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プライオリティ  作者: ハヤシ
シーズン4
63/73

第2章 少女サラVS特命チーム―その後

 トウア国立中央総合病院――サラに刺されたセイヤはそこに運び込まれ、治療を受けた。


 その頃には風は鎮まり、闇が一段と濃くなった未明の空の下で静寂さを取り戻しつつあった。


 少女の襲来を受けていた時は暴風が気配を消してくれたのか、近所の人にも気づかれずに済んだようだが、刺傷を負った治安部隊隊員を運んだ救急隊員は何かを感じたはずだ。じきに治安局より、この件は機密扱いとして、セイヤの傷を手当てした医師や看護師を含め、箝口令が敷かれることだろう。


 手当てが済んだセイヤは公務員特別専用室へ移動した。臓器は傷ついておらず、熱が出なければ、様子見のための数日の入院で済むという。


「軽傷でよかったね」

 ホッとするようにリサは、ベッドに寝ているセイヤに話しかけた。


 セイヤの腹にナイフが刺さっているのを見た時、リサの頭は真っ白になった。少女のこともダイのことも頭から吹っ飛んでいた。


 そう、リサの脳裏に甦ったのは、銀行強盗犯に刺殺された兄の姿だった。床に這う赤い血。呼吸に合わせて動いていたはずの兄の背中が動かなくなっていく――その光景がフラッシュバックする。治りかけたはずの心の中の瘡蓋かさぶたがとれ、あの思い出したくない光景がリサの頭の中に一気に流れてきた。


 ――5年前。

 当時17歳だったリサは兄と立ち寄った銀行で強盗事件に巻き込まれ、治安部隊入隊希望だった兄を強盗犯に殺された。

 あの時、床に流れ出ていった兄の赤い血の色は今も忘れられない。


 当時、犯人は逃走を果たすが、今回の国会襲撃事件で再び、姿を現した。つまり、あの銀行強盗もシベリカによる工作の一環=訓練・予行練習だったと窺い知ることができた。


 リサは過剰防衛とも受け取れる方法で兄を殺した犯人を仕留めた。リサから何発もの銃弾を受けた犯人は両手両足に重い障害を負った。

 命だけは取りとめた犯人は今もなお、取り調べには黙秘を貫いている。


 犯人への憎しみは今もリサを捉えて離さない。国会を早く開き、被疑者への自白剤適用の法案を通し、兄を殺した犯人にはさらなる地獄を味わってもらいたかった。


 と、そこへのんびりした調子のセイヤの声が聞こえ、リサは我に返る。


「このまま家に帰っても大丈夫だと思うけどな」


 セイヤは刺された腹にそっと手をやった。痛み止めも効いているし、傷口が開かなければ何の問題もなさそうだった。


「何言っているの。安心するにはまだ早いんだからね」


 そう釘を刺したリサに、セイヤはちょっと意地悪い笑みを浮かべる。


「リサも、水力発電所立てこもり事件で無茶を仕出かして入院した時、何日か後から高熱が出て、大変なことになったもんな」


「む、昔の話じゃないっ」

 

リサとしては痛い話題である。


「昔の話を持ち出すの、リサもよくやるだろ」


「……と、とにかく、これ以上心配させないでよね」


 顔を逸らしたリサに、セイヤはひょうひょうと追い討ちをかける。


「じゃあ、少しはあの時のオレの気持ちが分かっただろう」


 セイヤとしては、昔、心配ばかりかけていたリサに仕返しした気分だった。

 形勢が悪くなったリサは完全にそっぽを向いてしまった。


「ところで、リサのほうは大丈夫か。胸にけっこうな蹴りを入れられていたよな」


「まあ、痣はできたけどね」


 肋骨が折れなかったのが不思議なくらい強烈な蹴りだった。蹴られた瞬間、蹴られた方向に身を任し、力を逃したためだろう。そう、リサだって格闘術の訓練で鍛えられているのだ。


 二人のおしゃべりに一瞬、間が空く。


 セイヤは笑顔を引っ込め、つぶやいた。


「……犯人はあの少女だったな」


 ダイを守れたものの、セイヤもリサも、そしてジャンまでもが、あの少女との格闘に負け、取り逃がしてしまったことが悔しくてならなかった。


「先輩もたいした怪我はなかったようだけど、少女にやられたのがショックだったみたい」


 リサも硬い表情になり、セイヤに向き直った。


 少女は信じられないくらい強かった。屈強なジャンをも一撃で床に沈めたのだ。


 それでもジャンは病院で診てもらうほどのことではないとし、そのまま残ってダイの警護を続けていた。セイヤとリサが抜けたので急遽、グレドがやってきてダイの警護に加わった。


「あの少女は……一体、何が目的なんだろうな……」


 セイヤは考え込む。ヘトヘトに疲れているはずなのに、妙に頭が冴えていた。


 ――シベリカ国のための工作なのか? トウア人がシベリカ人の子どもを食い物にした疑惑を明るみにさせ、センセーショナルなニュースになることを狙い、トウア人への敵意を煽ってシベリカ人に暴動を起こさせるためか?


