悪意なき呪い
再び足を踏み入れた廃坑の入り口は、相変わらず冷たく湿った気を吐き出していた。枯れ木の合間から落ちる木漏れ日も、この闇を前にするとどこか頼りなく見える。
私は古い木製の杖を握り直し、坑道の奥を見つめながら眉をひそめた。
「さて……問題は、どうやってあの『第七坑道』の最下層まで降りるか、ね」
役場の古文書に記されていた通り、あの岩盤があった第七坑道は、作業員たちの安全のために意識的に崩落処理が施されている。長年の歳月による落盤も加わっているはずだ。道が塞がっている可能性が高いどころか、無理に掘り進めれば坑道全体が崩れて生き埋めになるリスクすらある。
「自力で降りるには、少しばかり難工事になりそうだね」
私の隣で、レギストールが顎を摩りながら頭を傾げた。私は深く息を吐き出し、杖の先端で土を軽く叩いた。
「私の自然魔法で少しずつ崩れた岩を退けていく手もあるけれど……私の体力と魔力が持つかどうか。いっそのこと、村の若手の手を借りて外から掘り返す?」
「いやいや、そんな悠長なことをしていたら、村中に呪いが充満してしまうよ。……なあ、マリア。もっと簡単で早い方法があるんだが」
「なにか良い案があるの?」
私が振り返ると、レギストールは悪戯っ子のような笑みをその孔雀の瞳に浮かべた。
「『転移』で一気に最下層まで降りてしまえばいい」
「……えっ?」
私は思わず素頓狂な声を上げてしまった。
「あなた、転移魔法も使えるの!?」
「言っただろう、私は『過怠魂魄監理官』だよ? 地獄の広い層を毎日あちこち移動するんだ、転移魔法くらい使えないと仕事にならないのさ」
自慢げに胸を張るレギストールに、私は感心せざるを得なかった。
「さあ、しっかり掴まっていてくれよ。マリア」
レギストールはそう言うと、大柄な身体をすっとかがめ、その巨大で美しい片方の翼を少し広げた。そして、私を包み込むようにして、その群青色の翼の内に優しく引き寄せた。ふわりと、昨日の朝にも嗅いだ高貴なハーブの香りと、暖かい魔力の気配が私を包み込む。
「ちょっと、待って、レギストール! 座標の確認はちゃんとしたの!? 崩落した岩や土の中に転移でもしたら――」
「さあ、出発だ!」
「待って!」
私の制止も聞かず、レギストールが軽やかに鳴らした。
瞬間、視界がぐにゃりと歪み、周囲の風景が極彩色の光の奔流となって吹き抜ける。身体が浮遊感に包まれたと思った次の瞬間には、足元に硬い石の感触が戻っていた。
「……っく! 『待って』と言ったでしょう! ゲホッ」
翼が開かれ、私は息を整えながらレギストールに呆れた。
「ハハハ! でも、どうだい? 楽しかっただろう?」
「ゲホッ、ゲホッ、全然楽しくないわよ。本当に心臓が止まるかと思ったわ」
お互いの声が暗闇の中で反響する。だが、その声の響き方で分かった。ここは地上とは明らかに違う、極めて密閉された、だだっ広い地下空間だ。転移は完璧に成功したらしい。
「ふう……まったく。じゃあ、明かりを点けるわね」
私が木製の杖を掲げ、小さな呪文を唱えると、杖の先端から柔らかな光の球体が浮かび上がり、周囲の暗闇を押し払った。
その光が照らし出した光景に、私は思わず言葉を失った。
「これは一体、なに?」
そこは、削り出された黒い岩盤に囲まれた巨大な空洞だった。そして辺り一面には、炭鉱の道具でも、村の遺物でもない、「奇妙な造形物」が所狭しと溢れ返っていたのだ。
歯車が噛み合わさった複雑な筒、幾重にも導線のようなものが絡み合った金属の筐体、青く発光する水晶が埋め込まれた謎のパネル――。
「ゲホッ……! ゲホッ……ッ!」
濃密な瘴気が私の喉を酷く突き、強烈な咳込みが襲ってきた。光に照らされた大気は、濁った紫色に淀んでいる。地下保管庫で感じたあの不快な気配の、何百倍もの濃度だ。
私は自分の周りに光の障壁魔法を展開した。しかし、あまりにも瘴気が濃く、私の魔力で作った障壁はピシピシと音を立てて亀裂が入り始める。
「足りない……」
「私が補う」
レギストールの魔力が障壁へと注入される。一瞬で光のバリアは分厚く強化され、紫色に淀んだ瘴気を完全に弾き返した。
「ふう……助かったわ。ありがとう、レギストール」
「気にしないでくれ。君を危険に晒すわけにはいかないからね」
呼吸を整えた私は、改めて足元に転がっている異様な機械群を見渡した。手に取ってみると、それは重く、精密で、現代の人間が作る技術体系とは明らかに異なっている。
「ねえ、レギストール。この精巧な金属加工と、魔導回路の組み込み方……まさかこれって……」
「ああ、間違いないね。ドワーフの落とし物だ」
