岩屋城の戦い③
◇◇
七月二十六日。
ここ二日間は雨が降ったため、島津軍からの攻撃はない。今日は雨こそあがったが、曇り空で足元が悪いため、激しく攻め立ててくることはないだろう。
かといって手をこまねいているわけにもいかないだろうから、和睦の使者を遣わしてくるに違いない、と紹運はふんでいた。
果たしてその読み通りに荘厳寺の快心なる僧がやってきた。
「紹運殿。そろそろよかろう。すでに二の丸の三段ある腰曲輪のうち二段は破れ、次はいよいよ防御の要、砦が攻められる。この砦が落ちればなし崩し的に本丸も落とされるに違いあるまい。残った兵のためにも大将であるお主が折れてはくれないか?」
紹運は口元に微笑を携えながら、首を横に振った。
無論ここで降伏するつもりなど毛頭ないが、次の総攻撃で城は落ちるだろうと認めている。
しかしたった一つだけ心残りがある。
それは離れ離れになった家族のこと――。
於徳と統増には岩屋を離れる前に自分の想いや今後についてはよく言って聞かせてある。
だが統虎にはできていない。
そこで彼は一計をうつことにした。
「さようか……」とさも残念そうに肩を落とした快心に対し、紹運は深く頭を下げた。
「せっかくの来訪を無駄骨としてしまっておきながら、あつかましいと知っているが、どうか一つだけ頼み事を聞いてもらいたい」
目を丸くする快心。紹運は「しばしお待ちあれ」とその場を離れると、すぐに一人の青年を連れて戻ってきた。
「殿? いったいなんでございましょう?」
それはかつて統虎の世話役をしていた谷川大膳だった。
紹運は懐から一通の書状を取り出すと、彼に持たせた。
「これは……?」
「今から城を出て統虎にこれを渡してほしい」
「なんと!?」
「しっ! 声が大きい。敵に聞かれたらなんとする」
「も、申し訳ございません。しかし外は敵の大軍に囲まれております。いかにして外に出ましょうか?」
「快心殿を寺まで送り届けるための兵となるのだ」
快心と大膳が目を見合わせる中、紹運は二人に対して、今一度頭を下げた。
「頼む。この通りだ!」
主君にそこまで言われてはむげに断る訳にもいかない。
それに統虎へ書状を渡した後、岩屋城に戻ってくれば忠義は果たせる。
大膳は覚悟を決め「行ってまいります」と力強く返事し、快心とともに部屋を後にしたのだった。
◇◇
七月二十六日、深夜。立花山城の一室から統虎の大声が響いてきた。
「まだか……? 中国からの援軍はまだこないのか!?」
部屋の中には統虎を含めて男が三人。残りは立花双翼と呼ばれた腹心、由布惟信と小野鎮幸の二人である。いずれもいつ何時出陣してもいいように、甲冑に身を包んでいる。
顔を真っ赤にして吠える統虎に対し、惟信と鎮幸の二人は表情を固くし、口を真一文字に締めたまま黙っていた。
実の父親が少数でこもる城を大軍で攻められているのだ。
平静で構えておれ、という方が無茶である。
そのことは惟信も鎮幸もよく知っている。だからこそ当主のいら立ちを諫めることはしなかった。だが一方で同調するわけにもいかなかい。なぜならここで統虎の焦燥感に油を注げば、彼は暴走し、一軍を率いて岩屋城へ出陣しかねない。
彼らの使命は「立花を守ること」である。それは統虎の使命でもある。その使命を貫き通すために、統虎の手足をくくりつける鎖となるべく、彼らは黙ったまま、常に統虎のそばにいたのだった。
「くそっ……。なぜだ? なぜかように時間を要するのだ?」
統虎は大粒の涙を流しながら、何度も床に拳をたたきつけた。
――もしお主が使命にそむけば、戦は敗ける。紹運殿の命だけでなく、多くの兵たちも散っていくじゃろう。それでもよければ、己の志にしたがって戦えばよい。
初陣の時に聞かされた道雪の言葉が未だに統虎の心をがんじがらめに締め付けている。
この日は前日までの雨が嘘のようにあがり、真夏の太陽が地面をかわかした。
早朝に放った忍からの報告はないが、もしかしたら今頃戦は山場を迎えているかもしれない。
焦りは苦悶の声と涙になるばかりで、何もできぬ自分を彼は心の中で何度もいたぶっていた。
