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となりの優等生は恋を後回しにする  作者: 妙原奇天


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3/22

第3話 玄関越しペア、モデルケース

 文化祭準備は、だいたい“正論と体育会系が握手して殴ってくる”ところから始まる。

 実行委員は立て看板の前で、ざっくりとした禁止事項を読み上げた。「ペア作業、異性禁止」。空気が「まあそうなるよね」と頷く。効率は二の次、安全第一。分かる。分かるけど、手順としては損だ。


 放課後、僕は成宮先生の職員室に呼ばれた。

「白波から提案書、出てる。**“玄関越しペア”**ってやつ。お前の名前もある。モデルケース」

 先生は紙をひらひらさせる。箇条書きの短い文。余白が多いのに、背筋が通っている。


対面作業は扉越し一分×回数制限。


素材の受け渡しはポスト経由。


作業経路と作業時刻は**可視化シート(共有版)**で記録。


緊急時は管理人立会いで例外対応。


成果は毎日写真提出。


「……先生、これ、ラノベのあとがきみたいに分かりやすいです」

「俺に言うな。——お前ら、やれるか?」

「やれます。手順があるから」

 先生は頬を掻いて、半分笑った。

「よし。条件付きで許可。失敗したら即撤回。数字で説明できなかったら、その場で終了な」


 帰りの廊下。フックには**△**のシール。家庭。合図は返さなくていい日。

 僕は二度だけ鳴らして、扉の前に一枚の紙を差し込んだ。

〈成宮先生、条件付き許可。モデルケース、走る〉

 返事はない。でもいい。条文は、返事がなくても働く。


***


 翌朝、ポストに分厚い封筒。表紙にでかく〈文化祭仕様 第0.9版〉。

 中身は作業用可視化シートと作業ログ台紙、それから短いメモ。


『“見える”は味方。

 今日から、ポスト交換は写真を一枚。

 受け渡し時刻、素材名、作業時間。数字で残す。

 ——玄関越しペア、はじめます。』


 はじめます。句点が軽いのに、腹が据わってる。

 学校では「異性禁止のほうが安全」の論がじわじわ広がっていた。僕の席の後ろで、誰かが囁く。「白波、危なくない?」

 危ない。**“善意は刃物”**だと、本人が言った。だから刃先を布で巻くみたいに、手順を巻く。


 放課後、最初の“玄関越しペア”。

 呼鈴二回、返ってくる二回。扉越し一分。目線は床。

「作業一:背景布の染め。受け渡し 17:10、布1枚/染料袋。作業はあなたの浴室。換気、手袋」

「了解。写真はビフォーアフターで」

「うん。“指先の青”は作品じゃないからね」

 軽い冗談と一緒に、ポストに薄い布が滑り込む。

 浴室に広げると、白が広すぎて手が迷子になる。塗るのではなく、色を置く。

 作業ログに、開始時刻と終了時刻を記載。枚数、濃度、失敗一回。失敗もログ。

 写真を撮って、プリントして、ポストへ戻す。

 扉の向こうで紙の音がして、すぐに付箋が返ってきた。

〈青、きれい。失敗は“斑点”に名前をつけよう〉


 名前。

 僕は失敗に〈海の泡〉と書いて、ログに貼る。失敗は、名前がつくと味方の一種になる。


***


 二日目は小道具の合板切り。

 ノコギリの刃が木目を噛む感触は嫌いじゃない。

 可視化シートの「作業」欄が青く塗られていく。

 扉越しの一分。今日の彼女の声は元気だ。


「如月くんが言ってた。“お前、最近声が落ち着いた”って」

「本人にも言われた。手順のせいだと思う」

「手順のせい、いい言葉。恋のせいって言うより、救う」

「恋じゃないって言い切るの、ずるい」

「契約の文言。“恋は手順外”」

 扉の木目が目に刺さる。笑っているのかどうか、判断がつかない。

 でも、ログは進む。写真も増える。進捗は、感情の天気を無効化する。

 夜、スマホを裏返し、余白に一行。

 〈斑点=泡、名前がつくとかわいい。失敗を可視化する勇気〉


***


 三日目。

 小道具の蝶番が足りない。学校の在庫はゼロ。ホームセンターは閉店間際。

 呼鈴二回、返ってこない。フックに**□**のシール。

 僕は付箋だけを貼る。〈蝶番×4、明日で可?〉

 夜、ポストに封筒。いつもの字。短い。


『可。**“足りないのを可視化する”**のも、手順。

 ——P.S. 明日、実行委員会で発表。モデルケースの途中報告、一枚にまとめてくれる?』


 資料づくりは嫌いじゃない。数字で殴るのは、今の僕のホビーだ。

 作業時間、回数、失敗数、写真。表にして、棒グラフにする。

