第三章 林とタケシ②
タケシがルーブルの扉を開くと、ぼんやり外を眺めていた林がタケシに気付き、立ち上がり
「ご足労感謝する」
と、深々と頭を下げた。
(え…?)
タケシは面食らった。てっきりアレやコレやと権力の刃を翳して詰問されるものだと思っていたのだが、まさか下手に出てくるとは。
それでもそんな慇懃な態度も作戦の内かも知れぬと警戒しつつ
「そんな改まらないでください。オレの方が年下ですから、もっと気楽に話して構わないですよ」
と返した。
「そうかい。じゃ、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。呼び方もタケシ君、で構わないかい?」
「いいですよ。気楽に行きましょう。林さん、でしたっけ」
「ああ、そうだ。それで良ければその呼び方で」
「はい」
「ああ、気が利かんでスマンな。すみません、ホットコーヒーを2つ」
「はーい。少々お待ちを」
「それでだな…そう…色々聞きたいこともあるんだが…まずはこの話からかな」
林はグッと身を乗り出し、話を切り出した。タケシは身構える。
「俺を、憶えてないか?」
「え?」
虚を突かれ動揺するタケシ。思わず林を見入って固まってしまった。
「おそらく、いや間違いなく、君とは昔、会ってるんだ。当時君はまだ中学生。その時の君の学校で。そして石廊崎に同行した刑事の一人が、俺さ」
「お待たせしました」
注文のコーヒーが運ばれて来た。林はそれを一口啜り、続けた。タケシは固まったまま、まだ動けずにいる。
「今日話したいことの一つがそれでな、何というか…当時俺はまだ駆け出しの刑事でな、相手の気持ちを汲み取って、なぁんて余裕はなくてね。現場まで連れてきた関係者は中学生、まだ子供じゃぁないか。今思えば、もっと親身になって、寄り添ってあげられなかったのかなってな。いや、すまなかった」
そう言って頭を下げた。
「いえ…そんな…」
タケシはそう応えるのがやっとだった。正直なところ、タケシの頭の中はいっぱいいっぱいだ。記事についての話かと思いきや、『見知らぬ』と思っていた相手が実は面識ある人だったとは。そればかりではなく遥か昔の過去のことで、若輩者である自分に頭を下げているのだ。
「あれから…どうしたんだ? 聞けば身寄りは無く施設にも入らないと言っていたが」
「一人ですよ、ずっと。一人でずっとやってきました」
「そうか…すごいな、君は」
「そんなことないですよ。さっき編集部にいた秋山さんにもお世話になってますし。進学とかバイトとか、色々」
「そうか。あまり時間がないのでゆっくり話ができないのが申し訳ないが、次の話だ。残念なことなのだが、今巷で問題となっているEH関連の事件で」
「いーえいち?」
「エンプティヘブンのことさ。警察側ではそう呼んでいる。で、俺はそれ関連の捜査から外された」
「そうなんですか」
「確保したハズの重要参考人が失踪してしまってね。この間君のとこの編集長が言ってたこと、あれは事実なんだ」
「…いいんですか? そんな大事な話をオレなんかに…」
タケシはギョッとした。それは警察の内部事情、しかもそうそう口外できないような話ではないのか?と。
「いいのかどうかは分からない。ただ『取引』はフェアでないとイカンからな。こちらも聞きたいことがある以上、それ相応の『土産話』くらいは持ってこないとな」
林は微笑む。話題の深刻さに比べ、その表情は穏やかだ。
「まぁ、参考人失踪の責任を取らされた、というだけなら話は簡単なんだが、どうも腑に落ちなくてな。というのは…外されたのは俺だけじゃない。同時に捜査に関わった、中でも失踪の起こった病院や護送に関わった者ほどEH関連から遠い部署や案件に回された。もしやと思って病院に問い合わせてみたら、当時警備で入っていたおじさんも、職を解かれていたんだ」
にわかにその表情は険しいものに変わった。
