プロローグ 売られる子ども
――母さんはどこ行ったんだろう?
気がついた時、私は妹と一緒にトラックの幌付きの荷台に乗せられていた。
明かりのない暗闇の中、ほかにも人の気配がした。そこには知らない子どもたちがいた。私と妹を入れて全部で六人だ。皆、静かだった。妹も泣き疲れて感情を吐き出してしまったのだろう、おとなしくしていた。
夕方、母さんと妹と一緒に村の市場に出かけたのだけど、なぜか村の外れの寂れた場所にある水車小屋に連れて行かれ、用事があるから妹とそこで待っているように言われた。
母さんが行ってしまった後、どれくらいそこにいただろうか。
陽がどんどん傾き、森林伐採で禿た山の岩肌が橙色に輝く一方で、私たちのいる水車小屋は山の影に入り、よりいっそう暗さが増していった。
そこへトラックがやってきて、何人かの男らが荷台から飛び降りた。
嫌な予感がし、妹を連れてこの場を離れようとしたけど、あっけなく捕まった。抵抗したら殴られて……私はそのまま気を失ってしまったようだ。
幌の隙間から外を伺うと、トラックは舗装されていない夜道をひたすら走っていた。時たま、車体が大きく揺れて、どこにもつかむところがなく荷台の上で転がりそうになる。
トラックが突き進む闇に包まれた道は、まるで私と妹の未来を暗示しているかのようだ。
心細くなった私は妹を抱きしめた。妹も小さい手で私を抱こうとしてくれた。妹の鼓動を感じて、ほんの少しの安らぎを得る。私はまだ独りぼっちではない。
暗闇に沈む草原地帯に、たまに微かな灯りが寄せ合うようにして並んでいるのが見えた。集落があるのだろう。
家々の窓から遠慮気に漏れるランプの光――この村にもまだ電気はきていない。私の村と同じだ。
シベリカの都会から離れた地方の村ではその日その日を生きていくだけで精一杯。貧しい暮らしだった。あまりの貧しさに中には子どもを売る大人もいたくらい……と、ここまで考えて、ようやく現実に向き合う。
――そうか……私と妹は売られたのか……。
父さんは私と妹の顔を見る度に「女はいらない」とよく言っていた。うちにはすでに兄二人と弟一人がいた。
母さんは父さんの言いなりだった。口を開けば「女は黙れ」と父さんに殴られていた。
さっきまで一緒にいた母さんの疲れ切った虚ろな眼差しを思い出す。そういえば母さんの笑った顔なんて見たことがない……。
別れる前に見た母さんの目は空洞のようだった。私たちを見ているようで見ていなかった。母さんの心はそこにはなかった。どこかに置いてきたんだろう。そんな気がした。
どのくらい走ったのか……漆黒に覆われていた草原地帯を抜けたトラックは、灯りが密集する街に着いた。
電気が通っている豊かな街――闇を凌駕するその眩い光に驚いた。まるで天国のよう。
私たちは、コンクリートの高い塀で囲まれた工場のようなところで降ろされた。その近辺は人通りもなく寂れた感じもしたけれど、それでも村に較べたら外灯で明るく照らされ、別世界のように思った。
妹の手を引きながら、ふと夜空を見上げた。夜の街の灯りが、星を霞ませることを初めて知った。
それから、私たち六人はその工場のようなところの地下室で一緒に暮らすようになった。
意外なことに、そこの生活は悪くなかった。地下室には何でもそろっていた。シャワー室、水洗トイレ、フカフカのベッドに新鮮な果物を絞ったジュースが入った冷蔵庫。
自分の村の暮らしよりずっと豊かで、お腹を空かせるようなこともなかった。食事はきちんと与えられ、シャワーも毎日浴びることができ、本当に天国のような生活をさせてもらえていた。
何といっても妹も一緒だったので、さほど寂しさも感じず、父さんに殴られる心配もなく、母さんの陰鬱な顔を見ないで済み、むしろ幸せに思ったくらいだ。
テレビと録画再生することができるという機械もあった。初めてテレビを見た時はワクワクした。村の生活では味わったことがない気持ちだった。
でも今、振り返ってみると――見ることができた番組は録画されたものばかりだった気がする。ニュース番組というものは見たことがなかった。
売られたからには、奴隷のように働かされると覚悟していたけど、そんなこともなく割と自由に過ごすことができた。部屋の外に出ること以外は。
部屋の外に出される時は身体検査の時だけだった。トラックに積まれた大きな箱のようなところに入れられて、移動し、どこか遠くの施設まで連れられた。その施設では白い服を着た人の指示に従い、機械みたいなところに入ったり、血や尿を採られたりした。
そのうち、幸せを感じていたはずの生活も辛くなってきた。ここはやっぱり天国なんかじゃない。閉じ込められている部屋は窓もない無味乾燥な地下室。広さはあるけれど妙な圧迫感があった。今思えば、防音がされていたかもしれない。徐々にストレスを感じるようになった。
部屋のドアが開くのは食事が運ばれる時、着替えや雑貨の補充、掃除の時、そして身体検査の時だった。通常はドアの外から鍵がかけられ、こちら側から開けることはできなかった。
どうしても外を自由に歩いてみたかった。外の景色をもっと見たい。街を知りたい。私は好奇心が抑えられなかった。
身体検査の時だけ、部屋の外に出られる――このチャンスを狙った。
