第1章 治安部隊のヒロイン様
四季がある温暖気候に恵まれ、四方を豊饒の海に囲まれた島国トウアは――昔の風情を残す家々の白壁が青空に映える美しい旧市街と、近代的な高層ビルが建ち並び新市街が混在する――民主主義国家だ。
経済力は衰えてきたものの、世界的に見ればトウア国民は裕福であり、道路には自動車が行き交い、ガス、水道、電気、鉄道、高速道路、空港などインフラ設備が整った便利な暮らしを享受していた。
そんなトウア国の総人口は約3000万人。そのうち1割が移民か外国人労働者だ。
トウア国政府は人口減少による労働力不足を外国人で補う政策をとっており、多くの外国人労働者、そして移民を受け入れていた。
特に、西の海を隔てた大陸にあるシベリカ国からの労働者がダントツだった。それぞれの地区に『シベリカ人街』があるくらいで、移民を含めトウアに在住する外国人のおよそ7割がシベリカ人だ。
一方、シベリカ国のほうはトウア国と反対に人口増加が著しかった。貧富の差が激しく、地方の貧しいシベリカ人の多くがトウア国への出稼ぎを希望しているという。
トウアのマスコミはそんな外国人との共生を謳い「外国人に対する差別をなくそう」「外国人にもトウア国民と同じ権利を」と訴え、多くの一般市民にもその考えが浸透しつつあった。
・・・
首都トウア市・新市街の一角に、広い敷地を持ち、無骨な灰色のコンクリート建築物がいくつも並ぶ治安局――トウア国内の治安を守る警察組織――がある。
その同じ敷地内にある中央地区管轄・特殊戦闘部隊にて。
2ヶ月の停職処分を解かれたリサ・シジョウは隊長室に呼ばれ、直属の上官ファン隊長より「今後はジャン・クローとセイヤ・シジョウとチームを組み、行動を共にするように」と通達された。
特殊戦闘部隊――略して特戦部隊は、警察捜査隊とは別に、立てこもりなど現在進行形の犯罪事件に対処し、犯罪者を制圧することも視野に入れた部署だ。
ジャン・クローもセイヤ・シジョウもこの部隊に所属しているリサの同僚であり、セイヤは夫でもあった。なのでファン隊長からのこの話は、すでに夫のセイヤから聞いていた。
ちなみにリサとセイヤは結婚してまだ2ヶ月ちょっと。二人ともまだ20歳の若夫婦で、特戦部隊に配属されて2年目になる。
冬が徐々に遠ざかろうとしつつも吹き込む風は冷たく、春と呼ぶにはまだ早い頃。今やっと、リサの2ヶ月の停職処分は解かれたものの、後4ヶ月の減給処分が続く。
セイヤもジャンも同様に減給処分を食らっている。
それは2ヶ月半前に起きた『シベリカ人労働者による水力発電所建屋立てこもり事件』で、リサとセイヤは隊長命令を無視して自分勝手な行動をとったことへの、ジャンは隊長命令を無視したセイヤに協力したことへの懲罰だった。
――その『シベリカ人労働者による発電所立てこもり事件』とは――
治安部隊入隊希望だった兄を銀行強盗犯に殺されたリサは、兄の志を継ぐために女ながらに治安部隊の中でも一番危険な部署だとされる『特殊戦闘部隊』に入った。
そんなリサは犯人の逃走を許すことができず、犯人を見ると後先考えず鉄砲玉のように飛び出してしまう。セイヤはそのことを危惧していた。
ある時、発電所建設に関わったシベリカ人労働者らが報酬などの約束が違ったとして不満を持ち、人質をとって発電所に立てこもる事件が発生する。
出動時、セイヤは発信機を仕掛けたペンダントをお守りと称してリサに身に着けさせた。バディを組んでいないリサとは持ち場が離れるため、これしか見守る術がなかったためだ。
事件現場では犯人らと銃撃戦となってしまい、その間にリーダー格の主犯が逃走したことを知ったリサは隊長の指示を仰がず、自分勝手に追い、その後をリサの発信機を頼りに、セイヤが追いかけ、格闘の末、二人で捕まえた。