「実はな、失踪当時の防犯カメラの映像ってのがあったんだ。それも今じゃどこでどう管理されているのか不明ではあるんだが、その映像を見た者、関わった者ほど、EH関連から一番遠ざけられている」
「どんな映像なのか、聞いてもいいですか?」
「ああ。参考人のベッド脇に黒い…そうだなぁ、穴、とでも言っておこうか、その穴から3人のヒトらしいモノが出てきて、参考人を連れ去ってしまった」
「穴……⁈」
タケシには心当たりがある。ぶちのめしたアンジェラスの一人がルミと言い合いをしている間に黒い穴に消えてしまった。タケシの場合は誰かが出てきたわけではなく、穴に落ちた、という感じなのだが、林の言う件もデギールの仕業だと直感した。
(似ている…出てきたのはおそらくデギールのスーツ…ガイストかもしれないけど…証拠を消すため…だろうな)
「アレは、一体何だ? こっち方面の取材に当たっているタケシ君なら、何か知っているかも知れない、と思ってな。とはいえ、俺は捜査の一線から外された身だから、興味本位で聞いている、というのが正直なところなんだがな」
聞きながらタケシの頭の中は逡巡していた。
(…言っていいのか? どうなんだ? クッソ、こうなるって分かっていればルミさんに聞いておけたのに…)
迷う心が林を正面に見据えることを拒ませた。責められているわけでもないのに悪いことをしているような気分だ。
だが林は答えに詰まり押し黙るタケシを追求するようなことはしなかった。
「そしてもう一つ。正直に打ち明けてしまうと、ガーディアンとアンジェラスが戦っていた現場、君も来ていただろう? 随分と上手く忍び込むもんだと感心したが…未紗を、ああ、すまん、ガーディアンの本城を絞め上げていた男を、ある者が倒してくれた。あれは…君。タケシ君じゃないのかな?」
それは核心だった。さすがに顔を上げ、林を見るタケシ。
「宇宙記者ギャノン…とは君のことだな? タケシ君」
「う…あ…」
何と言えばいいのだ? 言葉にならず、うわ言のような音が出るばかりだ。
「嫌なら答えなくてもいい。今日のこれは捜査じゃないからな。それに…何より礼を言わねば、と思ってる。本城はあの後病院へ担ぎ込まれて、一命を取り留めた。まぁ酷いやられ方だったんで、ケガの後遺症は残るだろうとは言っていたが、死んじまうよりマシさ。危ないところを助けてもらって、ありがとう!」
林はまた深々と頭を下げた。
「あ、いえ、あの…今度ギャノンに会ったら、そう伝えておきます…」
もう答えを言ってしまっているようなものなのだが
「あっはっはっは。そうか、いやスマンスマン。分かった。伝えておいてくれ。頼んだよ」
林もまたそれを笑って流した。仕事ではないというのは本当なのだろう。
「ああ、はい。あの、伺ってもいいでしょうか?」
「なんだ?」
「林さんと本城さんは、どういったご関係で…?」
「…元嫁さんだ」
「奥さん…」
「元、だよ。今は君と同じ独りモンさ。せっかく買った広い家なのに、一人で住んでるよ。俺と違って未紗はエリートで、結婚した後、上からの引き抜きがあってな。機動隊所属だったんだがスルスルっと出世した。ただでさえ警察なんか不規則な生活だ、その上ストレスもある。そのせいか、俺たちの間には子供ができなくてな。それを未紗は気に病んでたようだし、それに同じ住所に住んでいるのにすれ違いばかりで顔を合わせることすらない。結局離婚しちまったよ…警視庁に行ったはずなんだが…あんな形で再会するとは思わなかったさ。それでも惚れた男の弱みでね。やっぱりアイツの身に何かあれば心配にはなるさ。まだタケシ君には分からんかもしれんがな」
「ええ…はい。すみません」
「謝るこたないさ。何より命を助けてもらったんだからな、タケ、いや、宇宙記者ギャノンには感謝しかない。その感謝のしるしじゃないが、今後現場でタケシ君を見かけても、知らぬ存ぜぬ、見て見ぬふりをするよ。要は取材の邪魔はしない、ということだ。感謝、という意味では、もう一人、オレンジ色のギャノンもなんだ」
(ルミさん?)
