万神殿の天使④-1-1
「……なにをしている? なんだこのありさまは」
私が居候している部屋の中央に置かれた大きなバックパック。
それを前に鎮座しているアンジェリカ。
その周りには所狭しと衣類の数々が散乱している。
空き巣にでも入られ荒らされたかのような散らかり具合。
なんだこれ……もしかして、いじめの一環で何者かに荒らされたのか。
だが待て。このオンナの服を私の部屋にぶちまけて犯人は何がしたかったのだ?
甚だ意図が読めない、いや場合によっては狂気すら感じるが。
「遅い。どこ行ってたのよ」
アンジェリカは部屋に入った私を一瞥し、うんざりした調子で文句を垂れる。
「外の風に当たりたくて散歩をしてきただけだ。ところでこれは何事だ?」
「明日研修でしょ。服を持っていかなきゃいけないじゃない」
おう。
うん、まぁ、そうだね。宿泊研修とか言ったっけ。
確かに、着替えはいるとは思う。
で?
「研修は、実は長期に渡るのか? 数日間だと聞いていたと思うのだが。こんなにたくさんの服が必要なのか?」
「必要よ。これでも少ない方だわ」
「…………」
明日の学園行事はファッションショーなのかな?
部屋に散らかった衣服の数に私は小さく動揺する。
アンジェリカは貴族ではなく華族であり、暮らし向きはさほどよくないと学園長は言っていた。
そしてこの国における服の価値は安くはないという情報も私は世間話から得ていた。
だから目の前の光景によって私が情報の齟齬に混乱させられたというのも無理からぬ話ではなかろうか。古着屋でも開くつもりか? とは寸前で飲み込んだ私の偽らざる心の叫びである。
「遠征用の制服と下着だけでいいのではないのか?」
「馬鹿じゃないの。どう見てもぎりぎりでしょ」
「ぎりぎ……いやどう考えても過剰だろうよ」
「うるさい。さっさと用意しなさい。何をボケっと突っ立っているの」
アンジェリカは部屋に溢れかえる衣服をバックパックに詰めるよう顎で指示する。
だが私には、どう頑張ってもそれらをバックパックに収められるとは思えなかった。
不可能だ。
半分も詰めることは出来まい。
考え直せ。
そう言いかけて、私はふとバックパック横に置かれた箱に目がいった。
「これは?」
「ちょ!」
何気なく開けてみる。
入っていたのは下着の類だった。
慌ててアンジェリカが横から蓋をしめる。
「いちいち開けなくていいの! そのまま入れれば!」
私はイラっとした。
変態もかくやという扱いである。
このガキ、なんて目で私を見るのだ。色気づくのも大概にしろこの断崖絶壁が。
慌てるアンジェリカを一瞥し、私は無能な者にかける平たんな声で告げる。
「箱のまま入れたのでは嵩むだろう。バックパックの容量を増やすにはスペースを計算して無駄なく詰めるしかない」
「箱のまま入れてって言ってるでしょ?」
「ならばこちらの衣類は諦めてもらおう」
「衣類は必要だといったでしょ?」
「わからないのか? よく見ろ、それは不可能だ」
「不可能でもやるのよ。必要なのだから」
お前は馬鹿なのか? と言いかけて私はまた言葉を飲み込む。
待て待て私。
話し合おうとするな。
相手は小さくとも女だ。
ここで真実を追求したところでオンナが理解できるはずもない。逆に発狂させるだけだ。
私は話の方向性を変えんと試みた。
「……了解した。可能な限り善処しよう。ならばせめて服につく皺は諦めてくれ」
「――ッ!!」
その返答にアンジェリカは大きく息を吸い込み、恐らくは怒鳴ろうとした。
だが一間開けて、すぐに溜めた息を大きく吐き出す。結果それは嫌味な溜息となった。
「ほんとやなやつ」
小さな声で一言吐き捨てた後、彼女は無言で服を間引く作業を始めた。
皺、という単語がきいたのだろうか。
とはいえアンジェリカにこの物量を半分以下にすることができるとは思えない。助言を与えて時間を節約すべきだろう。
「研修に適した服を優先する。情報をくれ。研修についての詳細は聞いていないからな」
