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第五章 空っぽの天国② Living Dead Lives①

「そうそう、タケシさんさぁ」

 こう話しかけるのは編集部渡辺。渡辺の方が年上なのに「さん付け」なのは、編集部ではバイトで入ったタケシの方が先だったので、渡辺がてっきり先輩の外部ライターだと思い敬語で話しかけていたことに()る。のちにタケシにより訂正されるがクセとはなかなか抜けないものだ。

「大井ゾンビって知ってる?」

「何それ? 初めて聞きました」

 タケシはタケシで最初にタメ語で話してたものだから今でも敬語とちゃんぽんなのだが。

「なんかね、国道255沿いのコンビニとかに現れるんだって」

「やっぱいっぱい出てくるの?」

「それはどうなんだろ。詳しいことは俺も知らないんスけど」

「でもさっき『おおいぞんび』って…」

 どこか話が噛み合っていない。

「ん?」

「あれ?」

「…『おおい』って大井松田の『大井』っスよ、タケシさん!」

「あ、ああーっ! それか! そっちか!」

「はーい、編集会議始めるよー」

 小林が号令をかけると編集部員が会議室と呼ばれる一画に集まった。

「記事はさることながら、まずはルミさんの件ね。取材出てから戻って来てなくて、連絡も取れないんだよね。なんだろ、どうしちゃったかな? 誰か知ってる?」

「真面目な人だから何かあっても一報くらいは入れると思うんだけどねぇ。タケシくん、なんか知らない?」

 秋山から話を振られ、ギクリとするタケシ。


 ここに来る前、ルミの寝室をノックしてみたが、返事は無かった。家主とはいえ女性の寝室ともなれば無断で入るのも憚られる、そのままにして来てしまったのだが。


「いやぁ、ちょっと分からないです」

 お世話になってるみんなに嘘をつくのは心苦しかった。元よりルミと同居していることも内密にしているので、すでに欺いているとも言えるのだが。

「オレからも連絡、入れてみますよ」

「了解。俺たち、ちと仕事が立て込みそうなんで、タケちゃんに頼むわ」

「はい、分かりました」

「さて、それじゃ本編。ルミさんが記事にする予定だった尾辺女史の分が丸々空いちゃうんで、なんか入れなきゃいかんのですけども。どうしますかね?」

 タケシが挙手。

「ホイ、タケちゃん」

「さっきナベさんが言ってたゾンビの件、どうでしょう?」

「大井ゾンビのヤツっスか? まだ全然取材とかできてないっスけど」

「オレ、現地行って取材してみますよ。ちょっとでもなんか見つかれば、UMAっぽい扱いで『我々の調査は、まだ始まったばかりだ…』みたいな感じで」

「…なんか某スポーツ紙みたいだけど…どうします? 佐藤さん」

 ちなみに岩竹は不在だ。決定権は現在佐藤副編集長に委ねられている。

「穴を開けるよりマシ、かな。まぁウチは大衆誌だし、お堅い記事ばかりじゃないし。それで行こうか」

「それじゃこの方向で…記事はタケちゃんに任せるってことでOK?」

「はい。承ります」

「じゃ、決定。よろしく頼むね。それじゃ次の議題で」

「あ、すみません。オレ、早速取材行ってきます」

「あ、そう。よろしく。気をつけてねー」

 励ましの声と共に送り出された。



 取材地へ向かう前に、タケシは自宅に寄った。やはりルミのことが心配だった。

「ただいま」

 といつものように帰宅の挨拶をすると

「おかえりなさい」

 と、台所の方から小さな声がした。

 慌てて行ってみれば、そこには電気も点けない薄暗がりのテーブルにルミが着いていた。

「ルミさん…? 体調は…どうなんです?」

「ごめんなさい… 私… 私…」

 膝の上で両手拳を握り締め、ルミが涙を流し始めた。

「ルミさん、だいじょ

「グズッ…ごめんなさい。昨日あったこと、お話しします。そこ、座ってもらえるかな…」

「…はい」

 普段と違う言葉遣いにただ事ではないと悟ったタケシは、促されるままいつものようにルミの前の席に座る。

 そしてルミは語り始めた。昨日、尾辺梨紗の取材中にあったことを洗いざらい。もちろん恥ずかしい。辛い。でも全てを話さなくてはタケシに伝わらないだろうと思う。だから全てを話した。

