第1章 標的―狙われたリサ
その日、セイヤは残業だった。公務員なのでわりとデスクワークがあったりする。
「明日の朝食用のパンと卵、切らしちゃって。買い物したいから、先に行くね」とリサは、セイヤを残し、一人で帰途に就いた。
その時に治安局の周りで張っていたらしい『おっかけ』につけられてしまったようだ。
駅近くの店に立ち寄り、リサが買い物を終えた時はもう夜の9時を過ぎていた。
トウア国の経済が落ち目に入り、治安が悪化している昨今、この時間帯での女性の一人歩きは危険とされている。セイヤに連絡をして、待ち合わせして帰ろうとも考えたけど「こんなことも一人で切り抜けられないなんて、治安部隊の人間としてなさけない」と思ってしまい、リサはそのまま自宅へ向かった。
途中、タクシーが見つかれば拾いたかったけど、こういう時に限って拾えない。セイヤからも「タクシーで帰るように」と言われていたけど仕方ない。
セイヤとリサが暮らす自宅アパートは旧市街の小高い丘にある。昼間は家々の隙間から海が見える閑静な住宅街だ。
リサはなるべく人通りのある道を選んで行ったが、旧市街の狭い路地が入り組む住宅地周辺はそうはいかず、道行く人は少なくなり閑散としてきた。この分では誰もいない道を通らなければならなくなる。
でも、あれから尾行されている感じはなくなった。撒いた――とリサは判断した。
遠くの繁華街の夜景を背に、家々の隙間を縫うような坂道を上ると真っ直ぐな道に出る。
外灯が照らすその道には誰もいなかった。
我が家まで、もう少しというところだった。公園を通り過ぎようとした時、その植込みの陰からいきなり三人の男が飛び出してきた。
とっさにリサは買い物したものを足許に置く。カバンは持ち去られると困るので、しっかり握る。
男らに取り囲まれ、そのうちの一人に「リサさんですよね。ファンです」と腕をつかまれそうになり、その手を振り払う。
「触らないでください」リサは三人を睨みつけた。
が、また一人がしつこく「握手してください」と手を伸ばす。
とその時、誰かが走ってくる足音が響いてきた。
恐ろしい形相をしたセイヤがあっという間に駆けつけ、リサの手をつかんでいた男を乱暴に引き離す。男は悲鳴をあげ、派手に転んだ。
セイヤは頓着せずそのまま、リサと残りの男らの間に立ちはだかり、身構える。
が、転んだ男が「痛い、痛い」と騒ぎ出した。セイヤを前にした二人の男らも「警察と救急車を!」と大声で叫ぶ。どこからともなく人が集まり、夜の閑静な住宅街がざわつく。
セイヤとリサは訝しげな表情を固めたまま、ただ立ち尽くしていた。家々の隙間から覗く海は、闇空に溶け込んだようにただただ真っ黒だった。
その後、セイヤとリサは治安局の警察捜査隊に事情聴取された。
被害者だという相手の男らは「握手を求めただけなのに、いきなり暴行された」と訴えており、現場を目撃したという第三者も同じようなことを証言しているという。
「見も知らぬ男らに囲まれ、無理やりに手をつかまれました。そこへ駆けつけた夫がその手を引き離そうとしただけです」
リサはそう説明し、セイヤは相手の男性に謝罪するだけで済んだものの――
しばらくして、この件が週刊誌で話題になってしまった。『特戦部隊ヒロイン・リサの夫が暴力行為』『夫も治安部隊の隊員』『自意識過剰のヒロイン様』という見出しで、その記事の内容は「握手を求めたファンに暴行」「ちょっと手が触れただけで大激怒」というものだった。
相手の男たちの主張のみが書き立てられ、その上、匿名の第三者によるいい加減な証言が並べられていた。誰かが写真を撮っていたらしく、記事と一緒に載せられた写真は、いかにもセイヤが暴力を振るって男性を転倒させたように見えた。
セイヤとリサは隊長室に呼ばれ、世間の評判を気にするファン隊長から注意を受けた。
「手を払った勢いで相手が転んでしまっただけで、暴行というのはあまりに大げさです」
「それに相手はわざと派手に転んだように見えました」
