表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
となりの優等生は恋を後回しにする  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/22

第5話 ログ・ギャラリーと、写真のない証明

 文化祭の朝は、朝食のバナナがいつもより甘い。

 糖度が上がったのではなく、神経過敏という砂糖が混ざっているだけだ。

 可視化シートの「起床」「朝食」を黄色で塗り、玄関の金色の呼鈴を一度撫でる。鳴らさない。今日は校内の合図が多いから。


 学校は、非日常のざわめきで膨らんでいた。屋台の匂い、ポスターの手描き文字、BGMの無限ループ。

 僕らのクラス展示〈“公開ログ・ギャラリー”〉は、教室の壁一面を占拠している。

 ビフォーアフター写真、受け渡し時刻、作業時間、失敗の名札〈海の泡〉。

 棒グラフの列は、木琴みたいに規則正しい。叩けば音がしそうなほど、並びが綺麗だ。


「これ、なんの写真?」

「色、塗った布。青の濃度が日ごとに変わってます」

「このチェック表、実行委員のやつより読みやすい」

「“返さなくていい日”のシール、かわいい」


 聞こえてくる感想が、感情語から作業語へズレていく。よし。狙いどおり。

 如月が腕を組んで、壁の前に立つ。

「棒グラフ、今日も良い凶器」

「丸い武器な」

「はいはい。今日は丸く殴る日」


 成宮先生は来場者導線をチェックし、展示の横に一枚の紙を貼った。

 〈“玄関越しペア”運用要点(抜粋)〉

 対面=扉越し一分・週二/受け渡し=ポスト/録音録画禁止/管理人立会い条項。

 条文は短いほど強い。今日のための盾だ。


 十一時。

 入口近くで、スマホを掲げる男が目に入った。校章がない。保護者でも、近所の人でもない気配。

 展示の“条文”の下で、カメラのシャッター音が連続する。

 如月が目で合図。僕は近づき、貼り紙を指さした。


「録音・録画は禁止です。展示は**“やったことだけを見せる”ためのものなので」

 男は肩をすくめ、笑った。「公共の場所でしょ? ルールはあなたたちのルール」

 成宮先生がすっと前へ。「学校のルールでもあります。今日は運用テスト中。——数字で説明しましょうか」

 先生は展示の一枚を示した。“受け渡し6回/対面3分×3/録音録画なし”。

「この無しが、安全の成立条件なんです。“ない”ことを守るために、“見える”ものを増やしています」

 男は鼻を鳴らす。

「“恋バナ”を隠してるだけだろ」

 胃がまた心になりかけた瞬間、白波が静かな声で入ってきた。

「恋は手順外です。展示に恋はありません。作業だけです」


 男は肩を竦め、写真アプリを閉じた。「つまんないね」

「つまらないことが、安全です」

 会話はそれで終わった。

 彼は去り、ざわめきの密度がまたひとつ薄くなる。

 如月が耳打ちする。「お前ら、言葉の重さがちょうどいいな。軽く言って、重く効く」


 壁に視線を戻すと、展示の端に小さな付箋が増えていた。

 〈終わり方案・投票所〉——来場者がA~Fにシールを貼れるコーナーだ。

 A:契約終了・返却/B:延長なし・自分で合図/C:恋は手順外条文を残す/D:公開で終わる/E:卒業式(鳴らさない)/F:公開+卒業式。

 昼までに、CとFに票が集まっていた。

 終わりを可視化すると、来場者も終わり方に参加する。

 終わりが怖いから、触れる。

 その勇気は、見ているだけの誰かの生活にも、届くかもしれない。


 十二時。熱気が上がる。

 教室の反対側で、劇のリハーサルが始まり、スモークマシンの薄い霧が漂ってくる。

 展示の一部のテープが湿気で浮いた。写真がはらり。

 拾おうと身をかがめた時、影がかぶさった。

 さっきの男じゃない。別の学生。知らない顔。

 写真の向きをわざと逆さに貼り直し、棒グラフに斜線を引こうとした。

 手の中に油性ペン。

 ——違反だ。破壊は対話じゃない。


 僕は深呼吸一回、条文を思い出す。

 “壊れる手順が多い嘘は重い”。今、目の前で重くなっている。

「それ、やめて」

 学生が肩をすくめる。「暇つぶし」

「暇つぶしは、暇を壊さない範囲で」

 言葉が届かない。油性ペンのキャップが外れる音。

 如月の肩が並び、成宮先生が電話を耳に当て、係員が近づいてくる。

 人の流れが詰まる。

 そのとき、白波がたった一言落とした。


