エピローグ ヒロインドリーム
アンジェリカは眠り続けるルベリウスの顔に視線を落としたまま考える。
自分は失敗した。
あの日己の不甲斐なさに深く絶望し打ちひしがれた。
あれだけ大掛かりな準備をして呼び出せたのは――村人。
今までの自分の努力は何だったのか。
呼び出すまでは自信に満ちていた。
大いなる天使を呼び出して、その力によって明るい未来が得られるはずだった。
自分の作った術式を大々的に発表し、賛辞の荒らしに包まれるはずだった。
自分はこんなにも頑張ってきたと成果を誇れるはずだった。
だというのに、現実はこの体たらく。
おまけにこの守護天使は言うことを聞かない。
制御術による命令を受け付けない。
やせっぽっちのもやしみたいな姿をした、どこからどう見てもただの村人だというのに。
その上偉そうな物言いをする。
年寄りを自称し、年寄りじみたことを言う。
大きな態度で上からモノを言って、周りに悪い印象を与えるばかりか大ごとを起こす。
反省の色も改善の努力も全く見られない。
救いようのない不良品だ。
こんなもの、切り捨てたい。
だが――捨てられない。
あれだけの大仕掛けで呼び出した守護天使を帰還させる方法なんてわからない。
召喚物の面倒は召喚者が見なければならない。送還するにしても殺すにしても召喚者が責任を持たなければならない。
この人間を呼び出したのは自分。その事実が嫌で嫌で仕方がない。
消せるなら消してしまいたい。
すべてを無かったことにしたい。
送還できないなら殺すしかない。だがこの村人は困ったことに強力であり、自分の力では殺すことができない。
村人の面倒を見ていたのは監視の為だ。野放しにしておくにはアレはあまりに危険すぎた。
それに守護天使は学園卒業までは少なくとも必要だ。
守護天使の無い状態では三年の昇級試験を受けられない。飼っておく必要がある。
業腹だが仕方がない。
自分は奢っていた。身の程もわきまえず人型なんかを設定した自分が愚かだったのだ。
もしもう一度やり直せるなら、今度はスタンダードな精霊獣型を選びたい。
私はずっとずっと、そう思っていた。
そう思っていたからこそ、虎に囲まれた時、私はチャンスが訪れたと思った。
守護天使を生贄にして逃げようと考えた。
守護天使が死んだ時に発生する膨大な聖粒輝を隠れ蓑にし、【晶石地雷】を撒きながら逃げれば逃げられると計算して。
だから適当に相手をして、威嚇して、弱そうなもやし男に虎をけしかけようと考え行動した。
けれど虎は想像以上に手ごわかった。
魔道具の攻撃が効かなかった。その事実に私はパニックを起こした。
さらに想定外だったのは、虎がルベリウスの見た目に騙されなかったという点だ。
彼らが弱者と認識したのは生物としても弱そうな村人ではなく、武器を構え火の一撃を放った私だった。
私は虎を甘く見積もったことを後悔した。計算を誤ったことに気が付いたのと、死を覚悟したのは同時だった。
あの時は主人として、貴族として、貴族の規範に基づき、彼の手を引いて逃げるのが正解だったのだろう。
私欲に目がくらみ馬鹿な考えを起こした自分を、私は情けなく思う。
愚かな感情に流されず、真摯に召喚者としての責任を果たすべきだったのだ。
だから私は、あの瞬間を忘れられなくなってしまった。
自分があの時目を閉じて、襲い来るだろう痛みを想像し、その場に縮こまり震えたあの時。
己の浅慮によって引き起こされた愚行の代償を支払わされんとしたその瞬間。
恐る恐る目を開けた先に――彼がいた。
肌を撫でた衝撃波による風。
宙を舞う頭のひしゃげた虎。
あの一瞬、私は恐怖を忘れていた。
常人を凌ぐその圧倒的な所作。怒涛の攻撃をしようとしていた虎たちが、ルベリウスに睨まれただけでぶるりと震え、後方に大きく飛び退き距離を取っていた。
「私は君を守り切る。約束しよう、絶対にだ」
「ッ……」
自分を守らんと本気を出した守護天使のセリフに、あろうことか私は、胸の高まりすら感じた。感じてしまった。
だからこそ、私は同時に、彼の行動に疑問も持った。
あんな扱いをしてきた自分を、この男が守る理由などないのでは、と思ったのだ。
自分が死ねばルベリウスは呪縛から完全に解き放たれる。
この男にとっては千載一遇の好機だったはずだ。
私の命令に耐性を持ち、無制限な自由行動を可能とするあの守護天使には、その場から去るという選択肢があったはずで、にもかかわらず、アレが踏みとどまったのは何故か。
自分を助けたのは何故なのか。
わからない。