二人はそう釈明したが、ファン隊長は嘆息し、恰幅のいい体を椅子に預け、濃い眉をひそめる。
「ま、三流週刊誌はあることないこと書きたてるからな。それでもリサ、キミは世間に注目されている身なのだから気をつけたまえ」
「……はい」
ここはおとなしく引き下がるしかなかったが、隊長のため息交じりに吐いた次の言葉にリサは耳を疑った。
「キミは宣伝向けに採用したんだから、マスコミに叩かれるようなことはするなよ」
「……え? 私は射撃の素質を買われて採用されたのでは?」
思わずリサは問うた。確か、特戦部隊に配属された時、ファン隊長はそう言い、リサを励ましてくれたのだ。だから射撃の腕を伸ばそうと、今までも人一倍射撃訓練に励んできたのである。
しかし、そんなリサを嘲笑うかのようにファンは言い放つ。
「え、本当にそう思っていたのか。いや失礼。実は、華奢なキミはひ弱そうでマスコミ受けしそうな女だから採用したんだ。世間は弱者ががんばっている姿に感動するからな」
「……」
リサは言葉を失っていた。
隣にいるセイヤは視線をそっと下に落とす。
やはり女のリサを特戦部隊に採用したのはそういうことだったか、と冷めた思いで隊長の言葉を聞き流した。隊長はリサを世間へ媚を売るためのマスコットガールとしか見ていない。
「キミは今、特戦部隊という男社会の中で健気にがんばる『かよわきヒロイン』だ。そのヒロイン像を壊すようなことだけはするな。それがキミの仕事だ」
呆然としているリサに止めを刺すかのようにファンはこう締めくくった。
隊長室を後にしたリサは表情を無くしていた。
セイヤはどう言葉をかけていいか分からなかった。けれど、これでリサが仕事に嫌気がさして辞めてくれるんなら、それはそれでいいかも、とも思った。
「仕事、辞めてもいいんだぞ?」
セイヤの遠慮がちな問いに、リサは即座に答える。
「やめない。ファン隊長を見返してやる」
そう言うとリサは肩を怒らし、足早に部隊室へと戻っていった。
・・・
それからのリサはさらに射撃訓練に励んだ。
思い返せば、あの『発電所立てこもり事件』の時も、逃走する犯人に一発も当てることができなかった。
――そうだ、射撃の素質を買われたなんて隊長のリップサービスだということが、なぜ分からなかったんだろう。バカにされて当然だ。
リサは悔しさを撃ち込むようにトリガーを引いた。的を外せば、さらに悔しさが胸を焦がした。
一方、セイヤは部隊室でデスクワークを進めつつ、頭は例の週刊誌のことで一杯だった。
「何か嵌められた感じがする」
記事のネタを作るために仕掛けられたのでは、と不信感を募らせていた。
そんなセイヤに、トイレから戻ってきたジャンが「大変だったな」と声をかけてきた。
「ま、三流週刊誌の記事だから、まともに受け取る人は少ない。気にするな。そのうち誰も話題にしなくなる」
そう言って、元気づけるようにセイヤの肩を軽く叩いた。
「だといいんですが」
セイヤはため息交じりに笑みを浮かべる。それでもまだその時は深刻には受け止めていなかった。
だが、さらに1週間後。
例の週刊誌の次の号では『あのヒロイン・リサの夫の黒い過去』というタイトルで、セイヤが10歳の時に起こした『棍棒殴打事件』のことが記事になっていた。
あんな昔のことが、なぜ?――セイヤの脳裏に、リサと出会う前のずっと昔に起きた過去が思い返される。
――孤児となったセイヤは未成年養護施設に送られた当時、虐めの標的にされ、様々な嫌がらせを受けていた。
そんなある日、大切にしていた亡くなった両親の写真をイタズラされてしまった。
「やめて……」泣きながら懇願したにも関わらず、いじめっ子らのリーダーは哂いながら、ペンを走らせ、両親の顔を黒く塗りつぶしていった。
許せなかった。
ついにセイヤは切れ、いじめっ子らに立ち向かう。しかし、あっけなく返り討ちに合い、その上、いじめっ子たちに体を押さえつけられ、両親を塗りつぶされた同じペンで恥部をいたずら描きされるという辱めを受けてしまった。
