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袋の中から出てきたのは、艶やかな漆黒の陶器で作られた、ずっしりと重みのあるマグカップが二つ。そして、美しく磨き上げられた象牙色の不思議な櫛が一頭だった。
「レギストール! こんなにたくさん、流石に貰いすぎよ! 私、あなたに何も返せるものがないわ」
私が慌てて手を振ると、レギストールは大袈裟に肩をすくめて首を横に振った。
「いいんだよ、気にしないでくれ。君には四十年前の『借り』と、返し切れないほどの礼がある。これくらい当然さ」
「でも……」
「まあまあ、まずは説明を聞いてくれ」
レギストールは二つのマグカップのうち、一つを手に取ってみせた。
そのマグカップの取っ手の部分には、小さくて愛らしい三つの赤、青、緑の水晶が縦に並んで埋め込まれている。
「このマグカップはね、私が地獄のデスクで愛用しているものと同型なんだ。地獄の仕事は長引くからね、飲み物がすぐに冷めたり、逆に熱すぎて飲めなかったりするんだ。だから重宝されているんだよ」
「どうやって使うの?」
「実に簡単さ。一番上の青の水晶を押せば、中の液体が一瞬で『淹れたての熱々』になる。真ん中の緑の水晶を押せば、舌を打たない『飲みやすい温かさ』になる。そして一番下の赤の水晶を押せば、氷を入れたような『キリッと冷たい温度』になるんだ」
「まあ……! 温め直す必要がないのね」
「そうさ。茶でも、スープでも、果汁でもね。三つのいずれかのボタンを押すだけで、いつでも好きな温度で飲める優れものさ。一つは君の分、もう一つは、あの食いしん坊聖女の分だ。二人で温かい茶でも飲みながら、お喋りするといい」
私は陶器の滑らかな手触りを確かめながら、深い感心のため息をついた。
教会の儀式で使う聖具なんかよりも、よっぽど人間の生活に寄り添った、素晴らしく便利な道具だ。
地獄とは、私の想像する以上に、文明的なのだろう。
まだ若く教会にいた頃は、黒い岩肌の荒野や、煮えたぎる赤いマグマ。そして常に暴力のみで支配された世界。そう本気で思っていた。
「そして……最後がこの櫛だ」
レギストールは、滑らかな曲線を描く象牙色の櫛を、丁寧に私の手へと手渡した。
「これはね、『シルフの風櫛』と呼ばれる魔道具でね。私も愛用している物だよ。水仕事をした後や、お風呂上がりに、濡れた髪をこれでサッと梳かすだけで。魔法の風が髪の余分な水分を綺麗に吸い取り、一瞬でふんわりと完璧に乾かしてくれるんだ。おまけに、髪の毛の傷みも修復して、ツヤツヤにしてくれる効果もある」
「一瞬で髪が乾くの……!?」
「濡れた羽根……いや髪のまま過ごすと、すぐに風邪を引いてしまうからね。これで髪を梳かせば、湯冷めをすることもなくなるはずだ」
私への気遣いに満ちた品々の数々に、私は胸がキュッと締め付けられるような、温かい愛おしさを感じた。
手が汚れない指輪。
温度を自在に変えられるマグカップ。
一瞬で髪が乾く櫛。
どれも日々の生活の小さな不便を和らげ、暮らしをほんの少しだけ豊かにし、温かくしてくれる――そんな、本当に「相手の幸せ」を願わなければ選べないような、優しさに満ちた贈り物ばかりだった。
悪魔である彼が、私の日々の暮らしをどれほど深く観察し、思ってくれているのか。それが痛いほど伝わってきた。
「……ありがとう、レギストール」
私は膝の上に並べられた贈り物たちを見つめ、少しだけ目元を緩ませた。
「こんなに素敵なプレゼントをもらったのは、人生で初めてかもしれないわ」
「大袈裟だなあ、マリア。でも、そう言ってもらえて、とても嬉しいよ」
照れ隠しにそう言って笑う彼に、私はそっと手を伸ばし、白銀のガントレットに覆われた大きな手を、ギュッと優しく握り返した。
「ふふ、照れなくてもいいのよ。あなたの優しさは、ちゃんと届いているわ」
「……君には敵わないな」
レギストールは観念したように肩を落とし、二人でクスリと笑い合った。
──
「マリア様ーー! レギストール様ーー!」
そこへ、パイの早食い競争で見事優勝を果たしたフィオナ様が、優勝賞品の大きなジャック・オー・ランタン帽子を両手で抱え、顔を真っ赤にしながら駆け上がってきた。
「見ましたか!? 私、一番になったんです! 村の子どもたちにも勝っちゃいましたよ!」
「見いていたわよ、フィオナ様。見事な食べっぷりだったわね」
私は手ぬぐいを取り出し、彼女の頬についたカボチャのクリームを優しく拭き取ってあげた。
「お嬢ちゃん、優勝おめでとう。はい、これは私からの優勝祝いのお土産だ」
レギストールが、先ほどのもう一つのマグカップを彼女へと差し出した。
「えっ……私にですか? この異様魔力を感じるマグカップを……!?」
レギストールから使い方の説明を受けると、フィオナ様はパッと目を輝かせ、まるで幼い子どもに返ったように大喜びした。
「すごい……! ボタンを押すだけで、冷たくも温かくもになっちゃうんですか!? 地獄の技術って、ドワーフ並みなのですね。なんて素晴らしいんでしょう!」
「意外と楽しくやってるからね」
「大切にします! 毎日、お茶を飲む時に使わせていただきます!」
フィオナ様はマグカップを胸に抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。その笑顔には、もう悪魔に対する偏見や恐怖など、ひとかけらも残っていなかった。
──
やがて、西の空が深みのある茜色から、ゆっくりと濃紺の夜空へと移り変わり始めた。
広場には焚き火が焚かれ、パチパチと爆ぜる火の粉が、星空に向かって舞い上がっていく。一部の村人たちは焚き火を囲み、手をつないで輪になり、陽気な音楽に合わせて歌い踊っていた。ハンスさんも、村長さんも、子どもたちも、みんなが心からの笑顔で秋の夜を楽しんでいる。
食べ終わったかぼちゃは、村人がジャック・オー・ランタンとして飾り、子供たちが中の蝋燭に火を灯していっている。
「……綺麗な夜だね」
レギストールが、静かに空を見上げて呟いた。
「ええ。最高の収穫祭だわ」
私は右手の薬指に嵌められた指輪をそっと撫で、温かいマグカップを手に取った。
緑のボタンを押し、心地よい温かさになった果実酒を一口含む。身体の芯から、じわじわと優しい温もりが広がっていく。
かつては「呪い」の渦中にあったこの小さな村で、元聖女と、新人聖女。そして地獄の悪魔が、同じ焚き火の光を浴びながら座っている。
奇跡というのは、きっと天から光が降り注ぐような大層な出来事のことではないのだろう。
こうして互いを思いやり、温かい食べものを分け合い、大切な人と一緒に笑い合える穏やかな時間――それこそが、この世界で最も尊い「奇跡」なのだと、私は心から思う。
「レギストール」
「なんだい、マリア?」
「またいつでもここへ来てね」
私の言葉に、レギストールは実に誇らしげに、優しく微笑んだ。
「ああ、約束しよう」
賑やかなアコーディオンの音色と、村人たちの笑い声が、秋の夜風に乗ってどこまでも、どこまでも響き渡っていた。
トトリ村の夜は、どこまでも優しく、そして温かかった。




