第305話 祖母の安らぎ
アミーカとのランニングが終わったその日、工房でティミナと一緒に王城試験の魔導具の仕様書を詰めていた時のこと。
「セレナ、試験の方はどうだい。順調に進んでるかい?」
と、師匠が聞いてきた。
締め切りまで残り一ヶ月半。
たしかに今まで進捗報告をしなかったのはマズかったな。
「はい、もうほぼ最終段階で、後は試作品を作って微調整していくだけです」
「そうかい。なら間に合いそうだね」
「師匠……?」
進捗報告はしなかったけど、師匠はいつもならクラリスさんを通じて確認をする。
こんな風に直接確認をしに来ることはない。
「セレナ、ちょっとおいで」
そう言うと師匠は自分の部屋へと向かう。
私はティミナに作業の続きをお願いしてその後に続いた。
部屋に入ると師匠と私だけ。
クラリスさんすらいない。
なんだこれ。
こんな緊張する状況、今までで初めてだ。
「まぁ座りな」
そう言って師匠はお茶を用意しようとしたので、私は腰掛けようとしていたのをやめて、慌てて代わる。
それに対していつもはあまり見せないやさしい笑みを浮かべながら、師匠は杖に体重を預けつつ、ソファに腰を掛けた。
だいぶ体が弱ってきてるなぁ。
今までソファに座るのに杖を使ったのなんて見たことないもん。
私がお茶を入れると、師匠は一口。
「まぁまぁかな」と、魔導具並みの厳しい判定をもらい、私もソファに腰掛けた。
「さて、アンタを呼んだ用件だ。察しはつくかい?」
「もしかして、引退……ですか?」
「はー、これだからマリーの娘は油断ならないよ……そうさ、そろそろ体もきつくなってきたからね」
「引退したら、師匠はどうするんですか?」
「王都に家はあるからね。そこに引っ込んで、毎日適当に過ごすよ」
「でも、家の人いませんよね?」
「あぁ。クラリスがたまに様子を見に来てくれるからね。不便はとくにないさ」
師匠は横の窓を見て、遠くの空を眺める。
「アンタが来てからもう三年目か。初等学校の頃に初めて来て、最初はマリーの子どものくせに、なんてプロ意識の低い子だろうと思ったものさ」
「し、師匠。初等学校の子に厳しすぎやしません?」
本来初等学校の子どもなんて、将来のことについてなんかまだ考えてないくらいだ。
三年生に上がって、高等学校へ進まない、進めないというのが分かって、そこで初めて将来の職業というものに目を向け始める。
アミーカと私が早すぎるんだ。
二年生の冬に、もう進むべき道を決めていたのだから。
「まぁ、後から考えたらマリーですら初等学校を卒業後してからうちで働いてたからね。期待をかけ過ぎたと思った矢先さ。貴族が抑えないとまずい魔導具を立て続けに二つも考えてきたのは」
「あ、あー、あれは……忘れたってことで」
「バカ言ってんじゃないよ! あの時マリーとクラリスと一緒に、どれだけ頭を抱えたことか。まったく」
あれ?
