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美味しい朝食と幻のハーブティーですっかり元気を取り戻した私は、朝の日課である裏庭の畑仕事へと向かった。
昨日あっての農作業はなかなかの労働だが、土に触れ、緑の息吹を感じるこの時間は、私にとって、代え難い何よりの癒やしでもある。カブやニンジンが植えられた畝の雑草を一つずつ手で抜いていると、不意に頭上から大きな影が落ちてきた。
「マリア、私も手伝うよ」
振り返ると、レギストールが庭の隅で上げていた。魔力の糸が伸びており、小さな移植ごてや小さなクワが宙を舞い、手際よく雑草を根こそぎ刈り取っている。
「まあ器用なこと。悪魔が畑仕事を手伝ってくれるなんて、世界中を探してもあなたくらいしかいないわね」
「何事も経験だからね」
彼は頭を揺らしながら軽快に笑った。
雑草を抜き終え、柔らかな土に肥やしを混ぜ込んでいく作業の最中、レギストールがクワを操るのを止め、真面目な声色で話しかけてきた。
「……ところでマリア。廃坑の呪いの件なんだが」
「ええ、ずっと考えているけど、貴方は何か気づいたことでもあった?」
「あの洞窟の構造と、呪いの漏れ出し方について考えていたんだ。空間に均等に染み出していたということは、呪いの『発生源』そのものは洞窟の表面ではなく、地下深くの空間の中にあるんじゃないかと思ってね。村の地下について、何か知っているかい?」
私は手を休め、額の汗を手ぬぐいで拭った。
「そうね。あの廃坑は元々、銀や鉄を採掘していた鉱山だったそうなの。詳しい坑道の広がりや地下の構造については私もよく知らないけれど……村の役場に行けば、当時の古い記録や地図が残っているはずよ」
「役場かい。よし、ならそこへ行ってみようじゃないか」
「そうね、百聞は一見に如かずだわ。早速向かいましょう」
作業着から外套に着替え、私たちは村の中心部にある役場へと向かって歩き出した。
───
村の小道を歩いていると、農作業へ向かう村人たちと幾度かすれ違った。
不思議なことに、彼らはレギストールの二メートルを超える巨体や翼に一切怯える様子がなく、それどころか親しげに頭を下げていくのだ。
「おや、マリア様! おはようございます。……お隣にいらっしゃるのは、ロアの大聖堂から派遣されてきた聖騎士様ですか?」
「まあ、背が高くて凛々しいお方だこと。マリア様とこの村を救いに来てくださっているのね、ご苦労様です!」
村人たちは口々にそう言って、レギストールを「教会から来た立派な聖騎士」として扱っていた。
村人たちが去った後、私は隣を歩く巨体を見上げ、思わず苦笑いを浮かべた。
「……あなた、何か変性魔法でも使っているの?」
レギストールは自慢の尾羽を微かに揺らし、素直に頷いてみせた。
「正解だよ。認知の魔法さ。体にまとわせている。見る者には、『自分が期待している都合の良い姿』に見えているのさ。私がこのままの悪魔の姿で歩いてごらんよ、村中がパニックになって大騒ぎになる。それに何より……」
彼は少しだけ声を落とし、優しく私を見つめた。
「君が『悪魔を匿っている』なんて、教会や村人に疑われたら困るだろう? 君の穏やかな隠居生活を台無しにするわけにはいかないからね」
どこまでも私や村人のことを気遣ってくれる彼の優しさに、胸の奥が温かくなる。
見た目は悪魔、中身は気配り上手な紳士。四十年前から変わらない彼のお調子者で誠実な内面に、私は深く感謝した。
──
トトリ村の役場は、丸太と石で作られた素朴な二階建ての建物だ。
村長や役人の作業スペースを通り抜け、私たちは村長のトーマスさんに許可をもらってから、建物の奥にある地下保管庫へと続く階段を下りていった。
薄暗い石の階段を下りると、ひんやりとした湿った空気が肌を撫でる。
一階下に位置するその地下保管庫は、思った以上に広く、壁際に並んだ棚には様々なものが雑然と保管されていた。
「……すごい埃ね」
私が顔に手をかざすと、レギストールが指先を軽く振り、風の魔法で空気中の埃をさっと払ってくれた。
保管庫の中を見渡すと、そこには村の歴史そのものが眠っていた。
何年分もの保存食料の入った大きな木樽、古い農具の山、そして村の催しで使われる木彫りの不格好なお面や、色鮮やかな衣装の数々など。
「あら、懐かしいわ……」
私は棚の一角に置いてあった、少し色あせた木彫りの獅子頭を手に取った。
「これはね、数年前の収穫祭でハンスさんが被ったお面なのよ。あの年はお酒を飲みすぎて、このお面を被ったまま踊り狂って、結局泥まみれになってしまってね」
「ハハハ、目に浮かぶようだよ。人の祭りというのは、どこも賑やかで楽しいからね」
「本当に楽しかったわよ。レギストール、あなたも秋にここへ来れば、美味しい採れたてのカボチャのスープが食べられるわよ」
「それは魅力的だ。休暇が取れたら、ぜひお邪魔させてもらおうかな」
レギストールは私の懐かしむ話に、まるでずっとこの村にいたかのように優しく相槌を打ってくれた。
だが、私たちは思い出に浸るためにここへ来たのではない。
保管庫の奥、鍵のかかった古い木箱の中に、目当てのものはひっそりと眠っていた。
何十年も誰も触れていなかったであろう、分厚い革表紙の書物。表紙を払うと、『トトリ鉱山 掘削作業日誌・構造図』という擦れた文字が浮かび上がった。
「あったわ、これよ」
私は書物を木箱から取り出し、近くの作業台の上に広げた。
レギストールも横から覗き込み、ページをめくっていく。羊皮紙の独特の匂いと、インクの跡が刻まれた古い地図。そこには、網の目のように複雑に張り巡らされた古い坑道の全体像が描かれていた。
「見て、ここよ」
私は地図の最も深い部分、廃坑の最奥にあたる場所を指差した。
そこには、手書きの赤インクで大きなバツ印がつけられており、その脇に欄外書きとして、当時の鉱山技師の焦ったような筆跡で以下のような文章が記されていた。
『最下層・第七坑道奥にて、不自然な漆黒の岩盤に遭遇。いかなる道具を用いても、傷一つつけることができず。岩盤の表面から不快な冷気と微かな吐き気を催す気が漏れ出しているため、作業員の安全を考慮し、この先への掘り進みを断念する。第七坑道は崩落処理を行い、封鎖とす――』
「いかなる攻撃も通さない漆黒の岩盤ねぇ」
レギストールが低く呟いた。
「間違いない。それは自然の岩盤じゃないわね」
その中に閉じ込められている『何か』の呪いが、地上へと漏れ出している……!」
すべての謎が、一本の線で繋がった。
村を脅かす呪いの正体は、単なる魔物の悪戯でも、別の悪魔の仕業でもない。昔からあの地下深くに眠っていた、恐ろしい何かの綻びだったのだ。
「放っておけば、いずれ亀裂は完全に崩壊するわ。そうなれば、トトリ村どころか、ロアの街全体が呑み込まれてしまう……」
私は意を決して書物を閉じ、古い木製の杖を強く握りしめた。
「レギストール。もう一度、廃坑へ向かいましょう」
「ああ、もちろんだとも、マリア」
レギストールも力強く頷いた。
私たちは地下保管庫を後にし、再びあの暗雲漂う裏山の廃坑へと向かって、足早に駆け出したのだった。