レギストールも周囲の機械を見回しながら、深く頷いた。
「まさかトトリ村の地下深くにこんな大規模な保管庫があったとはね」
レギストールは興味深そうに、足元にあった小さな金属の球体を拾い上げ、カチャカチャと触っていたが、「うーん、分からん」とばかりにそれを軽く後ろへ投げ捨てた。
「それよりマリア、あっち。奥の方から、妙な駆動音が聞こえる」
「ええ……行きましょう」
空洞の最奥、漆黒の岩盤が露出している壁際に、ひと際大きな装置が鎮座していた。
高さ五メートルほどもある巨大な金属の塔のような構造物で、その中心部に埋め込まれた巨大な魔導水晶が、ブーン……という重低音とともに、不気味な紫色の光を周期的に放っている。そして、その排気口らしき場所から、ドス黒い瘴気が休むことなくモコモコと吐き出されていた。
「これね……。この村に病を撒き散らしていた、呪いの発生源は……! これなんの装置かしら……」
「機械のことなら任せて。地獄のパイプラインや搬送機で散々扱っているからね。調べさせてくれ」
レギストールが、装置の各種パネルや魔導回路を器用に弄り始めると、内部でカチリと金属音が響いた。
「ふむふむ……なるほど。ほおほお……そうか。よし、構造が分かったよ」
「何の装置なの?」
「簡単に言うと、これは『空間転移装置』の大型版と構造が酷似している」
レギストールは装置の側面に刻まれた古代文字を読み解きながら、解説を始めた。
「この装置の動力源には、高濃度の『濃縮魔力』が使われていたんだ。だが、果てしない年月が経つうちに、その動力源が経年劣化を起こして『腐敗』してしまったのさ。……腐敗した魔力というのは、極めて強力な毒素と瘴気を生み出す。それが、『呪い』に似ている」
「腐敗した魔力……。だから、あの流行り病のような毒素が漏れ出していたのね」
「そう。本来ならとっくに停止しているはずの代物だったんだが、地下水脈の浸蝕か何かで基盤がショートして、この機械の予備装置――『故障を検知したら緊急で動力を排出して再起動を試みる』というプログラムが、偶然作動してしまったみたいだ。結果として、内部の腐敗ぢた動力源を消費して結果的に『瘴気』として外へ吐き出し続けていたというわけさ」
「そんな……ただの機械の誤作動だったなんて」
私は脱力感を覚えると同時に、大きな安堵に包まれた。悪意を持った何者かが村を滅ぼそうとしていたわけではなかったのだ。
「さてと……要するに、電源を落とせばいいんだ。まったく、ドワーフ製は長持ちだからな」
レギストールは装置の裏側に手を回すと、太い魔導ケーブルのようなものを、力任せに引き抜いた。
ガガガッ……!
装置が短い悲鳴を上げ、中央の魔導水晶から光が消え去る。重低音の駆動音もピタリと止まり、排気口から溢れ出ていた黒い瘴気の排出が、嘘のように完全に停止した。
「ふう……これで一安心だね」
レギストールが羽をパンパンと叩いて埃を払った。
「じゃあ、もう村は大丈夫なの?」
私が尋ねると、彼はうーんと首を傾げた。
「原因のシャットダウンは完了した。だが、その間に、この地下空間から地上へと伸びる亀裂を通じて、かなりの量の腐敗魔力がすでに外へ漏れ出てしまっている。放っておけば、またじわじわと村を汚染してしまうだろうね」
「何か対策はあるのかしら?」
「簡単なことさ。地上にある『排出地点』――あの廃坑の入り口近くに、小型の『浄化の魔道具』を一つ設置しておけばいい。漏れ出た瘴気をそこで吸い取って浄化してやれば、数週間程度でこのあたりの大気も水も、元通りの綺麗な状態に戻るはずだよ」
「まあ……! 本当に、何から何までありがとう、レギストール」
私が心からの感謝を伝えると、レギストールは気恥ずかしそうに羽を揺らした。
「よし、目的は果たした。地上へ帰ろうか」
再びレギストールの翼に包まれ、視界が極彩色の光に染まる。
次の瞬間、私たちは眩しい太陽の光が差し込む、あの廃坑の入り口へと戻っていた。
爽やかな外の空気を胸いっぱいに吸い込み、私は静かに息を吐き出した。
「本当に、感謝するわ。あなたがいなかったら、私は一人で途方に暮れて、村を救うこともできなかったかもしれない」
レギストールは顔を和ませ、どこか誇らしげに胸を張った。
「気にしないでくれよ、マリア。言っただろう? 私は元々、この村の呪いを解いて、君に会いに行くつもりだったんだからね。遅くなったけれど、最高の形で問題を解決できて、私も本当に良かったよ」
青空の下、風に揺れる木々の葉が、私たちの勝利と再会を祝福するように、心地よい音を奏でていた。




