万神殿の天使④-2-3
――〈火球〉――
アンジェリカが小剣を掲げ何かを呟くと剣先が赤く輝いた。
突如そこに発生したのは握りこぶし大の橙色をした丸い玉だ。
彼女が剣をふるうと玉は切っ先から離れ、虎に向かって直進する。
「ガゥウゥ」
飛んでくる火の玉に反応し虎が横に飛ぶ。一瞬回避されたかに見えたが。
「あまい!」
火の玉は方向を変え、速度を増し虎の胴体に直撃した。
途端虎の胴が燃え上がり、その体が炎に包まれる。
「みなさい! 直接魔術が使えなくても私には魔道具があるわ!」
アンジェリカが会心の笑みで叫ぶ。確かに彼女の一撃で虎が火だるまだ。
だが。
――見なさいってお前……自信満々なところ恐縮だけどお前の魔術、虎の毛を焦がしただけのようだぞ?
火だるまになった虎が炎を消そうと地面を転がる。
それによって最初こそ勢いのあった炎もだんだんと弱まり、虎が地面を十回ほど転がったあたりで消えてしまった。
控えめに見ても虎は軽傷。その目には明らかな闘志が灯っている。
獣を炎で恐怖させるどころか逆にやる気を引き出してしまうのだから、何とも頼りになるご主人様である。
――これ、どうしたものか。
私が心配を募らせる一方で、アンジェリカはといえば剣の柄から握り口を分離し、握り口側に何やらごそごそとしている。
よく見れば、どうやら力の源になる晶石の詰め替えをしているようだ。
――一回魔法を放つごとに弾を込める必要がある武器なのか。
銃口装填型とはなんて暢気な。実戦を想定していない欠陥武器を手にあの自信だと? いったいどれだけの大物なのだご主人様よ。
彼女の元には別の虎が迫っている。
たが私は動かずに作業にまごつくアンジェリカをじっと見守った。
「え?」
アンジェリカの左手側から無傷の虎が猛然と襲い掛かる。
魔道具の柄に持ち手をはめ込んだばかりのアンジェリカが、かろうじて体を引きそれをかわす。
しかし無理な体勢を取ったためか、彼女はバランスを崩し、よろけて尻もちをついてしまう。
その直後。
飛び掛かった虎が勢いあまってアンジェリカを大きく通り過ぎた。
何たるラッキー回避。
もしかするとあいつ、持っている女なのかもしれない。世の中にはいるよネそういう天運に恵まれた奴。
とはいえ、危機が去ったわけではない。今まさに別の虎が彼女に向かって絶賛突進をかけているさなかであった。
――そろそろ助けるか? でもなぁ。さっき重ねて黙っていろと言われたからなぁ。
三頭めが、アンジェリカの首にかじりつくための正確な軌道に乗って宙を飛ぶ。
「きゃあぁ!」
アンジェリカは剣を前に構える。
が、それだけだ。
彼女は固まってしまった。
魔術を発動させる余裕など明らかにない。
彼女は恐怖に負け、両眼をつむり縮こまってしまった。
――〈波拳〉――
彼女と虎の合間にするりと身を滑らせ、私は虎の首あたりに拳を叩き付けると、さらに振り抜いた。
「まぁ、よく頑張ったほうか」
虎がまるで攻城投石機の放った巨石にでも当たったかのようにひしゃげ、その場から鋭く弾き飛ばされる。と同時に、突如発生した大気を震わせる衝撃波が、今にも襲いかからんとしていた周囲の虎たちの毛皮を撫でた。
一瞬にして伝播した危機感が、伝染した恐怖心が、虎たちの身をすくませる。
――〈波拳〉――
慣性に逆らえず飛び出してしまった虎。私はソレに対し容赦なく、一頭目と同じように殴り飛ばした。
何の感慨もなく、害獣二匹目の命を刈り終える。
「ぁ……アンタ――え?」
気配に気が付いて、アンジェリカは目を開ける。丁度二頭目の虎が宙を舞っていた頃だ。
守護天使の起こした物理的な奇跡を目の当たりにした彼女は、うわ言のような情けない音を漏らした。
私は握った手から人差し指だけを立てて、それを自分の口の前中心に当てる。
黙れというジェスチャーだ。
行動してから、そういえばこの惑星の住人にジェスチャーの意味が通じるだろうかと疑念を抱いて、やむなく口を開く。
「喋らず、じっとしていろ」
黙れと言われていたが、意味の解説くらいならセーフだろう。
何せハンドサインも通じないだろう相手だ。こちらの意図をわからせぬままジタバタ騒がれでもしたら事故の元になるかもしれない。
動きの速い虎から無秩序に動く保護対象を無傷で守るのは面倒だが、動かない保護対象なら対処に余裕が持てる。
――意外とひりつくものだな。
暴力をふるったのは久方ぶりだった。
ましてや武器でも異能でもなく、肉体でのものは本当に何年ぶりの事か。
生物を殴りつけた感触が気分を高揚させている。それは否定できない事実だ。
立場上護衛されるのが常だった私が、今は誰かを護衛する立場というシチュエーション。それがなんとも――。
――楽しい、だと?
それこそ本当に久しい感覚。私はこの瞬間、自分の置かれた状況に新鮮な気持ちを味わっていた。
一瞬遅れて、私は私の中に湧く感情の正体を見極める。
それは自分の意思とは関係なく、私の中に眠っていた修羅が、戦いの快楽を求め活性化していく感覚。
それを安直に端的に述べるなら――ジュダスの業。
「ふ……ふふ。いいだろう……付き合ってやる」
「……ルベ――リウス……?」
私は思い出す。
この感覚は、死と隣り合わせの日々を過ごしていた幼き日の思い出。その残滓――。
――こうなってはこのゲーム、パーフェクトでクリアするしかあるまい?
後にスローネシステムでログ解析をした時、私は初めて知った。
この時の私が、知らぬ間に恍惚とした笑みを浮かべていたという事実を。