「そんなことが…」

 タケシは何を言っていいやら分からなかった。

「私…怖かった…辛かった…スーツも銃も無ければ、ただの人なんだって。無力な、何もできないただの人なんだって」

 俯き、膝の上でギュッと握り締めたままの両手拳に、両目から涙をボタボタ落としながら。

「そんな…自分を責めても…」

「それに…エンプティヘブンで身体中がおかしくなって…私が私で無くなるような…私、このまま一生こんな体になっちゃうのかって…そう思ったら…怖くて…ねぇ、私、おかしくない? 手はある? 足も顔もみんな…これ、幻じゃないよね? ホンモノだよね? 私、ルミエール=シューレンよね?」

 両掌をまじまじと見つめている。肩が身体が震えている。微かに奥歯がガチガチ鳴る音すら聞こえる。

(これがエンプティヘブンの…いや、麻薬の後遺症なのか…)

 タケシはスッと立ち上がると震えるルミの横にしゃがみ、ルミの手を取った。

 ピクンとルミの身体が反応する。

「大丈夫です。今こうして握っているこの手も、身体も、みんなルミさんのものです。安心してください。何も失ってません。今も、これからも、あなたはあなたです。ルミさん」

 慰めの言葉なんか見つからない。ただ思ったことを思った通りに伝えるしかなかった。

「タケシくん…ウワァァァァ」

 タケシは、泣き崩れるルミの頭を、優しくそっと抱き寄せた。


 幾ばくかの時が過ぎ、ルミもだいぶ落ち着いてきた。

「…分かりました。編集部の方にはオレが話しておきます。そうだなぁ…先方を怒らせてしまってインタビューが取れず、責任感じて落ち込んでいる、とかでどうでしょう?」

「そんな理由でいいのかしら?」

「大丈夫かどうかは分かりませんが、皆さん、ルミさんのこと、心配してましたよ?」

「迷惑ばかり…本当に…申し訳なくて…もう…」

「仕方ないですよ。とりあえず、今、電話しちゃいます。向こうも仕事に集中したいだろうし」

「うん…ごめん…」

 タケシは立ち上がると、食器棚横にある固定電話から編集部へダイヤルする。心配なのか、ルミも席を立ち、タケシの側へやってきた。


「はい、週間マンスリー編集部」

〈お疲れ様です。風音です〉

「お、タケシくん。秋山だ。どうした? 何かあったか?」

〈はい、長期戦になるかもと思って一旦自宅へ戻って、そのついでにル、守人さんに電話してみたら繋がって〉

「本当に? で? ルミさんは?」

〈実は昨日のインタビュー、取材対象を怒らせてしまったそうで、取材失敗したって。それですっごい落ち込んでて。皆さんに申し訳なくって合わせる顔がないって〉

「はぁぁぁ… なんだぁ、そんなことか。いやー心配したよ。あ、ごめん、ちょっといい? あ、今タケシくんから電話入って、ルミさんと連絡取れたって」

「ホントに?」

 小林が喜びの声を上げる。

「ルミさーん!」

 このよく分からない叫びは渡辺だ。

「あ、ごめん、待たせた。いいよいいよ、そんな失敗、誰だってあるんだから。いや、彼女マジメだからさ、過労でぶっ倒れたとかさ、みんな色々心配しててさぁ。また連絡つけられるようなら、気にせず、元気に来てください、って伝えておいてくれよ」

〈はい。分かりました。あ、守人さん、明日もちょっと休ませてほしいって〉

「了解。しっかり休んで欲しいね」

〈はい。で、オレ、これから大井向かうのと、記事書き上がるまでそっち行けないのでよろしくお願いしますね〉

「分かった。よく分からない対象の取材だから、気をつけてな」

〈はい。ありがとうございます。では〉


カチャ


「ふぅ…」

 言うまでもなく、タケシは嘘が苦手だ。だから真実に少し嘘を混ぜて、どうにか話を組み立てた。心が痛まないでもないが、何も連絡を入れないで編集部を心配させ続けるよりはマシだと思うと、ちょっと心が軽くなった。

「あ、りがとう…」

 側にいたルミが小さく礼を言う。

「体調万全でないならまだ寝ていてください。編集部のみんな、心配してましたよ? 過労でブッ倒れたんじゃないか、って」

「うん…ごめん…」

「謝るのはオレじゃなくて皆さんに、です。しっかり体調直して、お仕事行けるようにしましょ? あ、食べ物、少し買ってきたんで、冷蔵庫に入れておきます。食欲出るようなら食べていてください」

「うん…ありがとう…」

「じゃ、ちょっとオレ、取材行ってきますんで。一人で大丈夫ですか?」

「うん…大丈夫…いってらっしゃい…」


 ヘルメットを被りながらタケシは独り言。

「ルミさん、みんなから愛されてるな…今ならオレも分かるけど…さて!」


キュルン ブゥォウ


 タケシは一路大井へ向かった。



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