 棒は物理より優しい。殴っても、誰も傷つかない。議論のクッションになる。


***


 翌日。

 実行委員会。体育館の隅の教室。

 スライドはない。紙のA4一枚。

 僕は前に立って、深呼吸を一回。模擬休憩の効果。声が落ち着く。


「玄関越しペア、三日間の結果です」

 棒グラフが並ぶ。

 作業時間合計:5時間40分。対面時間:3分×3。

 受け渡し:6回。失敗:2件(海の泡/蝶番不足)。

 写真がビフォーアフターで貼られている。色の濃さ、木の角、指の絆創膏——見える。

 ざわめきが一瞬だけ凪いで、「へぇ」と「ふーん」のあいだの音がいくつか落ちる。

 質問。「異性でやる必要は?」

 答え。「必要がないから、やれるを証明してます。**“禁止しなくていい”**の根拠が増えます」

 成宮先生が腕を組み、頷いた。

「——続行。撤回はいつでもする。けど、今は続けろ」


 廊下で白波に報告する。扉の向こうで、空気が軽くなった。

「ありがとう。棒グラフ、殴れた」

「棒グラフは安全な凶器」

「凶器って言うと怒られるよ」

「じゃあ武器。丸い武器」


***


 その夜。

 呼鈴二回、返ってこない。フックに何も貼っていない。

 僕は二回目を鳴らす前に、指を止めた。**“返さなくていい日”**が、シールなしで来ることもある。

 扉の前に、短いカードだけを置く。

 〈今日の一行/会わない距離が、近い日〉

 部屋に戻って、スマホを裏返す。

 可視化シートの「自習」を塗る前に、空白をじっと見る。

 空白は、敵じゃない。余白。

 余白は今日の呼吸だ。色を塗りつぶさずに、輪郭だけなぞる。

 ——残:77日。


***


 週末。

 作業の山がやってきた。背景布の張り、釘打ち、クギの数の数え直し。

 午後、突然の停電。階段の非常灯が薄く光る。

 呼鈴は鳴らない。鳴らさない。電気のない時は、体力の節約。

 廊下で、管理人さんが懐中電灯を振る。

「停電、三十分で復旧予定。エレベーターは止まりっぱなし」

「ありがとうございます」

「白波ちゃん、ちょっと顔色悪いって、さっきお母さんが……」

 胸がざわっとする。開けない。扉は開けない。

 付箋を一枚、フックに貼る。

〈◎了解。水、玄関下に置きます〉

 床にペットボトルを二本。ノックはしない。

 戻ろうとした時、扉の隙間から薄い紙が滑り出た。

 メモ。震えた字で、短い。


『倒れてない。

 “返さなくていい”、選択中。合図、ここまで』


 了解、と声に出さず口だけで言って、部屋に戻る。

 心配は消えない。でも、選択を信じる。

 可視化シートの余白に、丸を一つ。〈見守り〉。

 色じゃない。記号。

 守りたいのは、扉じゃなくて選択なんだ、と自分に言い聞かせる。


 停電が解けた夜、ポストにカード。

『ありがとう。

 “返さなかった”ことを、守ってくれて。

 ——今日の一行/怖い時ほど、ルールがやさしい』


 静かに笑った。

 扉越しに笑うのは難しい。だから、紙を通じて笑う。

 紙は、においがない。けれど手触りがある。

 その手触りが、救う。


***


 翌日。

 実行委員が教室を回って、作業進捗の紙を回収していく。

 うちの「玄関越しペア」は、進捗100%。棒が一番高い。

 廊下で誰かが小さく言う。「やるじゃん」。

 やるじゃん、は魔法。やれるじゃんに変換され、次の一歩になる。


 夜、呼鈴二回。返ってくる二回。扉越しの一分。

 七瀬の声は軽く、でも、ひとつだけ影を持っていた。


「期限、聞かれた。実行委員に。『三か月って何?』」

「何て答えた」

「“終わりがあると、始められる”。——でも、**“終わらせ方”をまだ決めてないって」

 扉の木が、少しだけ鳴った。

「決めないと、怖い」

「うん。だから、可視化する。終わり方の候補を」

 カードが滑り込む。

 〈終わり方の案/A:契約終了→各自のシートを返却/B:延長なし→“互いに自分で合図を作る”宣言/C:“恋は手順外”**条文を残す〉

 目が痛くなるほど、文字がまっすぐだった。

 僕は一度だけ深呼吸して、シャーペンを取った。

 Cに、小さくチェック。

 余白に一行。

 〈手順はここまで。手順の外で会おう〉


 返事は、すぐには来なかった。

 でも、呼鈴は二回、同じ速さで、確かに響いた。

 タ、タ。


 ——残:76日。

 数字が減ると、紙の厚みが増える。

 紙の厚みは、僕たちの距離の厚み。

 会わずに近づく方法を、まだ僕らは学んでいる。

 扉の向こうとこちらで、同じ拍で、呼吸を整えながら。

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