が、その後、セイヤは棍棒を持って、いじめっ子リーダーの不意をつき、めった打ちにし、入院させるほどの大怪我を負わせたのだった――。
だが週刊誌では、セイヤが酷い虐めにあっていたことには一切触れず、相手を棍棒でめった打ちにしたことだけが取り上げられていた。
そして、これだけではとどまらず、その後『治安部隊の暴力性』と銘打った記事が掲載された。
その記事では、セイヤが子どもの頃に起こした棍棒殴打事件を振り返りながら、今回の『ヒロイン・リサのファンへの暴行事件』に触れ、セイヤを危険人物とし、「こういった問題ある隊員に街の治安を任せられるのか」「こんな暴力隊員がいる治安部隊は大丈夫なのか」といったような主旨でまとめ上げられていた。
週刊誌の標的はリサからセイヤに移った。
すると今度はテレビや新聞でも「治安部隊は専門的に戦闘訓練させられるから隊員はますます暴力的になる」「治安部隊は社会の害悪になりかねない」と、セイヤ個人を標的にすることはなかったが、治安部隊を批判するような論調が出てくるようになった。
またもやセイヤは隊長室に呼び出され、ファン隊長から「週刊誌に書かれている内容は事実なのか?」と問い質された。
それについては「記事の内容は脚色がされている。自分は酷い虐めを受け、堪忍袋の緒が切れて報復した」と説明したが、ファンは机の上で手を組み、物憂げに深くため息を吐いた。
ため息、吐きたいのはこっちだ――セイヤはそう思いつつも、直立不動で顔を硬くする。頬を少しでもゆるめれば本当に口からため息が漏れてしまいそうだった。
「ま、子ども時代のことだし、多少ヤンチャしたことがあるのは仕方ないと個人的には思っている。ただ、世間はこういったことを面白おかしく取り上げるからな。君がリサの夫だと世間に知られてしまった以上、今後の振る舞いに気をつけるように」
ファンはそう注意して、セイヤを席に戻らせた。
・・・
「お前ら、本当に大変だな」
昼休みに入り、さすがのジャンも気の毒そうにセイヤとリサを交互に見やった。
ジャンや特戦部隊の面々は同情的だったが、治安局のほかの部署ではセイヤとリサを冷やかに見る者も少なくなかった。「ただでさえ治安部隊は世間から悪く思われているのに、いい迷惑だ」「バカップル」と眉をひそめられている。
「オレは分かってくれる仲間や家族がいてくれれば、周りが何を言おうと気にならないです」
セイヤは乾いた声で応えながらランチボックスを開ける。中身は夕飯の残り物がほとんどだが、栄養バランスを考え、リサが用意してくれていた。自分のために健康を気遣ってくれている家族がいる、それだけでいい。
「うん、私も『ヒロイン』でも『悪人』でも、どうぞお好きなようにって感じ」
リサも同じくランチボックスを取り出す。節約のため、できるだけお弁当にしているのだ。
「それにしてもよ、セイヤがいじめられっ子だったとはな。意外だな~」
セイヤやリサがそれほど落ち込んだ様子がなかったので安心したのか、ジャンはいつもの調子に戻り、売店で買ってきたカツサンドを口に押し込んだ。
週刊誌にこの話題が取り上げられてしまった時、セイヤはジャンとリサには『棍棒殴打事件』の詳細を話しておいた。
確かに棍棒で相手を殴り続けたのはやり過ぎたかもしれないが、当時の自分にしてみれば、あれくらいの仕返しは当然だと思っていた。自分はそれだけのことをされたのだ。
「セイヤが子どもの時に起こしたことまで嗅ぎつけて、セイヤだけを悪人に仕立て上げ、正義面してあることないこと書き立てるお暇なマスメディア様には反吐が出るわ」
リサの辛らつなつぶやきに、ジャンも反応する。
「おお、言うね~、リサちん。ま、それが人間社会ってもんなのかもな。誰かを悪者にして叩くって気持ちいいんだろうよ。実害がないうちは適当にやり過ごそうぜ」
「ま、平和な証拠ですよね。こんな小さなことがネタになるくらいですから」
三人は乾いた笑いを放った。