バックパックに箱を入れ、残りの容量を確認しながら私はアンジェリカに問いかけた。
だが彼女は何も答えない。その表情から、恐らく怒っているのだろうと思われる。
どうせくだらない理由だ。一過性の怒りになど付き合ってはいられない。私はこうみえて空気を読まない男である。女の仕掛けてくる無言の反抗には無機質に質問を繰り返すことで対処すると決めている。
「アンジェリカ、研修日程での行動情報をくれ」
「…………」
「お前の情報から必要な服を選定する」
「…………」
「アンジェリカ、研修日程での行動情報をくれ」
「…………」
「お前の情報から必要な服を選定する」
「…………」
「アンジェリカ、研修日程での行動情報を――」
「あなたはついてくるだけなのにそんなこと知る必要ないわ!」
そう繰り返さぬうちにアンジェリカが激怒した。
聞き取り精度の悪いAIに話しかけるくらいの気分であった私は彼女の短気ぶりに驚く。
まだ三回目だぞ。しかもそんなに激昂する要素があったか? 堪え性なさすぎだろこの女。
「落ち着け、情緒不安定にもほどがあるだろう。どこに行って何をするかわかれば服選びの基準と――」
「うるさい! あなたはただ黙って荷物を持ってついてくればいいの! 余計なことを考える必要はないわ!」
一気にブチ切れるご主人様。
なぜお前がキレる。
キレるなら私だろ? とは思わなくもなかったが、議論はしない。無駄だからだ。
代わりに私は、この逆ギレメスガキにつとめて平坦な声音を持って言い聞かす。
「必要ないことがあるか。少しだが学園長に聞いたぞ。今回の研修は実戦形式なのだろう? 君は魔術が使えないのだから服一つでも不利を補う工夫をすべきだ」
「はぁ?」
あっけにとられ一瞬怒りが引っ込むアンジェリカ。
だが引いた怒りはすぐに戻り、むしろ激増して彼女の熱を高めた。
「そんなのあなたに関係ないわ!」
「関係なくはない。私はお前の守護天使なにがしなのだろう?」
「馬鹿じゃないの? 村人に何ができるのよ! 私が何をするか知った所であなたはついてくることしかできないの!」
「お前の研修でどうして私がついていくこと以上の事をしなければならぬ。誰の研修だ。だがお前が何をするかわかれば、私はお前にとって最適な準備をすることはできる」
「あっそう! でも私にはあなたの世話なんて必要ないの。何かしたいなら自分だけで頑張って!」
アンジェリカの物言いには取り付く島もない。えらい嫌われようである。
これ以上の対話はデメリットしかないな。よしやめとこ。
「了解した。ならばそれで構わない――」
「私もう寝るから! ちゃんと荷物詰めておきなさいね」
だがその判断は少し遅かったようだ。
アンジェリカは間引いた衣類を両腕に抱えて部屋を出ていってしまった。
――意味が分からぬ。世話は必要ないと今言ったばかりではないか……。
舌の根も乾かぬうちに支度を命じたアンジェリカに私は絶句した。
あなたの世話なんて必要ないのちゃんと荷物詰めて置きなさいねってどういうことだよ。何なんだよお前。
病気? 病気なの?
部屋に残された衣服を見ながら私は思案する。
――かと言って……我が身が魔法で縛られている以上、あのガキを激発させるのは悪手か。
これ、無視したら絶対報復されるやつじゃん。逆恨み上等な奴じゃん。
あの激情家の事だ。感情に任せた魔法的制裁も辞すまい。
「できませんでした」という謝罪すら許さないに違いない。
こんな横柄なことをされたのは新兵の時以来だ。
くそ、やるしかない。発狂される前に。
――えぇいやむを得ん。アレを使うか。
私は工作艦に指示を出し、真空収納袋などの便利日用品を取り寄せるためだけに最新鋭の高速飛翔ドローンを発艦させた。
そして数時間後。
恐ろしくコストに見合わない軍需物資の消耗を強いられた私は、知りうる限りのライフハックを駆使し撒き散らされた衣服と格闘する。
バックパックに全ての荷物を詰め終わる頃には、外は白み始めていた。