「緑のギャノンが去ったすぐ後に現れてな、アンジェラスの子供たちをその辺のモノに縛れって言うんだ。どういうことだ?と問いただそうとしたら、凄い剣幕で怒られてな。はっはっは。だが…もし俺があのとき変に粘っていたら…彼らも黒い穴の世界へ行ってたかもしれないんだ」
「出たんですか? 穴が」
「ああ。ノビてるその下の地面にな。縛り付けてなかったら、ほんとに…」
林はコーヒーを啜るが俯いたままだ。
「あの現場、アンジェラスの彼らは…あの後どうなったのか、知ることはできるでしょうか?」
「記事にするのかい?」
「そういうつもりはないですが…ただ結構酷いことになってたと思うんで」
「うむ…未成年者ばかりだから個人名は出せないが、ほとんどが入院だ」
「入院…」
「骨をやられたのが多いからな。入院してなければ保護観察扱いでそれぞれ家に戻っている。それからホテルオハナで確保された人物、鈴木杏菜は現在裁判待ちで拘置所だ。ただ…なんというか、あまり重い罪には問われない可能性がある」
「そうなんですか?」
「というのは…自らアンジェラスと名乗っている子供たちは異口同音に自分の意思で鈴木の元にいた、と言う。未成年者掠取、簡単に言えば人攫いってことだが、その罪には問いづらい。むしろ掠取ではないのかとこちらから話を向ければ、彼らは凄い剣幕で怒り出す。杏菜さんはそんな人じゃない、とね。逆にこちらが提訴されそうな勢いさ。それからガーディアンとの戦闘でかなりの傷害を与えてはいるのだが、それについてもガーディアン側から不問にしてくれと言ってきている」
「奥さんが?」
「元、な」
「あ、すみません」
「はは。そこは冗談だがその通りで、未紗だけでなく他の隊員もだ。ただこれは事前にそう取り決めてあったらしいので問題はないそうだ。それからEHについては…彼らアンジェラスは取引の護衛のみで取引や拡散には関与していない。これにまつわる暴行の容疑はあるんだが、何しろ証拠がない。彼らが使っていたと言っているアンザグという服もシュヴェルトという武器もすっかり消えてしまったのか見つからないんだ。自白のみでは立件できないからな。それに何より、彼らのメインスポンサーだったとされる田上直樹が行方不明になっていて色々ウラが取れない件が多いんだよ」
タケシは思わずギクリとする。明星倉庫での戦闘、勝ったもののその後がどうなったかは知らない。島津が現れた以上は…とは思うが。
「真実が有耶無耶になってしまうから警察である俺の立場的には困ったものさ。一方で鈴木はまだ取り調べ中の身なのだが執行猶予無しの実刑判決を望んでいる。望まれたところで一体何の罪に問えるのか、この状況ではよく分からんがな。その辺は検察次第、といったとこだ」
「そうですか。ありがとうございます」
「あれだけのことがありながら、ほとんど立件不可能だ。そこも含めて…正直なところ、あの現場で見た一部始終…俺たちに関われることなんかあるのか?とすら思っている。今日来た最大の理由というのが…俺は、ここまで話したことは知っている。知った上で、これ以上関わることはできない、というのも分かった。無論、協力というのも難しい話だ。だがタケシ君、君が行動する上で邪魔はしないし、邪魔になるようなことはできる限り排除してやりたいと思っている。遠くからだが、陰ながら応援するよ、と言ったところかな。まぁ、それを言いたくて今日ここへ来た」
「…オレ…言っていいことなのかどうなのかが分からなくて…記事に書いたことはともかく…その…」
「あっはっは。それはすまなかった。君を困らせるつもりで来たんじゃないんだがな…まぁとにかく、警察全体がどう動くかは知らんが、俺はそう思って、そう行動するって、伝えたかったんだ。それだけさ」
「あの…なんか、すみません…」
「事情は分からんからな。仕事でも無ければこれ以上は問い詰めないさ。君には君の人生があるってところだ」
林は穏やかに微笑み、まだ温もりの残るコーヒーを啜った。それからふと思いついたように切り出す。
「なぁ、タケシ君。ギャノンって、一体何を目指してるんだ?」
「目指す?」