ジャンのほうは、隊長命令を無視してリサを追いかけるセイヤを手助けしてくれたのだが、表向きは「セイヤに女性問題をネタに脅されて仕方なく協力した」ということになっている。
しかしその後、リーダー格の主犯は拘置所で自殺をしてしまう――そんな事件だった。
リサは、ファン隊長に一礼すると隊長室から出た。
ここ特殊戦闘部隊――略して特戦部隊では、基本的に二人一組で任務を行うことになっており、各隊員はそれぞれバディを組んでいたが、特戦部隊初の女性隊員として採用されたリサには今まで決まったパートナーがいなかった。
それがここにきて、ジャン・クローとセイヤ・シジョウの組に加わることになり、任務の際には三人で『チーム』として動くことになったのだ。
これからは先輩であるジャンに指導を仰ぎながら任務や訓練に励むことになる。
時計を確認すると始業5分前になっていた。
部隊室に戻ったリサは自分の席へ向かう。リサのデスクの隣がセイヤ、そのまた隣がジャンの席になっていた。
「まず、ジャン先輩に挨拶しなくちゃね」
4期上のジャン・クローは、制服のシャツのボタンが二つほど外され、たくましすぎる胸から毛も見えており、男性ホルモンが過剰に分泌されているのではないかと思わせる大いなるマッチョである。
対してセイヤは中肉中背、どこにでもいる無難という言葉がお似合いの青年だ。
リサはジャンの席に近づく。
何か気温が2℃くらい上がったような気が……。そう思わせるほどに暑苦しいオーラを放つジャンは、イスにふんぞり返り、いかにもくつろいた様子でセイヤと何やら話をしていた。
「リサってずいぶん雰囲気変わったよな。新妻の色気ムンム~ンだな。オクテなお前が相手でも色気が出てくるもんなんだな。つうか淡々としているお前もリサが相手だと燃えるのか?」
セクハラまがいなことを言っているジャンの声が聞こえてきた。
「ま、でも乳が小ぶりなのが残念だよな」
いや、セクハラまがいではなく、完全なセクハラだ。
「大きけりゃいいってもんじゃないでしょ。要はバランスですから」
セイヤは控えめながらもリサを擁護していた。
そう、セイヤにしてみれば、乳が小さいくらいでリサを『残念な女』のように言われるのは心外だった。「大きさはともかく、形はいいんだ」と力説したかったが、ジャンに興味を持たれても、それはそれで困る。痛し痒しといったところか。
ま、とにかく、リサのお椀のような乳はちょうど自分の手に収まるぐらいの大きさだし、わりと気に入っているのだ……って、オレは一体何を考えているんだっ――いつの間にか両手をお椀を持つような形にしていたセイヤは、ジャンのペースにはまっている己を恥じ、いかんいかんと首を横に振る。
そんなセイヤを無視し、ジャンは傍に突っ立っていたリサに声をかけてきた。
「いよ~、リサちん、久しぶり。髪、切ったんだな~」
「あ…はい」
ちゃんと挨拶しようと思っていたのに、先にジャン先輩のほうから別の話題を振られてしまったので、とりあえず頭を下げ「今までご迷惑おかけしました。これからよろしくお願いします」と言って、リサは自分の席に着いた。ちなみに結婚前まではロングだった。
セイヤはリサを見やりながら、ため息をもらす。
結婚前までは背中を覆う程、髪が長かったリサは、今は顎のラインで切りそろえたショートボブになっている。
あれから髪が多少伸びたとはいえ、まだ制服の襟につくかつかないかの長さなので、切りそろえた髪と襟の間から白い首筋がチラチラ見え隠れしているのが、妙に色っぽかった。が、自分の目の前で色っぽいのは大歓迎だけど、ほかの男の前では色っぽくあってほしくない、とついつい勝手なことを思ってしまう。
