第3話 玄関越しペア、モデルケース
文化祭準備は、だいたい“正論と体育会系が握手して殴ってくる”ところから始まる。
実行委員は立て看板の前で、ざっくりとした禁止事項を読み上げた。「ペア作業、異性禁止」。空気が「まあそうなるよね」と頷く。効率は二の次、安全第一。分かる。分かるけど、手順としては損だ。
放課後、僕は成宮先生の職員室に呼ばれた。
「白波から提案書、出てる。**“玄関越しペア”**ってやつ。お前の名前もある。モデルケース」
先生は紙をひらひらさせる。箇条書きの短い文。余白が多いのに、背筋が通っている。
対面作業は扉越し一分×回数制限。
素材の受け渡しはポスト経由。
作業経路と作業時刻は**可視化シート(共有版)**で記録。
緊急時は管理人立会いで例外対応。
成果は毎日写真提出。
「……先生、これ、ラノベのあとがきみたいに分かりやすいです」
「俺に言うな。——お前ら、やれるか?」
「やれます。手順があるから」
先生は頬を掻いて、半分笑った。
「よし。条件付きで許可。失敗したら即撤回。数字で説明できなかったら、その場で終了な」
帰りの廊下。フックには**△**のシール。家庭。合図は返さなくていい日。
僕は二度だけ鳴らして、扉の前に一枚の紙を差し込んだ。
〈成宮先生、条件付き許可。モデルケース、走る〉
返事はない。でもいい。条文は、返事がなくても働く。
***
翌朝、ポストに分厚い封筒。表紙にでかく〈文化祭仕様 第0.9版〉。
中身は作業用可視化シートと作業ログ台紙、それから短いメモ。
『“見える”は味方。
今日から、ポスト交換は写真を一枚。
受け渡し時刻、素材名、作業時間。数字で残す。
——玄関越しペア、はじめます。』
はじめます。句点が軽いのに、腹が据わってる。
学校では「異性禁止のほうが安全」の論がじわじわ広がっていた。僕の席の後ろで、誰かが囁く。「白波、危なくない?」
危ない。**“善意は刃物”**だと、本人が言った。だから刃先を布で巻くみたいに、手順を巻く。
放課後、最初の“玄関越しペア”。
呼鈴二回、返ってくる二回。扉越し一分。目線は床。
「作業一:背景布の染め。受け渡し 17:10、布1枚/染料袋。作業はあなたの浴室。換気、手袋」
「了解。写真はビフォーアフターで」
「うん。“指先の青”は作品じゃないからね」
軽い冗談と一緒に、ポストに薄い布が滑り込む。
浴室に広げると、白が広すぎて手が迷子になる。塗るのではなく、色を置く。
作業ログに、開始時刻と終了時刻を記載。枚数、濃度、失敗一回。失敗もログ。
写真を撮って、プリントして、ポストへ戻す。
扉の向こうで紙の音がして、すぐに付箋が返ってきた。
〈青、きれい。失敗は“斑点”に名前をつけよう〉
名前。
僕は失敗に〈海の泡〉と書いて、ログに貼る。失敗は、名前がつくと味方の一種になる。
***
二日目は小道具の合板切り。
ノコギリの刃が木目を噛む感触は嫌いじゃない。
可視化シートの「作業」欄が青く塗られていく。
扉越しの一分。今日の彼女の声は元気だ。
「如月くんが言ってた。“お前、最近声が落ち着いた”って」
「本人にも言われた。手順のせいだと思う」
「手順のせい、いい言葉。恋のせいって言うより、救う」
「恋じゃないって言い切るの、ずるい」
「契約の文言。“恋は手順外”」
扉の木目が目に刺さる。笑っているのかどうか、判断がつかない。
でも、ログは進む。写真も増える。進捗は、感情の天気を無効化する。
夜、スマホを裏返し、余白に一行。
〈斑点=泡、名前がつくとかわいい。失敗を可視化する勇気〉
***
三日目。
小道具の蝶番が足りない。学校の在庫はゼロ。ホームセンターは閉店間際。
呼鈴二回、返ってこない。フックに**□**のシール。
僕は付箋だけを貼る。〈蝶番×4、明日で可?〉
夜、ポストに封筒。いつもの字。短い。
『可。**“足りないのを可視化する”**のも、手順。
——P.S. 明日、実行委員会で発表。モデルケースの途中報告、一枚にまとめてくれる?』
資料づくりは嫌いじゃない。数字で殴るのは、今の僕のホビーだ。
作業時間、回数、失敗数、写真。表にして、棒グラフにする。
棒は物理より優しい。殴っても、誰も傷つかない。議論のクッションになる。
