幕間② 失墜する極星
雷によって竜の体が崩れていくのを目撃した誰もが、その勝利と決着を疑わなかった。
皆一様に、雷光の果てにある竜がこのまま崩れ行くだろうと考えていた。
それは技後硬直中のルベリウスですらそうであった。
それを打ち破ったのは彼をサポートするスローネシステムと、Kの発した警告である。
“アンジェリカがターゲットされています”
その声とともに目に飛び込んできた状況を示すログ欄。
そこに【古代竜はブレスの構え】という一文を見つけ事態を察する。
ルベリウスは反射的にメインパレットにセットされているスキル〈召喚A型〉を選択する。
だがスキルは再使用まで三秒のリキャストタイムを残していた。
ルベリウスは予約入力状態のスキルを連打する。
しかしリキャストタイムのカウントダウンが終わるよりも早く、雷のたまり場から煌めく一直線の閃光がアンジェリカのいる方向へと伸びた。
アンジェリカは竜から十分に距離のある場所へ避難させられていた。ヒースジェラルドによって隠匿の結界を張られ、戦いの余波に備えて障壁魔術まで張られて守られていた。
それなのにどうやってか。
竜はアンジェリカを察知しピンポイントで攻撃した。
アンジェリカを守るヒースジェラルドの張った障壁が一瞬だけ持ちこたえ、溶かされる。
ヒースジェラルドを責めることはできない。この局面で竜が攻撃に参加していないアンジェリカを狙うなど誰も想定していなかった。
そもそもここまでの流れでアンジェリカが狙われるべき理由はない。竜にとってもこの土壇場で彼女を無理に排除したところでなんら利はなかったはずだ。
竜の行動は不可解であり、意味のない苦し紛れの奇行としか取れないものだ。
けれども。
その一手は確実に、ルベリウスの急所を捉えていた。
アンジェリカを照らす光が増す。
「ッ??! アンジェ――」
ルベリウスはアンジェリカの死を予感した。
まさか事ここに至ってこちらの敗北条件を突かれるとは。
それはルベリウスの戦歴の中でも稀に見る――否――生涯で初めて経験する大敗北の瞬間であった。
――『おやくだちー』――
「――――!!」
間延びした幼児の声と共に、燃え尽き消え失せるはずのアンジェリカの運命に一コマが差し込まれる。
光がアンジェリカに熱を伝えるより早く、なにかが彼女の前に立ちはだかる。
アンジェリカへ迫る光は閉ざされた。
光を遮ったのは――ルベリウス。
彼はアンジェリカの前に立ち、その背で彼女を狙う閃光を遮っていた。
ルベリウスのログ欄にあるのは工作艦AIの持つただ一つの固有スキル――スキルツリーシステム特例スキル――〈天地開闢〉――実行の文字。
それはシステムの異常動作時に備えて作られていた非常手段。選択すると実行中の全スキルを強制終了しスローネシステムプライマリドライブにあるスキルツリーシステムのメインパレッドをリフレッシュする。
主のスキル連打に反応し工作艦AIが独自に判断したファインプレー。
プライマリドライブにあるスキルツリーシステムだけを高速再起動する命令であるためセカンダリドライブにあるシステムはエラー回避措置で凍結されるが、メインパレッドにセットされたスキルはリキャストをゼロに戻され即時使用可能な状態となる。
結果、スキルの連打入力が即時実行され、ルベリウスはアンジェリカを庇うことに成功した。
しかしこの挙動に慌てたのはアンフィトリオンのAI【グラドール】である。
“肉体破損率が限界値を超えました。自発功モードへ移行します”
ブレスを肩代わりしたダメージはグラドールの想定を大きく超えていた。観測中のルベリウスの生命ゲージが一気にゼロへと傾いた。
「――ルベリウス?」
何が起きたのかわからなかったアンジェリカは顔を上げ呆然とする。