ジャンは、セイヤ越しにリサと話を続けていた。
「ずいぶんとバッサリ短くしたんだな~、もしかして、こいつの好みだとか?」
そう言って、ジャンは隣にいるセイヤを指差した。
「というか、こういうふうに切られちゃったんです」
リサもセイヤを指差し、ジャンに顔を向けた。
「え?」
ジャンの目が見開かれる。
「わ、リサ、それ以上、しゃべるな。何だか面倒なことになりそうだから」
慌ててセイヤはリサに耳打ちしたが、遅かった。
「切られたって? こいつに切られたのか?」
ジャンはさらにセイヤを指差しながら、興奮気味にリサに問う。
「はい」とリサは、ジャンに返事をしつつも、セイヤに「面倒になるの?」と訊いてきた。
セイヤは何度も頷く。しかし、すでにジャンから胸ぐらをグイ~っとつかまれていた。
「オクテのくせに、オクテのくせに、オクテのくせに、オレに隠れてコッソリそういうプレイをしていたのか~。新婚だからって調子に乗っているんじゃないぞ」
「や、やめてください。何でそう妙に下品な想像ばかりするんですか」
勝手にヘンタイ的要素を加えて妄想し、興奮していくのがジャンの悪いクセだ。
「あんなことやこんなことをやってたんだな~、うらやましすぎるぜ」
「だから、あんなこともこんなことも、やってませんっ」
そんな二人に、おもむろにリサが質問してきた。
「あんなことやこんなことって?」
「……」
ジャンとセイヤは一瞬、押し黙る。
「……お前、新婚のくせにあんなことやこんなこと、やってないのか?」
ひっそりとジャンがセイヤに耳打ちしてきた。
「先輩の言う『あんなことやこんなこと』って何のことだか……オレはフツ~にやってます」
アブナイアブナイ、オレまで先輩と同類だと思われる。セイヤはジャンから距離をとった。
が、そんなセイヤを逃がすまいと、ジャンは絡む。
「フツ~って、どういうふうにフツ~なんだ?」
「だから、フツ~はフツ~です」
セイヤは突き放すように答えた。
するとジャンは顎でセイヤを示し、質問の相手をリサに替えた。
「こいつ、フツ~なのか?」
「リサ、答えなくていいぞ」
すかさずセイヤが割って入るものの、リサは視線を微妙に遠くへ投げながら、こんな問いを返していた。
「フツ~の定義って何なんでしょう?」
「そうだな、一般的、平均的、つまり多くの人がやっていることと捉えていいんじゃないか」
セイヤはそう説明してみたものの、定義づけは難しいなと思った。
「定義って何? リサ、なぜ突然そんな難しいことを言い出す?」
自分だけ取り残されそうな空気にちょっと慌て気味のジャンが質す。
「セイヤがよく使う言葉なんですよ。だから、私も染まっちゃって」
リサは苦笑いしながら頭に手をやった。
そう、セイヤは議論好きで、相手を論破するのが趣味だった。口を開けば理屈っぽい。それがセイヤという男だ。
「……セイヤって面倒くさそうなヤツだな。一緒に生活していて疲れないか?」
ジャンが気の毒そうにリサを見やった。
「ええ、疲れますよ。慣れましたが」
リサはため息まじりに応える。
が、さすがのセイヤもこれにはムッときた。
「何だよ、リサのほうこそ散々心配かけて、オレを疲れさせたじゃんか」
そうだ、自分だけ『疲れる男』呼ばわりされるのは納得がいかない。特にあの『発電所立てこもり事件』の時はリサのせいで本当に疲れた。疲れ果てた。
「こんなとこで夫婦ゲンカはやめようぜ。ええ~と、何でこんな話になったんだっけ?」
ジャンが割って入る。
「オレがフツ~なのかどうなのかっていう下らない問題から、こういう展開になったんです」
