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となりの優等生は恋を後回しにする  作者: 妙原奇天


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4/22

第4話 終わり方の試作と、嘘の重さ

 学校の噂は、空調と同じで、いつでもどこでも回っている。

 文化祭準備が中盤に差しかかる火曜日、教室の空気がやけに冷たかった。廊下で「危ない」「距離感ゼロ」みたいな単語が、紙飛行機みたいに飛び交う。

 由来は分かっている。実行委員が全学年向けに配った**「対面作業の指針」**の中で、玄関越しペアのモデルケースが“条件付きで許可”と明記されたのだ。

 許可は、燃料にもなる。


 昼休み、如月が弁当をつつきながら眉で合図してくる。

「湊、まとめサイトに載ったぞ」

「やめて。心が胃になる」

「“玄関越し恋人”“顔合わせず準備するカップル”ってタグ。バズってはないけど、変な正義感が湧いてるやつがいる」

「正義感は刃物、って白波が言ってた」

「だな。で、どうする」

「手順で返す」

「うわ、お前、もう完全に手順教だよ」


 手順教、悪くない。救いのやり方の名前だ。

 午後の授業が終わると、僕は成宮先生のところへ行き、モデルケースの途中レポートを一枚追加で出した。棒グラフの横に、**“対人安全の具体策”**を箇条書きで添える。


受け渡しはポストのみ。直接手渡し禁止。


扉越し対面は一分。週二まで。目線は床。


録音・録画禁止(双方の同意ある書面のときのみ例外)。


“返さなくていい日”の明示。シールと付箋使用。


緊急時は管理人立会いで開扉。単独での開扉は禁止。


 先生は首を縦に振りながら、最後の行を指で叩く。

「記録があるのはいいな。外野の“想像”は、記録で上書きできる。想像が暴れるのは、余白がでかすぎるときだ」

「余白は必要ですけど、誰の余白かは決めておきたいです」

「お前、いいこと言うな。よし、掲示板の掲示板を用意しよう」

「掲示板の……?」

「“モデルケースのログ公開”だ。写真・時刻・作業内容だけ貼る。名前は出さない。数字で見える化。噂に、数字で殴り返す」

「丸い武器ですね」

「丸い武器だ」


 帰り道、共用廊下の角を曲がると、フックに**□**の小さなシール。心のオーバーフロー。

 返さなくていい日。

 僕は呼鈴を一度も鳴らさず、ポストに薄い封筒だけ落とした。

 〈**終わり方の案、Cにチェックしました。手順はここまで。手順の外で会う。——それを“怖いけど楽しみ”**にするために、今は数字で守ります〉


 返事は来ない。来なくていい。

 僕は共有版の可視化シートに今日の作業を塗り、学校の掲示板に貼る提出用の写真を二枚プリントした。背景布の乾き具合と、蝶番を付け終えた小道具の角。

 数字はやさしい。人の気分に揺れない。

 扉の向こうの誰かを守るには、感情で戦わないことも必要だ。


***


 水曜の夜。

 僕が二回鳴らすと、三回返ってきた。

 規定外の音。扉越しの静けさが、一瞬ひやりとした空気に変わる。

 合図規約の付録を思い出す。

 〈特別合図:三回=“開扉許可の要請”。返答は付箋で。管理人立会いの用意。〉


 心臓が引き算を間違えそうになるのを、条文が止める。

 僕は管理人室の呼び鈴を押し、事情を説明して、管理人さんと一緒に扉の前へ戻った。

 フックに付箋。〈開扉許可〉

 鍵が回る音。扉が五センチだけ開き、チェーンの先で止まる。その隙間から、白い紙が滑り出た。


『母が過干渉モードに入りました。

 合鍵を要求。断りました。三回鳴らしたのは、開扉許可のテスト。管理人さんの前で、**“チェーンの外側まで”**だけ開ける練習。

 ——扉の向こうが安全であることを、私自身に示すために。』


 管理人さんが小さく頷く。

「ここまで。はい、閉めて」

 チェーンが戻り、金属の触れ合う音が合図の句読点になった。

 僕は安堵で膝が笑うのを、靴底に任せた。

 扉の向こうから付箋がもう一枚。

 〈ありがとう。テスト、成功。**“返さなくていい日”**のままでいく〉


 夜、まとめサイトに新しいスレッドが立った。「三回鳴らしたら合鍵?」

 如月からメッセージ。「殴るデータ、ある?」

 僕は掲示板用の**“合図規約 抜粋”**を画像にして投下した。三回=開扉要請/管理人立会い必須。

 数字と条文は、憶測の風を鈍くする。

 風が止まったわけじゃない。でも、吹き飛ばされない角を増やせる。


***


 木曜。

 実行委員から依頼。「公開デモをしてほしい」。

 扉越しの一分、ポストでの受け渡し、“返さなくていい日”の掲示の仕方——やって見せてほしいという。

 こういうのは早い方がいい。曖昧な時間が長いほど、噂は発酵する。

 放課後、空き教室の前で、僕は脚立二つと布で簡易の“扉”を作った。机を二つ並べて、ポストの代わりに段ボール箱。

 成宮先生が立会人。如月が写真係。

 白波は目線を床に落とし、短く息を吸ってから、きれいに吐いた。すでにルーチンができている呼吸。

 デモは、一分で終わった。受け渡し、写真の貼り方、付箋の使い方。

 拍手はなかった。けれど、ざわめきの密度が目に見えて薄まった。

 最後に、白波が一歩前へ出て、短く頭を下げる。

「これは恋愛のデモではありません。手順のデモです。終わり方の練習でもあります」

