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プライオリティ  作者: ハヤシ
シーズン2
21/73

第1章 再会―下劣な訪問者

 夜の帳が落ち、あちこちで街灯が燈る頃。仕事を終えたセイヤとリサはそろって帰途に就く。治安局を出て、街路樹を揺らすやわらかい夜風が漂う中、しばらく歩いていると誰かの声が背中から追いかけてきた。

「いよ~、久しぶりだな」


 セイヤとリサは足を止め、振り返り、その人物に目をやりながら顔を見合わせる。


「覚えているか?」

 その人物はうすい笑みを顔に貼りつけながら、セイヤに視線を向けていた。ヘタった上着に襟が伸びきったシャツを着、無精髭も伸び、ずいぶん荒んだ感じの男だった。


「失礼ですが、どなたですか?」

 見たことのある顔だと思いつつ、セイヤは尋ねた。


「アントン・ダラーだ。今はライターをやっている。びっくりしたぜ、『特戦部隊のヒロイン』のことを調べていたら、その夫がセイヤ、お前だったとはな。で、せっかくなんで、お前の過去をネタに記事を書かせてもらった。昔、暴行を受けたことをな。ほら、傷跡も未だに残ってるぜ」


 アントンと名乗る男は前髪を上げ、額の古傷をセイヤに見せた。

 記憶を手繰り寄せる必要もなかった。セイヤはすぐに思い出す。


 ――アントン・ダラー。例の棍棒殴打事件の当事者、いじめっ子リーダーであり、セイヤに棍棒で殴られた被害者でもあった。


「そうか……リサを尾行して、暴行事件を仕組んで記事にしたのもお前か?」


 セイヤは一歩踏み出し、アントンを睨みつけた。あの時、自分が駆けつけてなければ、おそらくリサが加害者に仕立てられ、世間の批判を浴びることになったかもしれない。


 だが、アントンはキョトンとした顔をしていた。

「何の話だ? オレが記事にしたのは『棍棒殴打事件』だけだ」


 アントンの表情や口ぶりから、『リサを尾行しての暴行事件でっち上げ』には関わっていないようだった。


「あれだけの大怪我させて、お前は謝らなかったよな。忘れたとは言わせない」 

 アントンは話を『棍棒殴打事件』に戻す。


「ああ。オレも、お前とその仲間達とが大勢で寄ってたかって、下半身への悪戯を受けたことは忘れてない」


 セイヤの切り返しに、アントンは下卑た笑みを浮かべた。


「今は新婚ホヤホヤか。当然やりまくってるんだろうが、アソコのいたずら描きはさすがに消えているんだろ? エッチの時だって特に困らなかっただろうが」


「行こう」

 相手をするだけ時間の無駄だ。セイヤはリサの背中に手をやり、その場を立ち去ろうとした。


「おいおい、無視するなよ。ヒロインさんよ~、ダンナのエッチに満足しているかい?」


 アントンは人目も気にせず、今度はリサに大声で訊いてきた。

 リサは立ち止まり、アントンへ乾いた視線をよこす。


「相手にするな。オレたちを怒らせて、それをまたネタにして記事にするつもりだ」


 セイヤはリサの手首をつかみ、引っ張った。

 が、リサはセイヤの手を振り切り、アントンに向き合う。


「今度のネタは『特戦部隊ヒロイン大満足、ダンナは夜もすごい』とか? どうぞ、お好きに書いてください。善人ぶって特戦部隊やセイヤを批判する記事よりも、そっち系の記事のほうが、ずっとマシ」