私の知らないところで大人のお話し合いがあったらしい。
まったく気づかなかったんだけど……。
「高等学校へ行ってちっとは大人しくなるかと思ったら、今度は黎明祭ときたもんだ。あげくの果てにケンカごときで夜の王都なんて危ないところに出ていくし」
「あ、あれは、その……ごめんなさい」
「まあ痛かったろ? 私じゃなくてマリーナのビンタがね」
「いや、痛さなら師匠のが一番痛かったけどなぁ――いっ、いや、何でもない。マリーナのが一番痛かったなぁ」
言葉の途中で師匠が杖に体重をかけて立ち上がろうとしたのを見て、慌てて手を振り言い直す。
しかし師匠はそのまま立ち上がると、棚の方へ移動して、何かを探し始めた。
「まったく、このバカ弟子が――それでね、別に昔語りをしたかったわけじゃないんだ。えーと、どこにやったかねぇ」
「師匠、もしかして、もうポケットに入れてませんか?」
師匠は準備がいいので、何かがあると、「早すぎない?」という時期にはすでに用意してたりする。
ただ最近早く用意しすぎて忘れてるなんてことがたまにあった。
私の言葉に不機嫌そうに「そんなことあるもんかい」とつぶやきながら顔をしかめた。
やっぱりあったらしい。
ポケットから取り出したのは、一本のブレスレット。
「ほら、くれてやるよ」
そう言って師匠は私にそれを渡してくる。
「なんです、これ? あ、工房の印章ついてますね」
ブレスレットは金色の鎖で、一箇所だけ同じ色の板が付いていた。
そこには歯車同士が噛み合った絵が描かれ、その下に『ベーネ工房』の文字が入っている。
「工房の後継ぎにやろうと思ったら、クラリスは『私はその器ではないので』と断ってね。セレナに渡せるようになるまで私が生きてるか怪しいからね。先に渡しといてやるよ」
「師匠……たぶん死なない――わーっ! ウソウソ、冗談!」
杖がブゥンと音を立てて振り上げられたのを見て、慌てて手を前に突きだしながら叫び声を上げる。
師匠が杖を降ろすのを見て、私は立ち上がり、師匠の前に立った。
「なんだい、やっぱり叩かれたかった……セ、セレナ」
私は師匠をやさしく抱き締める。
「生きてるか怪しいとか言わないでよ。師匠には私の子どもも見てもらいたいし、いつまでもその怒った顔を見せていてよ」
「……ふんっ、人間いつ死ぬか分からないから、後悔しないように先に準備しとくもんだよ」
そう言うと師匠は私の肩を掴んで離し、頬を緩めた。
「バカ弟子の娘もまたバカ弟子。けどね、あんたら親子は私にとって実の娘みたいなもんさ。私がいなくなっても元気にやっていくんだよ」
「ししょ……おばあちゃん!」
再び抱きつき涙を流す私を、師匠は今度こそ離すことはなかった。
背中をさすりながらも、
「誰がおばあちゃんだい」
と悪態をつく。
けれど、その手はどこまでも優しく、私は会ったこともない祖母の安らぎを、師匠の手に感じていた。
「……なんか、ごめん。師匠」
泣き終わって体を離すと、急にバツの悪さが込み上げてくる。
つい感極まって『おばあちゃん』とか呼んじゃったし。
師匠の顔を見ると、やけにニヤニヤした表情を浮かべている。
「ふふん、『おばあちゃん』と呼んだからには、あんたはもう孫だね。孫なら孫らしく、私が引退してもたまには顔を見せに来な。家の場所はクラリスに聞けばいいさ」
そう言って立ち上がると、私を置いて部屋を出ようとする。
ドアノブに手をかけると小さな声で、
「ま、嫌じゃなかったよ」
そう言って作業場へと出ていった。
扉をくぐる時の師匠の顔がほんの少し赤かったのは、きっと見間違いじゃない。
「ふふっ、少しは素直になればいいのに」
思わずそんな独り言を漏らし、私も作業場へと戻る。
「あっ、セレナせんぱ〜い、仕様書終わったから見てくださーい」
遠くからティミナの声が聞こえる。
周りのみんなもそれぞれ自分の仕事に没頭している。
私は、この工房に何を残していけるだろうか。
師匠の話を聞き、工房のみんなを見て、思わずそんなことを考えてしまった。
「セレナ先輩、何ボーッとしてるんですか。早くしないとクーラとの約束遅れちゃいます〜」
やけに急いでると思ったらそういうことか。
プロ意識が足りないあの子には、しっかり宿題を出してあげよう。
ちゃんと夜の約束には間に合うようにね。
私は少し焦り気味に呼び続けるティミナに苦笑いを浮かべながら、それでも少しだけ早足で彼女のもとに近づいていくのだった




