秋祭り
季節は巡り、トトリ村には本格的な秋が訪れていた。
夏の終わりに廃坑を覆っていた不気味な紫色の気配は、レギストールが置いていった青い光のランタンによって完全に吸い尽くされ、今では澄み切った秋空がどこまでも高く広がっている。かつて濁っていた泉からは、以前にも増して清らかな清流がコンコンと湧き出し、村を支える実りの畑を瑞々しく潤していた。
そして今日、トトリ村は一年で最も賑やかな「収穫感謝祭」の日を迎えていた。
広場には色とりどりの布で飾られた屋台が並び、干し草を積んだ馬車の周囲では、村の男たちが大きな樽から琥珀色の麦酒をジョッキになみなみと注ぎ合っている。香ばしい焼き肉の煙と、焼き立てのカボチャパイの甘い香りが秋風に乗って村中に立ち込め、人々の歓声とアコーディオンの陽気な調べがどこまでも響き渡っていた。
「フィオナ様、もっと口を大きく開けてー! 負けちゃうよ!」
「む、むぎゅ……っ、ふぁふぁふぁ(負けません)!」
広場の中心に据えられた大きな長テーブルでは、名物の「カボチャパイ早食い競争」が白熱の佳境を迎えていた。
子どもたちに混じって参加しているのはフィオナ様だ。修道服の袖を腕まくりし、顔中にパイのデンプンとカボチャクリームを塗りたくりながら、必死の形相で手作りのパイにかぶりついている。
一ヶ月前、教会と悪魔の板挟みになって半泣きで腰を抜かしていた彼女の姿は、もうどこにもない。
今や彼女はトトリ村になくてはならない「ちょっとお転婆で、すごく働き者のシスター」として、すっかり村人たちに馴染んでいた。日中は薬草の採取や子どもたちの勉強相手、夕方には農作業の手伝いまでこなす彼女を、村の誰もが親しみを持って接していた。
「がんばれー! 聖女様!」
村人たちの割れんばかりの声援に応えるように、フィオナ様は口いっぱいにパイを頬張り、ゴクンと力強く飲み込んだ。
「ごちそーさま、でしたッ……!!」
手元の皿が空になった瞬間、審判のハンスさんが勢いよく手を挙げた。
「勝者! フィオナ様ーーーッ!」
「「「おおおおおーーーーっ!!!」」」
子どもたちと歓声を上げて抱き合い、飛び跳ねて喜ぶフィオナ様。かつて「異端」や「正義」といった堅苦しい言葉に縛られていた少女は、今や土の匂いがするこの村で、生き生きと自分の足で立っていた。
──
「ふふ、まあ……すっかり馴染んでしまって。あんなに顔をクリームだらけにして、大聖堂の司教が見たら卒倒してしまうわね」
広場の少し小高い丘の上に置かれた木製のベンチに腰掛け、私は目を細めてその光景を眺めていた。膝の上には、ハンスさんの奥さんが焼いてくれた温かいカボチャパイと、果汁を絞った果実酒のグラスがある。
「いい顔をしているじゃないか、あのお嬢ちゃん」
私の隣で、心地よさそうに脚を組んでいるのは、もちろんレギストールだった。
約束通り、彼は有給休暇をもぎ取ってこの村へとやってきてくれた。
今日も例の認知の変成魔法を身に纏っているため、村人たちの目には「美しい鎧を身にまとった、少しばかり背の高い聖騎士様」として映っている。彼がベンチに座っているだけで、周囲の村人からは尊敬の眼差しが向けられ、時折子どもたちが「聖騎士様、かっこいいー!」と手を振っていくほどだ。
本人はそれがすっかり気に入っているらしく、白銀のガントレットを嵌めた手を優しく振り返してみせている。
「君の言う通りだったね、マリア」
レギストールは、私だけに聞こえるような低い鈴の音のような声で呟いた。
「彼女はここで、本当の『人々の温もり』と『世界の広さ』を学んでいる。教会の教本を読むよりも、ずっと良い経験をしているよ」
「ええ。あなたとあの日、ここで話ができて本当に良かった」
私はグラスを軽く傾け、秋の心地よい風を肌に感じた。
四十年前の悪戯好きな悪魔と、新米の聖女。あの日の奇妙な出会いが巡り巡って、今、こうして小さな村の平和と新人聖女の笑顔に繋がっている。人生というのは、本当に何が起こるか分からない。
「そうそう、マリア。忘れないうちに、君に渡したいものがあったんだ」
「渡したいもの?」
私が首を傾げると、レギストールは白銀のガントレットを嵌めた右手を私の目の前にかざした。
彼が指先を優しく開くと、ガントレットの掌の上に、ふっと小さな金の粒子が舞い上がった。粒子が収束すると、そこには一筋の魔力を帯びた、細工の細やかな白銀の指輪が浮かび上がっていた。
「わあ……きれい」
その指輪は、過度な装飾こそないものの、金属の表面に繊細な蔦模様が刻まれており、光の加減によって淡い真珠色に輝いている。どこか素朴で、けれど気品に満ちた、実に美しい手仕事の品だった。
「これは、お土産だよ」
「お土産……? レギストール、もらっていいの?」
「もちろんだとも。君のために選んできたんだからね」
レギストールは指輪をそっと私の手に握らせてくれた。ひんやりとした金属の感触の後に、じんわりと心地よい暖かさが手のひらに広がっていく。
「ふふ……ありがたくいただくわね。でも、レギストール」
私は指輪をかざして光に透かしながら、少しだけ意地悪く微笑んだ。
「あなたからの贈り物だもの。ただ綺麗なだけの指輪なわけがないでしょう? 一体どんな秘密が隠されているのかしら?」
「ハハハ!」
レギストールは孔雀の頭(もちろん私にしか見えていないが)を揺らして楽しそうに笑った。
「その指輪の名は『カドゥ・ドゥ・ロワ』。地獄の高級宝飾職人が作った魔道具さ。……効果は至って単純。『身につけている間、絶対に手が汚れなくなる』という魔法がかかっているんだ」
「手が汚れなくなる!?」
「そうさ。土いじりをしても、泥を触っても、油汚れがついてもね。その指輪をはめているだけで、手についた汚れや雑菌が自然と弾かれて、常に洗い立てのように綺麗な状態が保たれるんだよ」
私は驚いて目を丸くした。
「まあ……! それって、畑仕事をする私には、何よりの魔法じゃない!」
「だろう? 毎日畑で雑草を抜いて、土まみれになっている君の姿を見てね。これがあれば、作業の後に冷たい水でゴシゴシ手を洗って、皮膚を痛めることもなくなると思ってね。水仕事の多い君には、最高の品だろう?」
「……本当に気が利くのね、あなたは」
私は嬉しさのあまり、さっそくその指輪を右手の薬指にはめてみた。サイズは誂えたかのようにぴったりで、指に馴染むと同時に、手肌がふんわりとヴェールで守られたような心地よい感覚が走った。
「本当にありがとう、レギストール。大切にするわね」
「喜んでもらえて何よりだよ。……あ、それから、まだあるんだ」
「えっ、まだあるの!?」
レギストールは、周囲の村人に見えないよう、ベンチの影で空間の歪みを作り出した。彼が暗黒の隙間に腕を差し入れると、そこから禍々しい刺繍が施された、布製の大きな袋を取り出した。
「ほら、これだよ」