「へえ~、オレも善人ぶったヤツは大嫌いだぜ。けっこう気が合うかもな」

 アントンは肩をすくめ、うすい笑みをリサに送った。


「せいぜい下劣な記事が書けるといいですね」


 皮肉を吐きながら踵を返そうとしたリサを、アントンが呼び止める。


「そうそう、一応オレの名刺、渡しておこう。モンクがあるなら、ここに連絡どうぞってことで。ヒロインさん、今後もよろしく」と上着の内ポケットから名刺を出した。


 セイヤは横からその名刺を取り上げようとしたが、リサは「事実無根を書かれて実害が出た場合、訴える時に必要だから」と受け取った。


「じゃあな。夜の生活、楽しめよ、お二人さん」

「はい、そうさせていただきます。では」


 リサは手に持った名刺をヒラヒラさせて、ニッコリ笑顔で応える。もう、こういった話題はジャン先輩から散々されているので慣れっこになっていた。


「せいぜい、嫁さんのアソコを棍棒振るうように突いてやれよ~」


 アントンの挑発が聞こえてきたが、セイヤは背を向け、リサに「行こう」と促すと――

「つくづく、下品なヤツだよな」

 言葉と共に思わず、ため息を漏らした。


 アントンの名刺をカバンにしまいながら、リサも頷く。

「ほんと、ジャン先輩といい勝負ね」


 が、それには同意せず、セイヤは異を唱えた。

「おいおい、ここでジャン先輩を引き合いに出すのは、さすがに先輩が気の毒だろ」


「でも、先輩のスーパーセクハラぶりも大したものよ。ま、そのおかげで、この程度のことは何とも思わなくなったけど」


「そういやあ、あれからリサもずいぶん先輩に鍛えられたよな」


「ジャン先輩の下品な言動は笑って許せるけど、このライターの下品さは虫唾が走る」

「確かにな」


 これには同感したものの、次のリサの言葉はセイヤにとって理解不能だった。


「ジャン先輩の下品は可愛げがあるよね」

「何だ、それ」


「ていうか、ジャン先輩って『かわいい』よね」

「ええ、どこが?」


「どことなく愛嬌があるし」

「そうかあ?」


 可愛げのある下品とは?――この問題を掘り下げるべく、セイヤとリサはそのまま二人だけで歩き出し『下品についての考察』を始める。


「おい」アントンは声をかけるが、セイヤとリサは無視し「なぜ、ジャン先輩の下品な言動は許せるのか?」について議論しながら駅へ向かう。アントンも二人に絡むのをあきらめたのか、覚めた顔でそのまま踵を返した。


 セイヤとリサの会話は続く。


「先輩はあれでもオレたちの恩人だしな。だから許せるのかもな」

「あとさ、先輩はカラっとしているよね。ジメジメしていないところがいいのかも」

「なるほど、ジャン先輩の下品な振る舞いはカラっとしているように感じるのか」

「そこが下品でも許せるか、許せないかの境目かも」

「たかが下品、されど下品だな」


 けどこの時、セイヤはちょっとモンモンとしていた。アントンが夜の生活について挑発した際、リサが応えた言葉について、実はとっても気になっていたのだ。


 ――あの時、リサは『ダンナは夜もすごい』と書けばいい、と言っていたっけ。


 そう、リサは『すごい』という言葉を使ったのだ。


 ――つまり、オレは『フツ~』ではなく、ひょっとして『すごい』のか?


 セイヤは思考を続ける。


 ――いや、リサはほかの男がどうなのか知らないのだから、オレがフツ~かどうかは判断できないはずだ。だから、リサの言った『すごい』は売り言葉に買い言葉だろう。


 ただ……そもそもこの場合においての『フツ~』『すごい』の境目はあるのか? どこまでが『フツ~』で、どこからが『すごい』のか?


 大いなる疑問がセイヤの頭を支配した。このモンモンを鎮めるためにも、この点についてぜひ深く考察したい。


 というわけで帰宅後の二人がその夜、極めてフツ~の一般的な行いをしたのかしなかったのか――いや、思考することが趣味と化しているセイヤのこと、ベッドの上でも『フツ~についての考察』を繰り広げていたかもしれない。結婚当初はそんなセイヤの性分に疲れていたリサも、近頃はすっかり慣れてしまい、セイヤの趣味につきあってあげている――そんな微笑ましい夜を過ごした可能性もなきにしもあらずである。


 季節はすっかり春となっていた。

 ジャンの頭の中は年がら年中『春』であるが、セイヤの頭の中も春めいていた。ま『生真面目』が服着て歩いているようなセイヤも、そういったことが気になるフツ~の男ということである。


 ちなみに、その後のアントンの記事はあまりにも下品な内容だったため、いかに三流週刊誌といえど採用されなかったようだ。


   ・・・


 それから数日後。

 週刊誌で騒がれたセイヤとリサの暴行事件の動画がインターネットで出回った。


 その動画は、リサが三人の男達に囲まれたところから一部始終が撮られており、世間でのセイヤとリサの誤解は晴れた。


 そう、これはどう見ても、男三人は握手を求めているのではなく、嫌がるリサの手を無理やりにつかもうとしていた。セイヤが駆けつけ、リサの手から男を引き離そうとしているところも撮られており、その直後、男が派手に転んだ様子も、第三者の目からも、わざとらしさが感じられるものだった。