目の前に立つ者が誰なのか最初彼女にはわからなかった。
何故ならば、そのシルエットが人のものではなかったからだ。
自分を庇うように光を背負う、輝く十二枚の翼を広げた人型。
それがルベリウスであると気づくには、少しの間が必要だった。
あらゆる物質を溶かす超高温のブレスにさらされたルベリウスの背は焼け焦げていた。
肉が焼け焦げる臭い漂う。光によって見えにくくなっているがその背は骨を露出していた。
コンバットスーツを失い全裸となっているルベリウス。その背には輝く十二枚の翼がコンバットスーツと入れ替わりで現れていて、アンジェリカへ向かう竜のブレスを遮っていた。
ルベリウスの肉体が透過していく。翼から溢れる光が肉体を高速で復元してはいるが、質量そのものがだんだんと減っていくのをアンジェリカは感じた。
「なんということだ……」
攻撃の機会を狙いアンジェリカから少し距離を取っていたヒースジェラルドが呻く。
竜を囲っていたすべての雷は消滅。
殺しきれはしなかったが、それでも竜はぼろぼろでかろうじて立っている状態であった。
あと一押しで倒せる。それは疑いようのない事実である。
けれども誰もが、九死に一生を得た竜の反撃を目にしてひるんでいた。
一転して起きた守護天使の危機にその場は凍り付いていた。
ルベリウスのHPゲージはゼロ。ないしイチ。
ゼロとイチを行き来する彼の顔は、苦悶に歪む。
「あなた、背中――」
「大丈夫だ。問題ない」
「うそ……そんな、わけない」
守護天使ルベリウスを認識したアンジェリカは瞠目する。
アンジェリカには見える。そしてわかる。
ルベリウスが光に溶けていく。
崩れては再生を繰り返しているルベリウスの限界は、近い。
ルベリウスが死ねば自分も死ぬ。だがその事実よりも先に彼女の心を支配していたのは――大切な者が失われようとしていることへの恐怖であった。
「君を失うことに比べれば、些事である」
「やめてよ……なんでそこまでするのよ――自分を大事にしなさいって言ってるじゃない!」
「これは、私の為だ」
破壊と再生の中でかろうじて発せられる言葉。痛みによって噴き出した汗がルベリウスの頬を伝いおちる。
アンジェリカの前で両手を広げ必死に倒れまいと踏ん張るルベリウス。苦痛の中、熱病にうなされる患者のように彼は言葉を漏らす。
「私は、お前の守護天使だ」
「でも、そんなのっ――」
「私は、全てを守る盾である。もう、誰一人として死なせはしない!」
「――っ」
ルベリウスの答えにアンジェリカは絶句する。
それは始まってもいない恋の終わりを告げるものであった。
(――あなたは……いったい……)
守護天使だから主人を守る。守護天使として主人に降りかかる火の粉を払う。それらは守護天使の本能に帰結する行動だ。
主人のいない守護天使は闇へと帰るしかない。主人とは守護天使にとって神に代わる存在であり、行き場のない神への愛の受け皿だとアンジェリカは本で読んだことがある。
だからアンジェリカはずっと考えていた。
ルベリウスはどうして自分に心を砕くのかと。
召喚獣ではない――本物の守護天使ではないルベリウスが自分を命に代えて守る要素などどこにあるのだろうかと。
彼の過剰な献身によって今、それがはっきりした。
アンジェリカはこの急場で正解に近いと思える答えを得る。
彼が大事に感じているのは自分個人ではなく、自分の中に流れる血なのではないか――彼は始祖を愛したというリモージュ一族の伝承にある天使なのではないか、と。
だからその血を濃く受け継いだ先祖返りと言われる自分に、始祖を重ね見ているのではないか。
つまり彼が守りたかったのは自分ではなく――。
(――ひどいよ。こんなのあんまりだよ……)
光を背負うルベリウスの輪郭がにじむ。
