序 Must Be Something
ひげを生やした七分ハゲの冴えない印象の男【ハゲネ=雨宮】は魔法学園の特別講師をしている。
ルベリウスにハゲと認識されている彼だが、実は見かけによらぬ実力者である。
風の五芒に精通した術者であり、十五級四十五位ある魔術階位の中でも賢人と言われる第四位階魔法の使い手、七級中位の上級魔術師である。
学園では主に基礎魔術学と上級風属性魔術についての講義を受け持ち、また進級の合否を決める特別試験官の一人でもある。
その彼は今、学園敷地内にあるこの国最大の資料館ディアレクティケー図書館に籠もっていた。
理由はルベリウスの引き起こした奇跡を解明するためだ。
アンジェリカの守護天使召喚に立ち会った後、彼は担当講義をすべて休講とした。
魔道の求道者としては、それは後進の指導に勝る事案であった。
何故ならばあの守護天使こそが、彼が生涯をかけて研究しているテーマに関係しているかもしれなかったからだ。
「あの村人は式を吟じていなかった。魔道具も所持していなかった。回路を構築せずどうやって精霊駆動を成立させたのだ。起動式を展開した方法があるはずだ」
精霊駆動とは様々な単一指向性属性精霊を指定した領域内に組み合わせ、あらかじめ用意した道筋に魔力を通し精霊を行き来させることによって奇跡を具現化させる魔道技の手法である。
いくつもの属性を並行励起させることで様々な奇跡を体現させる高等魔術には欠かせない技法であり、それ故に単純な言霊での制御では成しえない大きな作用をもたらす。
村人の使った天使の召喚はその最たるものであり、絶対に式を吟じるだけでは起こしえない奇跡であった。
にもかかわらず、彼の周りには術式を展開するためにあらかじめ用意しただろうはずの魔術要素の痕跡がなかった。
天使の召喚は幻などではない。雨宮自身がその眼で確認した事実である。
とすれば、それが示す可能性は二つ。
一つはトリックや見落としている特殊な魔法。それについては同じことを再現できそうな方法論に至るまで調べてはいるが、今のところ発見できていない。
もう一つは、村人が村人ではなく、何かしらの理由で村人を擬態している人ならざる者。
後者であるとすると事は自分の手に余る。
魔術どころの話ではない。何故そんなものがこの世にあらわれたのかという話になる。
召喚術系学術書、被召喚物図鑑、古代魔術と呼ばれるベズエット式魔術概論、創世記叙事詩など様々な文献に目を通す彼は、寝食すら忘れ調査に没頭していた。
彼は予感していたのだ。あの守護天使こそ人類滅亡に関わる預言の鍵――彼が長年研究し真実を渇望してやまなかった【異端黙示録】の手がかりであると。
《――神の御座に上れ。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。子羊だけが封印を解く事の出来る。彼らは讃美を捧げる――》
異端黙示録とは、幾つかの暗号によって未来が記されていると言われている聖者の残した預言書である。
彼が解読したその一説は、今回の事を疑わせる一節である。
――神の御座。彼自身の中に多層構造形式の魔法陣が格納されそれが祭壇として機能しているとすればつじつまは合う。或いは――。
雨宮は預言に対する新しい解釈をもって預言全体像を俯瞰し、検証する。
発見されることなく見落とされていた第四の存在――天使。
世界を作りし神の代行者と言われながらも、その存在が人類の救済を示唆する記述はない。
雨宮は人類の最期、終末の世界を回避するためにその身を研究に捧げてきた。
研究により推測された預言の示す世界の未来は、そのいずれもが滅びであった。
その違いは悪魔王によるものか、竜王によるものか、虚無という名の星の病か。
あの守護天使はどちらなのか。
三者による滅びの運命を覆す唯一の希望になるのか。
或いは三者と同じ破滅の厄災の類なのか。
「……ここ最近起きた魔物どもの増殖。周期から外れている理由は恐らく、この件と関係があるに違いないのだ」
永世中立国ツクヴァの領内にある自治都市・緑の都。
学術の発展開発・学問の結集を謳うこの国には、諸外国に比べると桁違いの数の知識が存在していた。
数十メートルはある本棚の間を浮遊飛行しながら、彼は常人では考えられない速度で本を読破して回っている。
複数の参考文献を平行して読み進めるその姿は、知識を食い散らかす虫のようであった。
「――これ、は……?」
その作業にどのくらい時間を費やした頃か。
目の下にくまを作った彼の顔は疲労に満ちていた。いつ倒れてもおかしくないだろう様相の彼だが、その一瞬だけ精気が戻る。
書物のページをめくりかけた手を止め、その書のページを初めから読み直す。
やがて視線はページ下段あたりで硬直し――次第にその両目は、大きく見開かれた。
作業を始めてから十数時間。
暫くぶりに出した声は喉の渇きの為にかすれ、上手く発声出来なくなっていた。
繰り返し繰り返し。噛みしめるように、彼は手にした分厚い一冊の本に食い入る。
途中、本に集中し過ぎて浮遊術の維持を途切れさせてしまい危うく床に激突しそうになったが、すんでのところで彼は浮遊落下の術を再展開し怪我を免れた。
「私の仮説は、やはり正しい、と、思える……」
地面に着地した彼は、その場に立ち尽くしたまま頭の中で考えをまとめると、分厚いその本を閉じて脇に抱え、大きく一つ深呼吸してから、静かに外へ向かって歩き出した。
歩きながら、頭の中でまとまった仮説と構想をどう伝えるべきか思案しつつ、彼は学園最高責任者、緑の都の知事、通称【大賢者オズ】と呼ばれる老人の元へ向かった。
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雨宮が向かった先、象牙の塔本塔の最上階に位置する学園長室は、同時に緑の都知事室を兼ねている。