 この動画がセイヤが一方的に暴行を働いたのではないことの証拠となり、ここで一気にセイヤとリサへの同情論が広まり、いい加減な記事を書いた週刊誌が叩かれ始めた。


 そして「週刊誌側が最初からこの二人を狙い、事件をでっち上げたのでは」と問題となり、週刊誌は廃刊の危機に瀕した。多くの人も「二人は週刊誌に嵌められた」と感じたようだ。


 治安部隊を批判し、特戦部隊不要論を展開していたテレビと新聞は鳴りを潜めた。


「こんな動画を撮っていた人がいたなんて……だったら、もっと早くネットに流すか、あるいは治安局のほうに証拠として届けてくれればよかったのに」


 休日、テーブルの上に置いたパソコンで改めてこの動画を見たリサは椅子にもたれかかり、独りごちた。


 そんなリサを尻目にセイヤはセイヤで、この動画が出回った件を不思議に思っていた。


 ――なぜ、事件の一部始終が撮れたのか。最初からリサを尾行していて狙って撮っていたとしか思えない。


 だとすると自分たちを嵌めた週刊誌側がこれを撮っていたのか?

 が、そうであるなら、週刊誌側が不利になるような動画を何でネットに流したのか? 


 ――週刊誌側がこういった動画を撮っていたことを知っていた誰かが、週刊誌に何らかの恨みを抱き、動画をこっそり持ち出してネットに流した、と考えるのが妥当か……。


 ただ、例の三人の男たちがシベリカ人だというのが気になっていた。彼らはトウアに来てまだ1年程度と聞いたが、それにしてはトウア語を完璧に発音していた。そして調べてみたら、証言者もシベリカ人だった。


 ――ま、トウア国の総人口の1割弱が外国人で、そのうち7割がシベリカ人だからな。しかも多くは貧しい。金のために週刊誌のやらせに加担したんだろう。


 何となく違和感を持ちつつも、セイヤはそう結論づけた。

 半分ほど開けた窓から忍び込む生ぬるい風がカーテンを揺らし、セイヤの頬を撫でていった。


   ・・・


 ちょうど同じ頃。トウア市の旧市街の端にある古びたアパートの一室。


 海が近く生臭い潮の匂いが入り込んでくる部屋の中で、シベリカ工作員サギーはパソコンをネットにつなぎ、例の『セイヤとリサを狙った暴行疑惑事件の一部始終が録られた動画』を見つめていた。しかし、その整った美しい顔は無表情だ。


 島国トウアから西の広い海を隔てた大陸にあるシベリカ国は、トウア国の海洋権益を狙い、トウア国を支配しようと目論んでいた。その工作に関わっているのがサギーである。


 そう、移民としてトウア国籍を取得し、名前をトウア風に改名したサギーは未成年養護施設付設学校の教員となり、生徒らに絶対平和教育を施し、武力を行使することもある軍と治安部隊への批判精神を育むための教育工作を行っていた。セイヤとリサはその時の教え子だった。


 ――彼らとはいろんな意味で縁があるわね……。

 サギーは苦い思いを噛みしめる。


 セイヤとリサの担任だったサギーは進路指導の時、治安部隊へ入隊希望の二人と衝突した。


 どんな理由があろうと殺人は悪であるとし、武器を持って人を殺害する可能性がある軍や治安部隊を否定したサギーに対し、セイヤは正当防衛や自衛権を認めないことこそ人権侵害だと反論し、結局、サギーはセイヤに言い負かされてしまった。