守護天使だから、とでもいうのか。それを散々否定してきたあの存在が。
自由行動を謳歌していたあの村人もどきが。
ひどい扱いを受け続けてきた、あの男が。
餌にして逃げようと考えていた自分と、主を庇う行動をとった守護天使。
その構図に私の頭は真っ白になった。
わからない。
わからないが、そこに恥辱が残ったのは事実であり、それは受け入れざるを得ない現実だ。私はそう理解する。ひとまずは。
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ルベリウスを看病しながらアンジェリカはあの時のことを反芻する。
彼のセリフと眼差しを思い出す度、アンジェリカは平静でいられなくなる。
平民が貴族を助けるなどありえない事だ。それは貴族の規範に反する禁忌である。
貴族が平民にかばわれるなどあってはならない。そんな屈辱はない。けれども、それなのに、アンジェリカはルベリウスの瞳を通して感じてしまったのだ。
感じたことのない漠然とした心強さを。
それはまるで、自分の命を賭してでも姫を守ると誓う物語の聖騎士のようだった。アンジェリカをして、物語の一節を幻視させるほどの力強い決意が感じられる眼差しであった。
しかもこの男はあろうことかこの身に対し「絶対に守る」などと分不相応な大言壮語まで吐いた。自分は――絶対に認めたくは無いのだが――その言葉に、少なからず心を動かされた、かもしれない。と、彼女は感じている。自覚するソレを認める。
「…………」
この男は自分と同じかもしれない。
大きな態度で大きなことを言って、でも失敗して、周りから冷ややかな目で見られて。
「…………」
アンジェリカは思考を巡らせる。
彼の行動を思い返し、アンジェリカはすぐにそれを否定する。
否。そうではない――彼は自分とは異なる。
何故なら彼は結果を示したからだ。彼は彼の明言した誓い通りに自分を守りきった。
その部分が決定的に異なると、アンジェリカはルベリウスを肯定する。
「…………」
彼女は彼の失敗を思い返す。
学園広場で問題行動をした彼。
叱責はしたが、彼の言い分は聞いていない。
もしかしたらあの時、彼には彼なりの、ないしは守護天使としての理由があったのかもしれない。
もしあの行動が、守護天使として正当な理由によるものであったのだとしたら。
「…………」
一方的に叱責するだけだった自分。
けなす事しかしてこなかった自分。
それでも迷いなく主人のために命を懸けた従者。
アンジェリカは俯く。
彼は半端な村人の混じり物などではなく、本当に守護天使なのかもしれない。そうでなければ理屈が合わない。
難敵を前にすれば普通の人間は逃げる。彼がただの村人なら間違いなく逃げただろう。
自分だって逃げる。見捨てれば確実に主人は死に、契約は切れて自由になれるのだから。
危険に立ち向かう理由がない。あの戦闘力を見ればわかる。
虎の包囲網だって彼一人なら楽に突破できたのは間違いない。
それをわざわざ多大な魔力と引き換えに殲滅にまで及んだのは――。
――私が、弱すぎたせいだ。
「…………」
アンジェリカは考える。
彼があんな無茶をした理由を。
それはもしかしたらうぬぼれかもしれない。変に細かいこの男の事だ。単に仕事をきっちり綺麗にしたかっただけという可能性もあると思う。
意味の分からない技術を用いてきっちり荷造りをしたことからも、この男が凝り性だということはわかる。
そんな男だから、有言実行するのはこの男にとっては普通の事、普通に過ぎないことなのかもしれないとも思う
結局のところは、わからない。
実際はどうなのか。
そうなのか。そうではないのか。
それを知るには、二人の時間は短すぎた。
――ほんとうに、私を助けるというの?
けれども今ならば、そんな風にも思えるのだ。
アンジェリカは心をさざめかす。
思いを巡らせながら、彼女は強くこぶしを握り締める。
その胸を締めるような、熱く鈍い痛みに耐えるように。
そうしていたらどうしたことか。目の前にいる彼が、何故だか少し変わって見えた。
同一人物には違いないが、少しだけ自分の記憶していた彼とどこか違って見える気がするというか。
「……あなたって……本当に守護天使なのかしら」
魔力を使い過ぎた者に見られる昏倒。熱病にうなされるその姿は、とても守護天使のものではない。
まるで人間のように額に汗をにじませる村人――自称老人の異世界人ルベリウス。
手拭いで彼の額の汗を軽くぬぐうアンジェリカは、湧き上がるかつてない気持ちにただただ困惑を深めていくのだった。