私たちはずっとおとなしく大人たちの言うことに従っていたので、監視係も油断していたのだろう。ある日。身体検査へ出かける時、私は監視の目を盗み、勝手に建物の外に飛び出した。
久しぶりに吸う外の空気。気持ちいい。開放感を味わった。
周りは高い塀がどこまでも続いていた。
――街を見てみたい。
一本の高い木を見つけた。胸をときめかせながらその木を登り、建物の屋根へ移動し、そこからジャンプして、高い塀へしがみついた。
すると下から空気を切り裂くような怒号が聞こえてきた。
監視係だ。恐ろしげな形相で、すぐ下りるようにと怒鳴っていた。いつも優しかっただけにそのギャップに驚いた。
捕まったら何されるか分からない……。監視係の剣幕に震えた。
必死で高い塀を乗り越え、飛び降りた。かなり高さがあったけど、その下は幌屋根が並ぶ露店だったので、下りた衝撃は幌で緩和され、怪我することなく無事に着地できた。野菜や果物を売っていた店はメチャクチャになり露天商が怒っていたが、とにかく逃げた。
――これからどうしよう……。
逃げながら途方に暮れた。それに、妹を置いてきてしまった。
でも、あそこに戻るのは憚れた。怒られるのはもちろん嫌だったが、何だかそれだけでは済まない気がした。それほどあの監視係の様子は尋常ではなかった。
人々の喧騒に満ちた街にはいろんなお店が並んでいた。自分の村と違ってモノにあふれ、その豊かさに目を見張ったけど、眺める余裕などなく、どこか隠れる場所がないかと、とにかく走った。
建物と建物の間にある迷路のような細い路地を抜けると、バス停の休憩所のようなところがあったので、そこに身を潜め、まずは体を休めた。
そして、自分たちがいたところについて改めて振り返ってみた。
だいたい、なぜ私たちはあんなところに閉じ込められていたんだろう。働かされるわけでもなく、清潔な暮らしと食事がただ与えられ、病気にならないよう健康をチェックされていた。厚遇といっていい扱い。でも決して外には出してくれない。
考えてみれば、おかしい。私たちは買われてきたのに。
――買った人のメリットは何?
よく分からなかったけど、今になってとてもイヤな予感がした。
――どうしたらいいんだろう……。
私は、いつも首にかけていた『お守り』を握りしめた。
その時、休憩所に女の人が入ってきた。整った美しい顔にどことなく寂しげな色を漂わせていた。
ある種の勘が働いた。なぜだか分からないけど、その人が、自分と同じ空気をまとっている仲間のように感じた。
身を潜めていた私は立ち上がり、女の人に声をかけた。女の人は怪訝そうな顔をしたけど、私はかまわず「相談に乗ってほしい」と続けた。
自分は親に売られ、トラックに乗せられて数人の子どもたちと一緒に地下室のようなところに閉じ込められていたけど、わりといい生活をさせてもらっていること、健康診断のようなものを受けさせられていることなど、今の状況をまず説明した。
そこまで聞いた女の人は厳しい顔つきになり、私を警察署というところに連れて行った。
『警察署』というものを見るのも、そういうシステムがあることも初めて知った。当時、私の村にはそういったものはなく、村人たちが自警団を作っていた。
犯罪者を捕まえ、街の人々を守ってくれるという警察署は街の家々や店を圧迫するかのように大きく立派な建物だった。でも女の人の話を聞く警察官は面倒くさそうにイスにふんぞり返っているだけだった。女の人は「子どもの臓器売買が疑われる。すぐに動いてほしい」と訴えていた。
――臓器売買?……
警察官はまだノロノロとしていた。やっと重い腰をあげ、仲間の警察官を呼んだ。
私は、妹と子どもたちが閉じ込められている場所を問われた。
今日初めてこの街を出歩いた私は地図で説明することができなかった。
けれど方角は何となくつかんでいる。なので警察官を連れて、案内することになった。
女の人も一緒についてきてくれたけど、その後を警察官たちはおしゃべりしながら、ダラダラ歩くので、気が急いて仕方なかった。
やがて、私たちが閉じ込められていた工場までたどり着いた。
でも工場には誰もいなかった。地下室ももぬけの殻で、妹たちは消えていた。
「もう検査に連れて行かれたのかもしれない」「今日も健康診断に行く予定だった」と説明したけど、警察官は「誰もいないじゃないか」とモンクを言うだけだった。
女の人がこの建物をきちんと調べるように進言してくれたけど、警察官は「令状がないと勝手には調べられない」「事件があったという証拠がなければ令状は下りない」と応え、私と女の人をそのまま置いて、出て行ってしまった。
警察官らがいなくなると、女の人は1階にある事務室のような部屋に立ち寄り、散乱した書類のいくつかに目を通していた。そのうち、何かメモのようなものを見つけてきた。『トウア、3歳3名、4歳2名、7歳1名、心臓』と書かれているという。
残された書類は乱雑に散らばり、棚の中や机の引き出しの中はスカスカだった。女の人は、さらにいくつかのメモの切れ端を拾い、私にこう言った。
「どうやら、ここにいた子どもの心臓をトウア人に移植する予定のようね。どこの病院かは知らないけど」
私はまだよく意味が分からなかった。――心臓? 移植?