 しかし今、シベリカは国内が分裂しかねない地方独立運動に手をこまねき、国内問題で手一杯のはずだ。トウアへ何か仕掛ける余裕はない。


 あの晩、ゴンザレたちが警護していたヤハー氏の孫のところには襲撃はなかった。つまり協力者はいるものの、少女のほかには襲撃する実行者はいないようだ。


 ――少女は個人的理由で動いているのか? ならば復讐か?

 ――とすると少女は臓器売買で命を落としたシベリカ人の子の関係者・遺族なのか?

 ――では、少女はどこで『心臓移植者』の情報を知ったのか?

 ――また時期的に選挙前であったことはたまたまであり、選挙とは関係ないのか?


 しかし、それならマオー氏とヤハー氏にわざわざ孫の殺害予告をした理由が分からなかった。殺害予告をしたからこそ、特命チームが警護することになり、結果、あの少女はマオー氏の孫ダイの殺害に失敗したのだ。


 と、ここでセイヤはふとあることに思いが至る。「そうか……」


「え?」


「いや、何でもない。……オレはもう大丈夫だから、リサも早く休んだほうがいい。あ、それと移動は必ずタクシー使えよ。間違っても一人歩きなんてするなよ」


 セイヤは、訝しげに顔を向けるリサに帰るように促し、これみよがしにアクビをする。


「うん……セイヤもちゃんと休んでよね。後で着替えや洗面道具、持ってくるね」


 窓から覗く空が白んできた。

 リサはゆるゆると立ち上がり、ドアへ向かう。そこでもう一度セイヤを見やり、公務員特別室から出ていった。



 リサがいなくなると室内が森閑とし、疲労がたまっていたセイヤの頭も靄がかかり始めた。


 ――休んだら……オレもちょっと動いてみるか。


 考えることを止め、目をつぶったセイヤはそのままストンと眠りに落ちていった。


   ・・・


 沈殿していた闇が溶け、空が薄明へと変わり、夜が去ろうとする頃。

 中央地区街外れにある廃屋にキリルとサラ、そして縛られた女がいた。


 人口減少にあえぐトウア国では、こういった管理されていない空き家や小屋があちこちに点在する寂れた街が多い。トウア国内のどこにどういった空き家や小屋があるのか、その情報はシベリカ工作員らによって度々更新されており、キリルとサラはその全てを頭に入れていた。


 あの時――女がサラを撃つ前に、すでにクルマの傍まで来ていたキリルが先に、外から窓越しに女を撃った。女は銃を落とし、そのまま意識を失った。


 クルマのドアを開けたサラに、キリルは問うた。

「右肩やられているようだけど、クルマ運転できるか? オレはバイクを運転しないとならない。バイクを置いていくのはちょっとまずいからな……」


「大丈夫。できる」

 サラは即答した。


 キリルとサラは失神している女を運転席から助手席に移動させ、サラはクルマで、キリルはバイクで、マオー氏の館から離れた。



 そう、昨晩――

 キリルは世話になっている食堂の家人のバイクのキーをこっそり拝借していた。もしサラが動いた時、後を追えるように予め準備していたのだ。家人は2階の部屋で就寝中だった。サラに動きがなかったら、翌朝までに返せばいい。


 サラと遅い夕食を終えた後、キリルは皿を厨房に運び、流し台の水を出しっぱなしにして皿洗いをしている振りをし、厨房のドアの陰に隠れ、息を潜め、裏口の様子を伺っていた。


 まもなく、地下室から足音を立てずにサラが上がってきて、案の定、そのまま裏口から出て行ってしまった。キリルはすぐに地下室へ銃を取りに行き、その後を追った。


 サラは、ここから少し離れた場所に止まっているクルマに向かっていた。

 そのクルマにサラが乗り込むと見て取ったキリルはすぐに戻り、食堂の脇に停めてある家人のバイクに飛び乗った。サラが乗り込んだクルマが発進したところだったので、そのままクルマを追った。


 シベリカの工作員訓練所でそこそこ尾行訓練を受けていたので、相手に気づかれずに追うことができた。交通量のほとんどない『シベリカ人街』の中ではライトを消し、ほかのクルマに紛れ込める大通りや高速道路に入ってからは点け、住宅街に入ると再び消した。暴風がバイクの気配を消してくれ、尾行を助けてくれた。


 サラが乗り込んだクルマは、中央地区の閑静な高級住宅街の中の一軒の家の前で停まった。そこでサラが降り、その家の敷地内に入っていった。クルマのほうはそのまま進み、ちょっと離れた場所で停車した。