セイヤは、どうでもいいようなジャンの質問に律儀に答えつつも――オレはフツ~だよな、フツ~に決まっている。でも、この場合フツ~のほうがいいのか? リサはどう思っているんだ? とそっちのほうが非常に気になっていた。
そんなセイヤの心を知ってか知らずか、リサは「あ、でも私、セイヤしか知らないから、彼がフツ~なのかどうか判断できません」と、実にきわどいことをサラッと言った後、ハッとしたように押し黙った。
三日月目になったジャンはイヤラし~く、セイヤとリサに笑いかける。
「そうか、セイヤしか知らないのか。お前ら、二人そろってオクテカップルだったんだな。ここはやはり先輩として指導をしたいところだよな~。どうだ、今後の夫婦生活のためにも、このオレ様の愛のレッスンを受けてみないか?」
「お断りしますっ」
セイヤとリサが応えると同時に始業のベルが鳴った。
・・・
「特戦部隊のヒロイン様」
職場復帰初日から、リサは治安局の職員たちにこう呼ばれるようになっていた。先の『発電所立てこもり事件』のことで、なぜかリサのことがマスコミにリークされ、テレビで『特戦部隊のヒロイン』ともてはやされてしまったからだ。
が、職員らが「ヒロイン」と呼ぶその口調には皮肉と嘲笑が織り交じっており、決していい意味で呼ばれているわけではない。
「好きで目立っていたわけじゃないのに」
夫婦そろって仕事を終えての帰宅途中。リサはセイヤにこぼす。
「学校で『不戦の民』と呼ばれて、道徳教育でネタにされていたセイヤの気持ちが分かった気がするよ」
そう――セイヤは8歳で、リサは17歳で保護者を亡くし、未成年養護施設へ送られた。施設入所者はそこの付設学校で学ぶことになっており、二人は高等部17歳クラスで知り合ったのだった。
そこでは平和道徳授業が盛んに行われており、セイヤは『不戦の民』と呼ばれるジハーナ族の子孫として平和主義の教師たちに祭り上げられていた。
その昔、多数の小さな島々で成る島群ジハーナ国は平和と不戦の誓いを立てた軍隊を持たない海洋国家だった。
が、その高すぎる理想は国家主権をおざなりにすることとなってしまい、他国の介入を許し、結局、ジハーナ国は諸外国に分割・併合され、事実上、消滅した。
それまで点在する島々に住んでいたジハーナ人らは、その島々を併合していった国――その中でもシベリカ国はジハーナの7割の島をモノにした――に組み入れられ、民となった。
当時、トウア国に出稼ぎに来ていたセイヤの祖父はそのままトウア国に留まった。セイヤの祖父だけではなく、多くの出稼ぎジハーナ人はトウアに残り、その2世3世は帰化しトウア人となった。
そんなわけで3世のセイヤはジハーナ人の血を引くとはいえ、生まれた時からトウア国籍を持つトウア国民だ――。
「ま、マスコミのほうはもう話題にしていないし、皆もそのうち、気にしなくなるだろう」
セイヤはそう慰めつつも、リサがおかしな連中に目をつけられないかと心配もしていた。
あの『発電所立てこもり事件』を扱ったテレビでリサの写真が出回り、大きく取り上げられてしまったため、騒がれていた当時は帽子を目深に被り、なるべく顔を見られないようにしていた。
それでも「もしや特戦部隊の、あのリサさんじゃないですか」と見知らぬ人から声をかけられたことも何度かあり、その度に「いえ、人違いです」とリサは逃げた。テレビで話題にされていた時と髪型が違っていたことが幸いしたのか、何とかそれで切り抜けられた。
そんなわけで一時期、リサはちょっとした有名人になってしまったのだ。今は下火になったとはいえ、注意するに越したことはない。
――と思っていた矢先、心配が現実のものとなった。