そのセキュリティは厳重で、如何に彼が貴族であり上位魔術師であったとしても簡単に入る事は出来ない。
象牙の塔最上階へと続く階段の入り口。
その両脇に門番として置かれている精霊騎士の片方に、彼は学園長との面会を求め話しかけた。
「学園都市ツクヴァ特別講師の雨宮です。至急園長先生にお取り次ぎいただきたい。可及的速やかにお伝えしなければならない重要案件です」
「――ご予約されておりますでしょうか? 副校長もしくは教頭以外の緊急面会はお受けできません。お引き取りを」
精霊騎士を通して若い女性の声が響いてきた。
受け答えしているのは新しい知事室付きの秘書だろうか。
暗に予約がないと訴える女性の声に、そういえば前任者が退職したので新たな秘書の人選を進めるという話があったことを雨宮は思い出す。
雨宮は知事の特別秘書を兼任しているが、あえてその事は明かさない。
「緊急事態なんだ。一言でいいから取り次いでもらえないだろうか」
「雨宮さん。今日の面会予定者リストにお名前が無いようです。どうぞお帰りください。正規の手続きをお願いします」
「あなたは新しい秘書の方ですね? 講師職員が緊急を告げた場合、秘書官は学園長に一言連絡を入れなければならない事をご存じだろうか。それを今すぐにやってほしいのです。学園長にこうお伝え下さい、緊急事態だと。頼まれていたスケッチを持参したと。伝えてくれないとあなたは後日責を問われる事になるかもしれません。私は確かに、緊急事態だと、あなたにお伝えしました」
「……お待ち下さい」
雨宮のもう一つの肩書特別秘書とは、地方公務員法の制約を受けずに政治的な要素の含まれる事務を遂行する人員である。中には口にするのも憚られる汚れ仕事的な任務もその範囲には存在し、だからこそ安易に身分を明かして良い存在ではない。
その存在は基本秘密とされ、その正体を知る者はごく一部の者達だけであり、したがって一介の公務員たる知事室付きの秘書が事前にそれを知らないのは当然の話であった。
だから押し問答になる可能性も考えたし、これで尚取り次がないというのなら最終手段をと雨宮は思っていたが、今回はそこまでしなくても済みそうだ。
渋々といった様子で彼女が確認を取りに行ったことに安堵し、彼は深い溜息をついた。
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緑の都の知事にして学園都市ツクヴァの学園長を務め、大賢者の異名で呼ばれるその男――オズ=ミチザネ=スガワラ――は、顎に蓄えた白い口ひげを愛おしげに手で撫でながら教員の持ってきた資料に目を通していた。
「調和神アオイに破壊神シス、創造神クラヴィス。確かに全て異世界人だったという説もあるが……俄には信じ難い話よのう」
ためらいがちな重い口調で、彼は教員――アンジェリカの試験を監督したハゲネ=雨宮――に率直な感想を伝える。
「ですがその少年の首元に刻まれた開扉文字は、伝説にある神の文字に似すぎています。資料と照らし合わせると、これはもう同一といってもいいくらいです」
「ふむ。……で、君の結論は?」
「私の見立てで申し上げるなら、あの少年は闇の三賢神と同等の何か、もしくは預言にある太虚を破りし赤き竜獣、ジ・イ・ズに並ぶものではないかと」
「【寄り返す無の世界】直前に現れると言われる滅びの悪魔王かはたまた大厄災の獣か、か」
「勿論否定されるのは当然のことでしょう。自分で報告しておいてなんですが、本当は私だって心の底から信じ切れているわけではないのです。だいたいもしそうなら我々が今無事でいられているはずはないですし、少なくとも何らかの兆しがあって然るべきでしょうから。
しかしアレの様子は、はっきり申し上げて不気味でした。まるで不完全に生れ出てしまった魔人というか、無理やりこの世界に引き摺り出され顕現してしまった邪神の眷属というか、そんな違和感を持っていたのです。
こちらをご覧ください。今行っている合宿での様子を記した魔動映写機です」
雨宮は資料を入れた鞄の中から黒曜石で出来た手のひらよりやや大きめの角板を取ると、小さく詠唱しその力を起動させた。
角板は表面一杯に、その時間の魔法塔監視記録の映像を映しだす。
「これは、万神殿か?! ……おお、何という。神代の奇跡を無詠唱で……あり得ん。儀式も触媒も無しに一体……」
「注目すべきは呼び出された天使たちが制御を受けていない点です。リモージュ君も彼女が呼び出した守護天使も、どちらも制御術式を展開していません。にもかかわらず、天使たちは暴走せず一応最低限の秩序を得ていたのです。このことから考えてもアレが守護天使であり聖刻も宿しているのだろうとは推察できるのですが、問題はここで――」
「ふむ……なるほど。確かに、喰われておる。それ以外には考えられんじゃろう。だとするとじゃ、この少年がリモージュ君の力によって守護天使として呼び出されたのではなく、どういう理屈か不明な力の影響を受け結果そこに至ったと、そういう事じゃな。……リモージュ君を呼び戻すかのぅ」
「それがよろしいでしょう。さっそく私が飛竜にて現地に向かいま――」
ハゲネが言い終わるか否かのタイミングでドアノックの音がして、秘書がドアの外から声をかける。
「知事、ドルニエ閣下から緊急通信が入っております。いかが致しましょう」
「ふぇ。なんとまぁ、計ったようなタイミングじゃのうヒースめ。とはいえ、どのみち無視は出来まい。つないでくれ」
「畏まりました」
オズの許可を得て秘書官が魔道具を操作すると、知事室の大モニターに映像が映し出された。
「久しいですなお師さん。ご壮健のようで何よりです。実は、急ぎご協力いただきたい件がありましてな」