***
翌日。
実行委員会。体育館の隅の教室。
スライドはない。紙のA4一枚。
僕は前に立って、深呼吸を一回。模擬休憩の効果。声が落ち着く。
「玄関越しペア、三日間の結果です」
棒グラフが並ぶ。
作業時間合計:5時間40分。対面時間:3分×3。
受け渡し:6回。失敗:2件(海の泡/蝶番不足)。
写真がビフォーアフターで貼られている。色の濃さ、木の角、指の絆創膏——見える。
ざわめきが一瞬だけ凪いで、「へぇ」と「ふーん」のあいだの音がいくつか落ちる。
質問。「異性でやる必要は?」
答え。「必要がないから、やれるを証明してます。**“禁止しなくていい”**の根拠が増えます」
成宮先生が腕を組み、頷いた。
「——続行。撤回はいつでもする。けど、今は続けろ」
廊下で白波に報告する。扉の向こうで、空気が軽くなった。
「ありがとう。棒グラフ、殴れた」
「棒グラフは安全な凶器」
「凶器って言うと怒られるよ」
「じゃあ武器。丸い武器」
***
その夜。
呼鈴二回、返ってこない。フックに何も貼っていない。
僕は二回目を鳴らす前に、指を止めた。**“返さなくていい日”**が、シールなしで来ることもある。
扉の前に、短いカードだけを置く。
〈今日の一行/会わない距離が、近い日〉
部屋に戻って、スマホを裏返す。
可視化シートの「自習」を塗る前に、空白をじっと見る。
空白は、敵じゃない。余白。
余白は今日の呼吸だ。色を塗りつぶさずに、輪郭だけなぞる。
——残:77日。
***
週末。
作業の山がやってきた。背景布の張り、釘打ち、クギの数の数え直し。
午後、突然の停電。階段の非常灯が薄く光る。
呼鈴は鳴らない。鳴らさない。電気のない時は、体力の節約。
廊下で、管理人さんが懐中電灯を振る。
「停電、三十分で復旧予定。エレベーターは止まりっぱなし」
「ありがとうございます」
「白波ちゃん、ちょっと顔色悪いって、さっきお母さんが……」
胸がざわっとする。開けない。扉は開けない。
付箋を一枚、フックに貼る。
〈◎了解。水、玄関下に置きます〉
床にペットボトルを二本。ノックはしない。
戻ろうとした時、扉の隙間から薄い紙が滑り出た。
メモ。震えた字で、短い。
『倒れてない。
“返さなくていい”、選択中。合図、ここまで』
了解、と声に出さず口だけで言って、部屋に戻る。
心配は消えない。でも、選択を信じる。
可視化シートの余白に、丸を一つ。〈見守り〉。
色じゃない。記号。
守りたいのは、扉じゃなくて選択なんだ、と自分に言い聞かせる。
停電が解けた夜、ポストにカード。
『ありがとう。
“返さなかった”ことを、守ってくれて。
——今日の一行/怖い時ほど、ルールがやさしい』
静かに笑った。
扉越しに笑うのは難しい。だから、紙を通じて笑う。
紙は、においがない。けれど手触りがある。
その手触りが、救う。
***
翌日。
実行委員が教室を回って、作業進捗の紙を回収していく。
うちの「玄関越しペア」は、進捗100%。棒が一番高い。
廊下で誰かが小さく言う。「やるじゃん」。
やるじゃん、は魔法。やれるじゃんに変換され、次の一歩になる。
夜、呼鈴二回。返ってくる二回。扉越しの一分。
七瀬の声は軽く、でも、ひとつだけ影を持っていた。
「期限、聞かれた。実行委員に。『三か月って何?』」
「何て答えた」
「“終わりがあると、始められる”。——でも、**“終わらせ方”をまだ決めてないって」
扉の木が、少しだけ鳴った。
「決めないと、怖い」
「うん。だから、可視化する。終わり方の候補を」
カードが滑り込む。
〈終わり方の案/A:契約終了→各自のシートを返却/B:延長なし→“互いに自分で合図を作る”宣言/C:“恋は手順外”**条文を残す〉
目が痛くなるほど、文字がまっすぐだった。
僕は一度だけ深呼吸して、シャーペンを取った。
Cに、小さくチェック。
余白に一行。
〈手順はここまで。手順の外で会おう〉
返事は、すぐには来なかった。
でも、呼鈴は二回、同じ速さで、確かに響いた。
タ、タ。
——残:76日。
数字が減ると、紙の厚みが増える。
紙の厚みは、僕たちの距離の厚み。
会わずに近づく方法を、まだ僕らは学んでいる。
扉の向こうとこちらで、同じ拍で、呼吸を整えながら。