 ああ、と教室のどこかで誰かが言った。

 ああ、は理解の第一音節だ。


***


 その夜、質問カードがポストにあった。

 〈現代文/**“嘘の重さ”**って、どうやって測るんだろう〉

 裏に〈今日、ありがとう〉とだけ。


 “嘘の重さ”。

 断罪オークションの世界の話みたいだ、と少し思った。

 でも、現実でも、測れる気がする。

 僕は机に座り、カードいっぱいに書いた。


『“嘘の重さ”=それで壊れる手順と、増える手順。

 壊れる手順が多い嘘は、重い。

 増える手順(安全・安心・説明)が多いなら、軽い。

 測り方:①嘘がなかった場合の手順を書き出す。②嘘がある場合の手順を書き出す。③差分=重さ。

 ——例:まとめサイトの憶測 → 掲示板にログを貼る、成宮先生に報告、実演、写真、条文の更新。手順が増えた=軽くできた。』


 ポストに入れて、扉の前に立つ。呼鈴は二回。返ってくる二回。

 扉越しの一分、七瀬の声は笑っていた。

「軽くできた。いい言葉。重さは、作っても消せる」

「消せるというより、持ち方を変えるのかな」

「うん。誰が持つかも大事」

「今日は、僕らが持つ番だった」

「明日は、先生が持つ番かもね」

 合図が終わる。扉の向こうの気配が離れる前に、付箋が一枚滑ってきた。

 〈残:73日/終わり方の案D:“公開で終わる”(ログを展示して解散)〉

 僕は頷いた。

 終わり方を可視化する。終わりが見えると、今日が整う。


***


 金曜の朝。

 教室に入ると、机の上に無言の鉛筆が一本置いてあった。新品。六角の木肌。

 誰のものかは、すぐに分かった。白波の鉛筆はいつもこの硬さだ。

 芯の硬度の記号はBとHBの間に、かわいく丸がついている。“B寄りHB”。

 黒板の下で、白波が一瞬だけ指を動かした。

 **“返さなくていい”**の合図。

 僕は鉛筆を胸ポケットに挿し、何も言わずに席についた。


 放課後、管理人さんが声をかける。

「白波ちゃんのお母さん、今日、鍵を返しに来たよ」

 胸の奥で、何かがコトッと軽くなった。

「扉は外側まで。合図も見せたって。ルールの紙、持っていった。**“これが安心です”**って」

 管理人さんは目尻を下げる。

「紙って強いね。言葉は忘れるけど、紙は残る」

「紙は、やさしい武器です」


 夜。

 呼鈴二回。返ってくる二回。扉越しの一分。

 七瀬の声は、今日は柔らかい。


「母に、“合図が安心”って言えた。“合鍵は安心じゃない”とも」

「うん」

「終わり方の案、もうひとつ。E。“合図を卒業する式”。——最後の日に、鳴らさない」

「鳴らさない……怖いね」

「怖い。でも、怖いものは、先に名前をつける。“卒業式”」

「うまい」

「うれしい」

 扉の木目が、今までで一番やさしい模様に見えた。

 付箋。〈残:72日/模擬休憩、明日10:00に屋上の空で〉

 屋上は立入禁止じゃないけど、使用は届け出がいる。管理人さんが間に入ってくれた。

 **“空を見るだけ”の許可。

 僕らに必要なのは、たぶん、それくらいの“だけ”**だ。


***


 土曜。

 十時、学校の屋上。

 立合人:成宮先生。距離:五メートル。時間:十五分。

 僕らは別々のベンチに座り、空を見る。

 会っているのに、会っていない。

 風が高い。雲が薄い。ピンマイクもカメラもない。ただの空。

 模擬休憩。呼吸の練習。

 十五分後、先生が指で○を作る。終わり。

 僕と白波は立ち上がり、互いに一礼する。

 帰りの階段で、如月がひょこっと顔を出した。いつからいた。

「お前ら、演奏みたいだった」

「休憩の演奏?」

「いや、静寂の演奏。音がないのに、拍がある」

 拍。

 呼鈴のタ、タも拍だ。

 拍に合わせて生活を並べると、恋が予定外に育つ余地ができる。


***


 日曜の夕方、文化祭前の最終作業。

 背景布の最後の一枚を乾かし、蝶番の締めを確認し、ログに終わりの印をつける。

 扉越しの一分。

 七瀬が最後に、用紙を一枚差し入れる。「公開ログ 展示案」。

 文化祭当日、僕らの教室の壁の一角に、作業ログのコピーを小さなギャラリーみたいに並べるのだ。

 “やったことだけを見せる”。

 恋でも、正義でもない。やったこと。

 その並びが、僕らの距離の証明になる。


「終わり方、今日の案F。“公開で終わる”+“卒業式”の合体」

「ログを貼って、鳴らさず終わる?」

「うん。鳴らさず、でも見える」

「うん」

 扉の向こうの気配が、ゆっくりと遠ざかる。

 僕は指先を呼鈴から離す。

 鳴らさない練習を、今日、少しだけ。

 可視化シートの余白に、一行。

 〈鳴らさない勇気〉


 残:71日。

 数字は少しずつ減って、紙は少しずつ増える。

 紙の厚みを、僕は今日も指で確かめる。

 終わり方の試作は続く。

 嘘の重さは、今日も軽くできた。

 次に重くなるときは、持ち方をまた変えればいい。

 それが、今の僕らの手順だ。


 金色の呼鈴は、月ではなく街灯を映して、静かに光っている。

 触れない。触れなくても、中で鳴っている。

 タ、タ。

 呼鈴が鳴らない夜に、心だけが小さく打つ拍の音。

 生活は手順。恋は予定外。

 予定外は、終わり方が見えるほど、やわらかくなる。

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