と、その時だった。
「殿。岩屋より使いがきました」
重臣の一人、内田鎮家なる壮年の太い声が襖の外から聞こえてきたのである。
統虎はかっと目を見開くなり、転がるようにして廊下に出た。
そこにはよく見た顔が……。
「大膳!!」
「統虎様!!」
顔を合わせたとたんに、二人の表情がくしゃくしゃに崩れ、人目もはばからず抱き合って大泣きしはじめた。
しかし敵に何重にも包囲された城から抜け出してここまできたのだ、よほど火急な用に違いないと思い立った統虎は、彼から素早く離れ、「父上は無事か?」と早口で問いかけた。
大膳は「ご無事にございます!」と力強く答えると、紹運から預かってきた書状を統虎に手渡した。
統虎は書状を開いた。目に飛び込んでくる、懐かしい父の字。
涙でかすみそうになるのを必死にこらえながら、彼は一息に読んだ。
『統虎よ。これだけは覚えておけ。
武士の価値はその死に様にでるもの。
だからもし父が岩屋で散ろうとも、決して哀しむ必要はない。
その死に様を選んだのは、他でもないこの俺なのだから。
俺は忠義と家族のために生き、そして死んでいくことを選んだ。
それは誰かに命じられた使命ではなく、俺自身で考えた志である。
使命に生きるも、志に生きるも、どちらが正しいということはない。
だから死ぬ間際に自分で自分を誇らしく思えるように生きよ。
それが武士の生き様であり、死に様でもあるのだ。
あと一つ、欲を言わせてもらえば、於徳と統増、そして四人の娘たちの行く末をお主に託したい。
父の最後のわがままと思うて、どうか聞き入れて欲しい』
書状を読み終えた統虎は目をつむり、自身に問答をはじめた。
立花の名を継いだ今、お家と城を守ることが『使命』と心得てここまでやってきた。
しかし『使命』に従ったことで今、父を見殺しにしそうになっている。
果たしてそれで本当によいのか?
自分で自分を誇らしく思えるのか?
彼はにわかに混乱し、右手で自分の顔を覆った。
そんな彼に対し、大膳は小さく頭を下げていった。
「それがしは岩屋に戻ります」
目を見開いた統虎に代わり、惟信が話しかけた。
「今から戻っても敵につかまるか、よしんば敵中を突破できたとしても、城の落城とともに命を落とすだけかと。拾った命と思い、ここにとどまるがよかろう」
大膳はぎりっと表情を険しくして返した。
「それがしから忠義の二文字を取れば、もぬけの殻となるばかりである! たとえ命を長らえたとしても中身のない人生をまっとうしようとなど思わん! それがしは殿に最後の最後まで奉公する! それが忠義であり、生き様なのだ!」
放心していた統虎の心に灯がともる。
彼は「ちょっと待ってろ」と大膳に命じると、自室に戻り、筆をとった。
息を整えていくうちに、脳裏に浮かんできたのは在りし日の父との思い出――。
「ああ、父上……」
涙を紙に落とすわけにはいかず、天井を見上げる。
――お主は幼い頃から泣き虫だのう。ははは!
よく日に焼けた顔。真っ白な歯。透き通った瞳――。
父のすべてが憧れであり、愛していた。
それが今、永遠に消えようとしている現実を思い、彼は己の志とは何かを胸の内に思い描いた。
そして一つの結論に達したところで、一気にしたためたのである。
『俺は志に生きると決めました。父上、不肖な子をお許しください。今から岩屋へおもむき、父上に会いに行きます』
戸惑う暇を与えないように流れるような手つきで封をし、それを持って部屋を出た。
「統虎様……」
律儀に廊下の端で待っていた大膳の前までやってきた統虎は、書状を彼の右手にねじこむ。わずかに触れた統虎の手が燃えるように熱く、大膳の目が丸くなる。
「必ずや父上にそれを届けよ。己の命にかえてまでもだ」
獅子吼のような低い声に大膳は一瞬だけ圧倒されたが、すぐに引き締まった顔となり、「御意! では、ごめん!」と言い残してその場を後にした。
同時に統虎は鎮幸と惟信に命じた。
「出陣の支度をせよ。出立は明後日、早朝」
と……。
だが統虎が立花山城をたつことはかなわかった。
とある悲報のために――。