 キリルはその家から6軒ほど手前に離れた場所にバイクを止め、植込みの中に隠れ、サラが忍び込んだ家と待機しているクルマの様子をずっと伺っていた。


 しばらくしてサラが出てきて、クルマに向かっていった。

 サラを追う者がいないことを確認し、キリルも身を低く伏せながら、バックミラーに映らないよう、サラが乗り込んだクルマに近づいた。運転席にいる者の正体も知りたかった。


   ・


 そして今――

 キリルは女を前にしていた。


 予め、サラに女のことを訊いたが、サラは答えようとしなかった。


 やがて意識を取り戻した女はキリルに顔を向けると「誰?」と短く訊いた。その声を聞いた時、キリルは女の正体が分かった。


「あんた、顔が違うけど、あの『平和と人権を守る教職員連合会』のミスズ先生だろ。整形でもしたんだろうけど、声が同じだ」


 女は『しまった』という顔を一瞬したものの、すぐに表情を消した。


 この女ミスズ・シマーは、ちょっと前までトウアのマスメディアで活躍していた教師兼コメンテーターだった。『平和と人権を守る教職員連合会』の看板を背負い、わざとトウア人の反感を買うようなシベリカ寄りの発言を垂れ流していたが、それは彼女なりのトウア世論に対する皮肉であった。

 その後、ミスズはメディア界から姿を消し、忘れられた存在になっていたのだが――彼女の目的はまだほかにもあったようだ。


「オレたちシベリカ人に親しげに近づいてきたのは……工作員だと目星をつけたオレらから情報を引き出すためだったのか。そしてサラを引っかけたのか」


 そう言いながら、キリルはサラに視線を移した。


「ミスズ先生もスパイだったとはな……どこの組織とつるんでいるかは知らないけど。サラはみすずのバックを知っているのか?」


「……知らない。私が知っているのはミスズだけ。ミスズのバックには興味ない。約束さえ守ってくれるなら、それでよかったから」


 サラはキリルと目を合わせないまま抑揚のない声で答える。

 どうやらサラはミスズについて必要最低限のことしか知らされていないようだった。


 キリルはミスズに視線を戻す。ミスズはどこかの組織の仲介役としてサラと何かしら取引をしたのだろう。


「サラは二重スパイだったってことよ」


 正体が割れてしまったミスズは観念したかのようにため息を吐き、サラとキリルを見ながらうすく笑った。


「サラがどっちのスパイであろうとオレには関係ない」


 キリルは何の感情も込めずにサラを見やった。

 うつむき加減だったサラの顔が少し上がる。


 キリルは、ミスズの前にバイクのキーを置くと、こう続けた。


「サラは連れて行く。もうオレたちに関わるな。こっちも、あんたのことを表沙汰にするつもりはない。そんなことしたところで何の得にならないからな。こっちも逃亡生活する身だ」


 そして、サラを促しキリルは小屋の戸に手をかけた。


「車はもらっておく。途中で乗り捨てるけどな。その代わりバイクは置いていく。もし機会があったら、オレらが世話になった西地区のあの食堂に返しておいてくれ」


 そう言いながら、戸を開ける。冷たい外気がキリルとサラの頬を撫でる。風はすっかり止んだようだ。


「治安部隊に捕まらないことを祈るわ。捕まったら、自白剤で廃人にさせられるわよ」


 キリルの背中に、ミスズが声をかけた。


「そうやって、オレらが治安部隊に捕まったら自害するように仕向けるか?」


 振り向いたキリルは冷やかな笑みをよこす。


「お前が恐れていることは、オレらの口から『あのミスズ先生』が犯罪に加担したことが漏れることだろ」


「……」

 ミスズは表情を消し、何の反応も示さなかった。


「ま、捕まらないよう祈っておいてくれ。言っておくが、もしお前やお前のバックにいる組織が、サラやオレに手を出すようであれば、それなりの報復をする。オレたちの身に何かあった時、お前のことと今まで知り得たこと全て、公表する手立てを講じておくからな」


 そう脅しつけて、キリルはサラと小屋から出た。


 空は闇の支配から抜け出て、だいぶ明るくなっていた。清廉さを感じさせるひんやりした空気が気持ちいい。


「いろいろ訊きたいことあるけど、今は訊かないでおく」

 車に乗り込み、エンジンをかけ、前方を向いたままキリルは助手席のサラに話しかけた。


「できれば……全員、解放したかった……」

 サラがボソッとつぶやく。


「え?」

 キリルはサラに目を向けた。


 その視線から逃げるように顔を背けたサラはそれ以上、何も話そうとしなかった。

 キリルはすぐに顔を前へ戻し、周囲を確認しながら、車のスピードを上げた。


 闇に溶けていたはずの景色が今では色彩を取り戻しつつある。もうすぐ夜が明ける。

 二人が乗った車はうらぶれた田舎道を駆け抜け、どこかしらへ走り去っていった。

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