「目的、とでもいうのかな。110番通報のオペレーターが言うには、いつもそれは非通知の携帯電話回線から掛かってきて、俺たち警察が現場へ行ってみれば加害者と見られる者が、あるいはノびていて、あるいは拘束されていて、偶にEHを使われた被害者が残されている。もっともEHを使われず動けるのなら現場からは逃げ去りたいという心理は分かるから、警察でも申告がなければ被害者探しはしないんだが… …だが、それでギャノンには何のメリットがあるんだ? デギールを倒したい、というなら分かるんだが、必ずしも相手をするのがデギールとは限らない。チンピラにも満たないような者にまで手を出している。おかげで俺たちは苦も無くそういった不貞の輩を確保できるんだが、まるで手柄だけを俺たちが頂いてるみたいでな。まぁ名乗り出たところで暴行の容疑で事情聴取くらいはしなきゃならなくなるから、黙っていた方が得策なんだろうが…なぜギャノンは見知らぬ他人のことにまで力を貸すんだ? その、正義の味方、ってヤツだからなのか?」
「オ…ギャノンは別に自分を正義の味方だなんて思ってません。デギールを倒したい、というのは確かにそうですが、それ以前に、ギャノンは犯罪が起こって欲しくないんです」
「そりゃぁ俺たち警察だってそうさ。まぁホントに犯罪が無くなっちまえば俺たちは再就職先を探さなきゃならんがな。ハッハッハ」
「はは…何というか、ギャノンはオレみたいに犯罪に巻き込まれた人、その周囲の人の気持ちを知っているんです。だから…犯罪が起こる前に犯罪を止めたい。そう思ってるんです」
「そりゃぁ…絵に描いた餅ってヤツだ。犯罪は結果だからな。起こって初めて犯罪と呼べる」
「分かってます。そんなことは。でもギャノンは…それでも。犯罪を、起こる前に防ぎたい。そう思ってるんです」
「それで…防げたのかい?」
「…いえ…」
「あ、いや、スマン、意地の悪い聞き方になってしまったな。そういうつもりはなかったんだ。ただ…それはあまりにも理想論で…その、難しい…ことだぞ?」
「分かってます。でも。それでも」
「…なるほど。いや、分かった。俺たち警察だって気持ちは同じさ。犯罪が起こる前に食い止められるならそうしたい。でも現実はそんな簡単じゃない。それでも…それをやろうと言うなら、進む道は茨の道、だぞ? 常に理想と反する現実を突きつけられるんだからな」
「…はい。分かっています」
「…そうか。うん、分かった。それだけの覚悟を、俺は止めないよ。まぁさっき君の、あ、いや、ギャノンの邪魔はしないって言ったからな。まぁその上でアドバイスをさせてもらえば、やり過ぎるなよ、ってところだな。やり過ぎちまえば俺だって庇いきれなくなっちまうからな。ははは」
「はは。ありがとうございます」
「それともう一つ…あの編集部の部屋な。これは俺のカンなんだが、おそらく盗聴かなんかされている」
「えっ?」
「誰がどうやって、というのは分からん。何より刑事としてのカンってヤツだからアテにはならんかも知れんが、とは言え本職だからな、まぁまぁ当たるもんだぜ。目的も分からんが、まずはタケシ君、君も気をつけるんだな」
「あ…はい…」
「そう気落ちするな。だがさっきの彼、秋山君と言ったかな、彼は信用していいぞ」
「それもカン、ですか?」
「ハハっ、そういうことだ。そうだ、お近づきのしるしに、連絡先を交換しないか?」
「携帯の番号とメアドでいいですか?」
「構わん、というよりはその方が好都合だ。君と直接連絡取れるからな」
「じゃぁ、これを」
「…うん、よし。じゃこっちも…」
「はい、いただきました」
「何かあったら連絡くれ。俺の方から行くかもしれんがな」
「分かりました」
「まぁ…そんな連絡しなくて済むような世の中なら良いんだがな」
「まったくです」
「さて、慌ただしくてすまんが、これでも税金で食わしてもらってる身なんでな、まだまだ仕事はあるんだ、署に戻らせてもらうよ」
林はそう言って立ち上がり伝票を掴む。
「あ、そんな、自分の分は自分で」
「目上の人間に奢らせるというのも、それでそれは気遣いなんだぜ? 覚えておけよ、タケシ君!」
「あ、その…ごちそうさまです」
「お安いご用さ。また会えるといいな。仕事ではなく、な。今度は酒でもどうだ? って、歳、幾つだい?」
「19、今年20になります」
「そうか。その時までお預けだな。じゃ!」
「あの、林さん!」
タケシは立ち上がり、林を呼び止めた。
「ん? 何だい?」
「全てはお話できませんが…病院の黒いヤツ、それと三屋木って人…デギールです」
「ふっ…そうかい。いや、ありがとう。ご協力、感謝する!」
仰々しく、林は敬礼の姿勢をとってみせる。
「こちらこそ、ありがとうございます」
タケシはそれに深々と頭を下げて応えた。
店の扉を開け、林は去った。タケシはそれを見送ることもなく、ただ頭を下げたままだった。
◆
エンディング『Arrest Me!』
https://x.com/HanashioKikei/status/2027220638289830224?s=20