「写真は貼り直せます。——嘘は、貼り直せません。」


 静かになった。一秒で。

 学生の手が止まり、ペン先が空中で震え、やがて下がる。

 斜線は、まだ引かれていない。間に合った。

 係員が柔らかく誘導し、学生は人混みに溶けた。

 張り直した写真の角に、小さな白い傷が残る。

 白波はその傷の横に名札を貼った。〈守れた余白〉。

 失敗に名前をつけるなら、守れたことにも名前を。

 名札が増えていく壁は、今日の防衛線の地図だ。


 午後。

 公開ミニトークの時間。

 スライドはない。紙一枚。“今日の数字”。

 受け渡し回数:3。対面合図:0(文化祭中は対面ゼロ運用)。

 注意喚起:録画要請2件→お断り。破壊未遂:1→未遂のまま。

 終わり方案 投票:C 41票/F 38票/E 19票/その他 合計 22票。

 僕は読み上げ、最後に言った。


「終わり方は、始める勇気に直結します。

 だから、終わり方を公開します。**“鳴らさない”かもしれないし、“公開で終わる”**かもしれない。

 ——でも“終わらせない”はしません。終わらないものは、壊れるから」


 拍手は大きくない。けれど、一定だ。拍がある。

 拍があれば、合図に変えられる。


 夕方。

 来場者の波が引き、廊下のポスターの角が丸まる時間帯。

 展示の前に、白波のお母さんが立っていた。

 眼鏡の奥の目が、紙だけを見ている。

 僕と白波は少し離れて、三角形の距離を保つ。

 お母さんは管理人さんと同じ種類の呼吸をして、静かに言った。

「合図は安心。合鍵は安心じゃない。——紙が教えてくれたわ」

 白波が、小さく頭を下げる。

 お母さんは展示の端の**“終わり方案”**に、Fの丸シールを一枚貼った。

 公開+卒業式。

 僕は胸の奥で、コトッとまた何かが軽くなるのを感じた。


 撤収。

 壁から写真を剥がして、角を整える。

 名札をノートにまとめる。

 守れた余白の札だけは、最後まで残して、紙の真ん中に移した。

 終わったと思った瞬間、教室の入口でフラッシュが光った。

 振り向くと、昼の男が廊下の遠くから望遠で狙っていた。

 ——遠い。止めに行く前に、また憶測が走る。


 僕は走らなかった。

 走らない練習を、僕らはしてきた。

 白波に目で合図。頷き。

 僕らは二人で、展示の前に立ち、壁だけを見た。

 写真を撮られても、写真の中に“恋”はない。

 あるのは、棒グラフと名札と作業時間。

 “やったことだけ”が写る構図に、こちらから立つ。

 フラッシュがもう一度。

 如月が小声で笑う。「丸い武器で光を殴ったな」


 夜。

 教室を施錠して、校門を出る。

 呼鈴は学校にはない。

 代わりに、拍で歩く。タ、タ。

 マンションの前で、白波が立ち止まり、玄関のフックに付箋を貼った。

 〈今日:対面ゼロ運用・成功/ログ保全100%/終わり方投票 Fが逆転〉

 付箋の下に、細い文字がのる。

 〈“写真は貼り直せる、嘘は貼り直せない”——今日の一行〉


 扉越し一分。

 白波の声は、静かに疲れて、静かに達成感で満ちていた。


「終わり方案・G。**“写真のない写真”**で終わる」

「なにそれ」

「最後の日、私たちは写らない。壁だけ。ログだけ。合図なし。

 ——それでも物語が残る形で終わりたい」


 喉の奥が、少し熱くなる。

 写らなくても残る。

 それは、たぶん、この三か月の核だ。


「いい。Gに一票」

「ありがとう。残:69日」

 付箋が一枚、僕の手に渡る。

 〈鳴らさない練習:各自一回/週〉

 紙はやさしい武器で、やさしいメトロノームだ。

 僕らは拍に合わせて玄関の前を離れ、同時に振り向かず、部屋へ戻る。


 可視化シートの余白に、ペン先が落ちる。

 〈“終わり”を公開すると、“途中”が守られる〉

 バナナの甘さは消え、かわりに静かな塩みたいな達成感が残った。


 ベッドに横になり、目を閉じる。

 耳の奥で、金色の呼鈴が鳴らない音がする。

 タ、タ。

 鳴らないのに、鳴る。

 生活は手順。恋は予定外。

 予定外は、写らなくても残る。


 ——残:68日。

 数字は減り、紙は増える。

 重たかったはずの一日が、寝る前には軽く持てる形になっていた。

 それを、明日も貼り直せるように、机の上に丸い武器を置いて眠る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