 その後、サギーが支配していた教室の雰囲気が変わり、サギーの教えを真面目に聞こうという生徒が少なくなり――その年の教育工作は成功したとは言い難かった。


 もともと教師には向いていなかった。上から教育工作をするようにとの命を受けて、仕方なくやっていたに過ぎない。

 が、今はもう教員を辞め、別の工作活動に入っていた。


 現在、シベリカ本国から指示されている工作活動は、トウア国の軍と治安部隊を弱体化させることだった。


 その一環として、トウア国の治安部隊や軍への予算増額を食い止め、減額を推進させるよう世論を煽り、トウア国政府を牽制する。これがサギー工作員に与えられた任務である。


 そのためマスメディアを利用し、治安部隊や軍について悪いイメージを植え付け、トウア世論を操ろうと動いていた。いわば情報戦だ。


 そう、セイヤとリサを嵌めて暴行事件を仕組み、週刊誌で叩いた件にはサギーが関わっていた。というかサギーこそが首謀者であった。


 世間で女性隊員であるリサが持てはやされ『特戦部隊の株』が上がってしまい、それを機に治安悪化を憂えるトウア世論の一部が『治安部隊強化』の声を上げ始めたので、その空気を変えるために行ったのだ。


 が、工作としては軽いゲームのようなものだった。シベリカ国から送り込まれた下級の新人工作員らを教育するため、その実践訓練として仕組んだのだ。


 ちなみにシベリカ工作員はランクづけされており、『下級』はその名の通り、本国シベリカでさほど特殊訓練を受けていない下層の工作員だ。いや、工作員というよりも一般協力者と呼んだほうが正しかった。


 その後のアントン・ダラーによる『セイヤの過去の暴力事件』については、その頃のサギーの作戦の中にはなかった。アントンもセイヤも同じ未成年養護施設にいたそうだが、セイヤが過去にそんな問題を起していたことを、サギーは知らなかった。サギーが養護施設付設学校に赴任するずっと前の出来事だったからだ。


 サギーにしてみれば、たまたまアントン・ダラーなるフリーライターの持ち込んできたそのネタがあまりにも『うってつけの内容』だったので、即採用するよう週刊誌側に働きかけただけのこと。特戦部隊を陥れるために利用したに過ぎない。


 この週刊誌にはシベリカ系企業数社がよく広告を出していた。広告収入で何とか儲けを出している週刊誌にとっては、シベリカ系企業がスポンサーのようなものだ。


 そのシベリカ系企業は、本国から工作活動を助けるようにと秘密裡に指示されており、また、サギー自身は週刊誌の編集長と愛人関係にあったため、思うままに週刊誌を操ることができていた。


 途中までは上手くいっていた。


 特戦部隊のことを話題にし、「特戦部隊にはセイヤ・シジョウのような暴力的な人間が多いのでは」と疑問を呈し、「それは特戦部隊が犯人制圧に動く殺人部隊だからだ」とし、批判の矛先をセイヤ個人ではなく特戦部隊全体に向けて、懸念すべき社会問題として言及した。


 そこにテレビと新聞が同調し始めた。サギーはテレビ局や新聞社の重鎮ともつきあっていたので、そう仕向けるのは容易かった。


 人権を重んじる世間の風は『特戦部隊含む治安部隊批判』へ吹き始めていた。


 このまま世論を操作し、トウア国政府が治安部隊の権限を強化しようとする動きを封殺し「治安部隊への予算は削減すべきである」「その分の予算は福祉などほかへ回すほうがいい」という民意を作っていくはずだった。


 それなのに……事件の一部始終を撮っていたらしいこの動画のせいで不意に終わった。


「一体、誰がこれを撮ったのかしら? ただの素人とは思えない……」


 週刊誌側はあくまでも持ち込まれたネタと写真を採用しただけで、事件そのものには関わっていない。事件はサギーが新人工作員らを使って仕組んだのだ。暴行を目撃したという証言者も工作員である。


 なのに、このような証拠動画を第三者に撮られていたとは、新人工作員らの失態である。


 あれだけ第三者には気をつけろと注意をしたのに――サギーは唇を噛みつつも、思考を巡らせる。


 そう、それなりに警戒していたはずの工作員らの目をかいくぐり、ほかにもセイヤとリサを見張っている者がいた……。そして彼らに何かあった時、常にその証拠を押さえておけるような体制を敷いていたのだ。


 ――こんなことができるのは公安? いえ、まさかセイヤやリサのような下っ端の新人隊員に目をかけているはずがないし、そもそもこんな小さなことで公安が動くはずがない。これはセイヤとリサを心配するごくごく個人的な……。


 そこまで考えたサギーの口もとが歪む。その脳裏にはある人物が浮かんでいた。


 未成年養護施設付設学校の教師をしていた時――セイヤとリサと、もう一人……『戦犯の子孫』と呼ばれていた――サギーにとって忘れられない教え子がいた。


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