呆然としている私に女の人は冷ややかな声でささやいた。
「トウア人が金にモノを言わせて、貧しいシベリカ人の子どもの心臓を買いにきたってこと」
「心臓を買う?」
「ここにいた子どもたちは心臓を取り出されて、トウア人のために死ぬってことよ」
「え……」
「金持ちのトウアの子どもは助かり、貧しいシベリカの子どもは殺されるの」
「……」
声が出なかった。
すると女の人は顔を伏せて、こう言った。
「私の大切な人もトウアで死んだ……見殺しにされた……」
「トウア……」
「私は休みをもらって、そのトウアから一時帰国したの。今までは準備期間のようなものだったけど、これから本格的な活動に入る。もう二度と故郷には戻ってこれないかもしれないから……大切な人のお墓参りに来たの……って、こんなことあなたに話しても仕方ないわよね」
顔を上げた女の人は瞳に哀しげな色を浮かべながらも、うすく笑った。故郷だという彼女の村はバスに乗った先にあり、乗り換えて次のバスを待とうと休憩所に入ったところを、私に声をかけられたという。
「あなたとは縁がありそう……何となくそう思ったの。そしたらやっぱり……トウア絡みだったわね」
そう言うと、女の人は持っていたメモの切れ端を私に渡した。
「おそらく、もうトウア人の患者が来ているのでしょう。ここにいた子どもは心臓を取り出され、トウア人の子どもに移植されるんだと思うわ。今、そこいらの書類をいろいろ見てみたけど、手術日の詳しい日時や病院の場所までは分からなかった。そういう重要なことが書いてある書類やメモは処分して逃げたんでしょうね。けど警察は見ての通り、動いてくれない。残念だけど助ける手立てはないわ」
「……妹が」
私は『お守り』をまた握りしめていた。
「ここに妹さんがいたの?」
「……はい」
「そう……残念ね……」
女の人は気の毒そうに私の顔を見やったが、すぐに厳しい表情になり背を向けた。
「……それじゃ、私は行くわね。お墓参りを終えたら、すぐにトウアへ向かわなければならないの。あなたは役所に行きなさい。後は大人たちが面倒を見てくれるわ」
私はまだ信じられなかった。妹が殺される? 生きながらに心臓を取り出される? それを金持ちのトウア人が買う?
私の脳裏に――妹の胸が割かれ、鼓動する赤い心臓の姿が見えた。それを何者かの手が覆う。その手が退いた後、妹の胸の中はポッカリと黒い穴が開いていた。薄桃色だった妹の頬がどす黒くなっていく。
思わず叫び出しそうになった悲鳴を飲み込む代わりに、私は女の人に問いを投げかけた。
「トウアに行って何をするの?」
振り返った女の人は冷たい笑みを浮かべていた。その瞳に獰猛な光が宿る。
「もちろんつぶすのよ。つぶすための活動をするの」
「……どうやって?」
私の質問に女の人は一瞬、逡巡した様子を見せたものの、答えてくれた。
「もし興味を持ったのなら、役所で訊いてみるといいわ。子どもは大歓迎よ。何しろ敵は油断してくれるからね。それに子どもは伸びしろがある……素質があると見込まれれば、訓練所を紹介してくれるわ。試験に通れば、そこでいろいろと教えてくれるでしょう」
そう言い終えると女の人は踵を返し、部屋を出ていった。
私は呆然として、しばらくその場に突っ立っていた。脳裏にまた、胸に穴を開けたままどす黒くなってしまった妹の姿が甦ってきた。その無惨な妹の姿は頭にこびりつき、ずっと私を捉えて離さなかった。
5年後――
工作員となった私は、トウア国でその女の人と再会していた。女の人は『サギー』という名前になっていた。
そしてさらに3年後の現在、女の人は意識を取り戻すことなく今もなお病院のベッドの上で眠っている。
私の手の中にある『お守り』もすっかり色あせ、糸がほつれ、布はボロボロになっていた。
でも中に入ってる紅い石は昔のままだ。




