことを周りからゴタゴタ言われねぇだろうがよ」


「それはそうですけど」


奴隷の自分が役に立てることなどあるんだろうか。ヒューの役になてなかったらきっと捨てられる。魔法の素質があったとして、いざそれを覚える時がきてなんの素質もなかったら?

がっかりさせてしまう。

怖い。


「わたしはやくにたちますか?ごしゅじんさまのごめいわくになりませんか?」


ぎゅっと服を掴んで震える声で言った。


「役には立つ。俺の弟子になって妻になるんだぞ。迷惑などならない。最強の魔法使いである俺の目がお前を選んだんだ。胸を張れ」


「またそんな傲慢に」と呆れたように微笑するランをギロリと睨んで、ヒューは「決めろ」と不遜に言う。


「なんのとりえもなくって……ささげられるとしたらこのからだだけです。ごしゅじんさまのでしに……つまになりたいです」


震える声で言うと、ヒューはヘリアンサスの頭を撫でた。

すると、徐にヒューがチーズナイフを手にした。それを指に押し当てると、すぐさま血が盛り上がる。

空いていた小皿に数滴滴らせると、それをヘリアンサスに渡した。


「飲め」


小皿には真っ赤な鮮血。ヘリアンサスは凝視して、勢いよく嚥下する。

ゴクンと喉が揺れ、血の味が口の中に溢れる。

すぐさま体が熱くなった。

けれどすぐに治る。


「これでお前は俺の弟子で妻だ」


口元を指で拭ってくれるヒューに感謝の言葉を口にしようとしたら、腹からぐぅぅと虫が鳴った。

ヒューは強面の顔から一転、ククッと楽しそうに笑った。その表情に、ヘリアンサスは顔を真っ赤にする。


「でけぇ腹の虫だな。食事を先にすればよかったな。先走った。悪かった」


「いいえ、いいえ!わたしはほんとうならばきょうしぬことになっていました。それをごしゅじんさまがいかしてくださいました。なんでもします。このからだはごしゅじんさまのためにあります」


「ヒューと呼べ。悪いがそう言うのは好きじゃない。お前の体はお前のものだ。自由に生きろ。俺は何も咎めないし、お前が好きなように暮らせるようにしてやる」


何も持っていない自分にここまではしてくれるヒューに、ヘリアンサスは涙が止まらない。


「おい、泣くな」


「ごめ、なさ……」


ヒューは泣き止むまでずっと抱きしめてくれた。

ヘリアンサスの額にキスをすると、


「俺はこんな顔で偏屈な性格だ。しかし、市場でお前を見た時に人生で初めて誰かに興味を持った。お前は俺の弟子で妻で家族だ。ランも家族だ。もう奴隷じゃねぇぞ。わかったか?」


無表情であるが、瞳は優しさを含ませていた。ヘリアンサスは涙の雨を降らせながら何度も何度も頷いた。

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