呼吸が乱れ、息が震える。
ツンとした鼻の奥が心の決壊を予感させる。目を背けたい気持ちが高まっていく。
アンジェリカは自分の心がおかしくなりそうになるのを感じた。すべてが不安定になっていき、それでも彼女は必死にそれを押さえつけた。
ルベリウスの言葉に返すべき言葉を見つけられない。
伝えたいのに、自分の気持ちを象ることができない――適切な表現方法が、思いつかない。
「ルベリウス――――」
アンジェリカが迷っているうちに、ルベリウスの広げられた翼の向こうで変化が起きる。
徐々に弱まっていく光。
竜のブレスが終息する。
暗くなっていく景色に反して、アンジェリカの心にルベリウスの姿が強く焼き付いていく。
ルベリウスの翼の周りにちらつく雪――聖粒輝――が、彼女の心にどうしようもなく強く印象づく。
「ドルニエ閣下!」
「まちわびたわっ!」
にわかに響く女の声。続く男の声。
ブレスが途絶えたほんのわずかな間隙を縫い、竜の背後で魔法陣を背負う中年が吠えた。
「リィィィトゥス・シュトラアアアアアル!!」
――〈聖爆十字〉――
訪れるブレス後の硬直。その瞬間を見逃さない者たちがいた。
初手にして切り札。ヒースジェラルドの全力攻撃が竜を襲う。
交差する煌めく光線が竜の胴体を直撃し、穿った。
竜はたまらず身をよじる。だが回避しきることは出来ず魔法はそのわき腹を貫通する。
「彼はやらせないんだからぁっ!」
――〈指向性六光衝熱連弾〉――
マルレーネとクロエによる合成魔術。
竜の目を晦ますために産み出された六つの光の玉は強烈な光の線をその顔に照射した。
そこへ突撃をかけていたエンデルクの〈神聖精霊騎士〉十二体が竜の体に張り付き、手に持つ刃で刺し始める。
『ガアアアアアア!』
普段であればダメージにもならない攻撃。しかしルベリウスの雷により守りが剥がれ落ちている今、竜にとってそれは無視できないダメージであった。
その攻撃に対処しようとし、その前にチラリと竜が見たのは水蒸気を上げ沈黙しているルベリウスだ。
ルベリウスが仮に回復を始めていたとしても動けるようになるにはまだまだ時間がかかるだろうと判断し、竜は先に忌々しい人間どもを始末せんと動いた。
一歩足をずらし、わずかに首を傾け、上体を反らせてその爪を構える。初手で全員を吹き飛ばした暴風の構えである。
『愚かな虫けらどもめ! 疾く石に還るがよい!』
竜のその体が攻撃の予備動作に入ろうとした、刹那。
――〈縮地〉――
足元にソレが居た。
十二枚の翼を背負う、ところどころ背側の骨を露出させた人型が。
『――ッ!?』
竜は硬直する。
死を直観した頭が思考することを拒む。
ルベリウスがそっとその腕を自分の足に添えたのを、竜はただ見ていた。
「――左手は添えるだけ」
伴奏の左手が竜に添えられると右手の演奏は始まる。その構えは過去にエンデルクの精霊騎士を粉々に砕いた奇跡。原理不明の謎の技能。理力と魔力による新しい魔法を紡ぐ教則魔術。
――〈刻譜魔法・聖釘〉――
ルベリウスの左手を中心に展開された小さな魔法陣。
それは竜の足に転写されて、肉に沈む。
『この力……嗚呼、やはりあなたさまは――』
竜の体に吸い込まれた破壊の力が何かを言いかけた竜の言葉を完全に奪う。魔法陣は恐るべき力の渦に変質し竜を蝕む強力な破滅の呪詛となり――次の瞬間には、その体は生命活動を止めていた。
竜の体からは水分が失われ、表皮が土色へと変色しひび割れる。エンデルクの精霊騎士がその刀でガンガンと竜の体を突くたび土化した表皮は崩れ、零れた。
やがて巨体は乾いた砂山となり、その場に盛大に崩れ落ちる。
そこへ、ルベリウスが頭から崩れ伏す。
一間置き。
その場にアンジェリカの絶叫が響いた。




